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天の貯金のすゝめ

こんにちは。ちょっと、投稿激しいですが、今日はこのタイトルが降りてきたので、これについて少し書いてみようと思います。

この文字はどこかで読んだことのある方もいらっしゃるかも知れませんが、言葉そのまま、天への貯金ということです(笑)

天への貯金とは、人知れず善行を積むというか、簡単に言うと、人が見ていないところでも全力を尽くしことにあたること。そういうことをいうのだと思います。

私はこの言葉を信じていて、悲しいかな、50過ぎにして未だ天への貯金はおりては来ないんですけども(泣)、人が見ていないところでも全力でことにあたっております。

それはなぜか?

単純にそうしたいからなんだけども、人が見ていないからといって手抜きするって、なんか好きじゃないんですよね。他人軸でダサいなと。

人から見られなければ、なにもできないのかよと。

じゃ、神様が見てるかも、なんて言葉は、これらの輩には理解できないようで、神様ってなに?どこにいるの?ってのが、関の山でしょう。

想像力がないというか、発想が貧困というか。唯物主義といおうか。

目に見えないもの以外、信じないというか、想像力がないから、目に見えない世界を想像できないんですね。

例えば、私の場合は、この壮大な宇宙を運行しているシステムは存在するわけですから、そのとてつもないパワー、力は存在しているのは事実で、その力は信じざるを得ない。

もっとエリアを狭めれば、宇宙に存在する地球のシステムだって、もの凄い精度で完璧に機能しているわけで、ここにもとてつもない力が存在している。

その途方も無い大きなものを完全に支配している力が存在しているんですね。

これを信じないという人はさすがにいないんじゃないですかな。

このシステムのもとに私達は生きているわけですから。

この力に昔の人は畏敬の念を懐き、それらの力を根本創造主やはたまた神という言葉を使い、それらの力を崇め奉った。

私達のまわりにはとてつもない力が存在してると。

だが、目の前のことに忙しい我ら現代人は、この大宇宙というとてつもない広い世界の中の、銀河系の隅っこにある太陽系というこれまたとてつもない片田舎の地球というところの、土の上で自分が生かされていることを完全に忘れてしまっているんですね。

だから、平気で地球を汚す。

話は少し横にそれましたが、それを意識できていないから、平気で汚すし、平気でそこにいる他の生物を殺し、搾取する。

地球、宇宙を自分の住む部屋と意識できないんですな。

そこで自分が生きているということを意識できていない。

そんなんだから、神なんてのも想像もできず、目に見えないから、ないことになってしまう。

とんだお笑いぐさですな。

だから、こういう人は人が見ていないところでは手を抜く。

別にそれは悪いことじゃないんだけども、私はなんか人として恥ずかしいと思ってしまうのです。

自律できていないのですね。人として。

自分に軸がないというか、判断基準がない。

だから、すべてに対してアナーキズムとなってしまう。

見ていないから、いいだろう。

バレなきゃ、いいだろう。

これは相当ダサいですよね。

で、話はタイトルに戻るわけなのですが、私は天の貯金を信じているのであります。

人が見ていないところでも真摯にことにあたるのです。

なぜか?

人としてダサくないよう、自分で自分を律するのです。

まるで、神が見ているかのように。

自分にまで命をつないでくれた、先祖の顔に泥を塗らないように。

一人の人間として、きっちり生きていく。

それら善行が天への貯金になるのではないかと思ってます。

ここも正直を言えばダサいな(笑)

お前は貯金の為に善行をするのかと。

ただ、これはひとつの考え方であって、例え自分になにも返ってこなかったとしても、天への善行のつもりでことにあたる。

こういう表現をすればいいだろうか。

天へ貯金したつもりで。

でも、私はこの天への善行は絶対自分におりてくるものと信じます。

だって、天への善行であるならば、どこかで必ずその報いがあると信じたいから。

天や神はそれら人間の行いというものをいつもそばで見てくれていて、指導してくれるものと思いたいから。

何度も言いますが、私は無神論者です。

ですが、日本の神道は少し信じてます(笑)

だって、神道ってあのみんなが大晦日にお参りするあの祠になにがあるか知ってますか??

あなたを映す、鏡があるのです。

ただの鏡。

でも、あなたを映している。

あなたはあなたに拝んでいるんですね。

ここが神道の凄いところなんだけど、あなたがすべてなのです。

すべてがあなたというか。

アニメのアキラでいえば、ひとそれぞれが宇宙なのです。

それを表現しているのが、曼荼羅。

ま、ここらはどうでもいい話なんですけども、すべては自分で自分の中に答えがあるというのも、こういうところから真実だと私は思うんですね。

ということはなにをいいたいかと申しますと、神でもあるあなたは、神が見ていないからといって、手を抜いたり、いい加減なことをしてはいけない。

その時はいいかも知れないけれど、私が思うに、私達はすべてなわけですから、神である自分はその自分の行為を目の前で見ていることになるんですね。

自分の行為が神である自分にバレバレであると(笑)

これって、相当ダサくないですか??

そんでもって、天はすべてをデータ化してますから、それらがすべて自分の情報として蓄積されていく。

あぁ、なんと怖いシステムなんでしょうか!!(笑)

ここを少し細かく説明すると、前の私のブログにも書きましたが、私達は頭の中にある視床下部という、人間の集合意識と繋がっているアンテナを通して、私達の経験したこと体験したことをすべてデータとして情報をそこに送っているようなんですね。

で、そこから、また、逆に他人が経験や体験した情報をもらって、人間という種全体の進化を促進していると。

このように、私達の経験や体験という情報はすべてデータ化され、人間の進化のため、それら集合意識に集積されているのであります。

恐らくはこれらいろんな種族の集合意識があると思うのですが、それらのデータをすべて統括、集積してる大元締めがこの宇宙を支配する、天なのか神かのか、そういう物凄いエネルギーだと思うのですが、自分そのものを宇宙・神・天として、自らをそれらデータを通して追経験、体験して、自己認識しているのだと思われます。

だから、私達の経験、体験すすべてはこのようにデータ化され、蓄積されてます。

これが天の貯金です。

知らずしらずのうちに、私達は天に無意識の貯金をしているのですね。

いいも、悪いも。

無意識のうちに。

そう考えると、怖くないですか?

無意識のうちに、天にいろんな貯金をしている。

いいものは良く。

悪いものは悪く。

すべてを貯金している。

そして、良いものは良いものとして、運というものなどで現実世界に還元され、そして、悪いものは悪いものとして、それを自分に認識させるために自分に返ってくる、、、

こういう怖いシステムが、天の貯金なのです。

だから、人が見ていようがいまいが、自らの行動を客観視し、自分の行動を律しなければいけないと思うのです。

自分のために。

自分はかわいいですから(笑)

だから、今日も善行で天にいい貯金をするのです。

前述させて頂いたように、私はまだ天の貯金をおろしておりません(笑)

否、無意識におろしており、それを運として利用してしまっているかも知れませんが、自分の行為や想い、すべてはデータ化されます。

だから、どうか、自らそれらを律して欲しいと思うのです。

人が見ていなくても。

逆を言えば、天や神は、私達のすべてを見ているのですから。

あ〜怖(笑)

さ、というころで、私も引き続き、今日も明日も天に巨万の富を貯金しますぞ!(笑)

自分のために!!

ということで、みなさんもごぜひご一考ください!!

そして、また、みなさん、徒然なるままに。



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