BREAK−暗黒日記中間総括パート⑤
ぼくのここ10年で経験してきた暗黒日記も、残りあと僅かとなって来た。
と、その前に、BREAKとして、ここまでの自分の経緯を見た中で、今後の自分の行動を見直すべく、自分なりに中間総括(そんな言葉あるのか?笑)として、分析してみたいと思う。
奇特にも、ぼくの暗黒日記にご同行頂いた方は、すでにお思いの方もいらっしゃるかと思うのだが、
「こいつは、金にうるさいやつだなぁ」
「あ、また、交渉しやがった」
などと、お思いの方もいらっしゃると思います。
当たり前です。
このぼくも自分についてそう思っているのだから(笑)
ぼくは音楽業界時代、これらの話は一度も会社にはしたことがありません。
理由は、それに準ずる、売上や実績がなかったから。
その一言に過ぎます。
まぁ、実績が出る前に会社が潰れちゃったりしたから、結果、交渉する機会を持てなかった、と言った方がいいかも知れない。
でも、基本、ぼくは自分の売上を計算しており、それに基づいた交渉をしているので、取り立てて、これらを悪いことしているとは思わない。
むしろ、ぼくみたいのは、外資みたいのが合っていたのかも知れない。
この自分の中の基礎ができてしまったのは、最初の会社が結婚してたった2ヶ月で潰れてしまったことだった。
その頃から、会社というものの脆さや経営のいい加減さ、人間が管理しているからしょうがないんだけれども、そんなずさんな経営では会社が潰れてしまうという、至極当たり前な現実を目の当たりにして、そんな現実から家族を守っていかなければいけないので、その頃から会社のコストやらなにやら経営者的な側面からものを考えていくようになったと思う。
だから、自分自身の実績にもうるさかった。
前出のぼくのブログにも書いたが、神にでも見てもらうような頑張りと努力を示し、なんとか、ここまで食いつないで来た。
あ、これがいけないんだな(笑)
食いつなぐ(笑)
現状として、食いつなげてはいるんだけれども、別に、食いつなぐのが働く目標ではないよね。
この最初に所属した会社が潰れてしまったのを契機に、お金について、シビアに考えるようになってしまっただけなのだ。
会社は守ってなどくれないので、そこにすべてを任すのではなく、家族を守るため、自分がしっかりしないといけないと。
ようは、目指すはお金であると。
目標がこんなんだから、音楽は失敗した・・・
だって、バンドマンと
「みんなで金儲けしょうぜ!」
「お前はレッドツェッペリンかっちゅーの」
そんなこと、本気で言っていたのだから。
でも、当時はバンドマン含めて、本気だった。
これが当時、ぼくが本気だった音楽・・・
このバンドに関しては、ぼくが移籍するにつれ、2レーベルをまたぎ一緒に仕事をしていたのだが、残念ながらぼくの力ではブレイクさせることができず、この曲が収録されたアルバムを機に、ぼくの手から離れた。
運命共同体と思っていたバンドから
「今後は◯◯のところ(ぼくの知り合い)でお世話になります。いままでありがとうございました」
彼らとは、そんな乾いた言葉を最期に電話越しに聞いたきりだった。
悲しかったが、上を目指すバンドという意志からも、ぼくはこの彼らの決断になんら否定はしなかった。
否定できる実績がぼくにはなかったから・・・
ま、話がそれてしまったが、お金の話である。
ぼくはいつしかお金目当てに仕事するようになっていた、ここが問題のような気がする。
ぼくが音楽業界に入ってきたのは、その音楽的質の向上(国際競争力の拡充)と、歌詞そのものの充実にあった。
歌詞の充実とは、すなわち、ぼくが大学受験時代、大学受験失敗したら人生終わりなのかな?なんて、考えていた自分に、
「自由に生きる方法なんて100通りだってあるさ!」
というフレーズで一気に開眼させてくれたハマショーの音楽ではないけども、このように、実際にひとの人生に還元できるような歌詞のものを増やしたい、そんなことを目的としていたのだ。
上記のことから考えると、先程のバンドマンの音楽はどうなのだ?という気もしなくもないが、音楽的にはまったく問題がない。
でも、歌詞だけは・・・
ま、それだけがブレイクしなかった原因ではないと思うが、ここの軸が相当ぶれていたから、いまのような状態を自分に引き起こしたのかも知れない。
蛇足にも、ぼくはこの日記のパート④の軽トラ時代、実は自分でレーベルを起こそうとしており、そこで下記のようなバンドをリリースしようと頑張ったのだが・・・
BABYMETALの海外での大成功にあるように、これらメタリックな音楽は万国共通かなり多くのコアな支持層があるわけで、このバンドを知り合いである人間椅子の和嶋さんにプロデュースして頂き、まずはオジー・オズボーンの耳までに届けたい・・・
オズフェス出演で世界に向けて・・・
なんてバカな野望があったのだが、こんだけ才能があるのに本当に惜しいのだが、メンバーの体調不良により、ぼくと組んで新しいアルバムを出す前に解散してしまったのだ・・・(和嶋さん、あの時はありがとうございました。その後、ウヤムヤになり、大変、失礼いたしました・・・)
あ、また、話がそれた(笑)
まぁ、みなさんにぼくが関係してきた音楽がどんなだか、聴いて欲しかっただけなのです、スミマセン(笑)
話を戻そう。
軽トラの仕事を選んだのは、ぼくは音楽の仕事であれば電話一本でできるので、午後14時には仕事は終了してしまうのもあり、車の中で音楽の仕事ができないか、という淡い想いがあったのだ。
その時に付けたレーベル名が、これ、
ATMAN MUSIC PRODUCTIONS
ATMANとは、正式にはĀtmanと書き、アートマンと発声するのだが、ヴェーダ哲学でいう真我を意味する言葉で、アーティストの根源の真我から発せられた音楽を届けたい、そんな気持ちから、この名前を付けたのだ。
この軽トラの仕事をしながら1作品他にリリースさせてもらったのが、これ
魂の歌い手、新井英一の最新アルバム。
このアーティストは、ちょっと古い話だが、故筑紫哲也氏に見出されたシンガーで、彼の番組「NEWS23」のエンディングテーマに新井のルーツ、すなわち、在日としてのアイデンティティーを堂々と歌った曲「清河(チョンハー)への道」が起用され、その名を全国に轟かせることとなった人物。
彼の極限にまで自分の魂と向き合った人生からほとばしる、その歌声と言葉は、当時、親交のあった中上健次をはじめ、多くの著名人をも魅了した。その名前は枚挙にいとまないが、まさにぼくのレーベルATMANにふさわしい、否、惜しすぎるアーティストだったりする。
が、悲しいかな、この1作品だけではぼくが音楽一本で食えるまでは売れず、結局、軽トラのオドメーターはただひたすら回り続けたわけで・・・
結果、その時を迎えたのだ。
これはパート⑤で書くつもありだが、今日は中間総括である。
ぼくがこうして失敗した理由は、お金目当てに仕事したこと。であった。
元々は、いい音楽を世に創出したい、日本の音楽業界全体の質を上げていきたい、そんな大きすぎる野望があったのだが、それがいつしか、生活に困るほどの稼ぎとなってしまった・・・
なぜか・・・
やはり、お金目当てに仕事をしてきたからだと思うのだが、では、この歳になって、自分が本気でワクワクする音楽でもやればいいか、ということで、実は去年、自分に最期の掛けとして、再度、音楽復活へ向けて、活動してみたのだ。
それが、下記の2アーティスト。
奇しくも、ぼくとしては珍しい両方とも女性シンガーで、前者のSINONさんは体調不良、後者のShifoさんとは1年頑張ってみたのだが、今までの自分の経験では信じられないくらいことが動かず、音楽の道を断念する結果となったのであった・・・
これらをなんでここで挙げたかというと、もちろん、最終的にはお金が入ってきて欲しかったが・・・
・・・やはり、目的は、金か・・・
だから、ダメだったんだな・・・
布教のつもりで頑張っていたんだが・・・
布教・・・
また、金儲け(苦笑)
純粋じゃなかったって、ことね
あぁ〜、ほんと、むずかしいなぁ〜
その前に、なんとか、生計を安定させねばな・・・
あ、ここもいけないのか・・・
経済、経済、経済、経済だ。ぼくの人生は!
どこまで毒されてんだ・・・
でも、本当、どうすれば・・・・