ATMANの暗黒日記パート①
今日は趣向を変え、ぼくが経験した暗黒の10年から、建物管理編というものから書いていきたいと思う。
理由は、たぶん、もう一度、自分の中で、その暗黒と自分の中で思っている過去を追体験することにより、受け入れ、昇華させたいからだと思う。
至極、私的な内容なので、こんなの興味のないひとばかりだと思うので、適当に無視してやってください。
しかし・・・
前にもここで書いたかも知れないが、この10年、死にものぐるいだった。
音楽業界にいたぼくは、40歳初頭の頃、一度、その業界を諦め、一般の業種に就いてみたことがあった。
理由は、単純。
音楽一本では食えなくなったからだ(実際は自分で食えなくしてしまったのだが・・・。これはまた、後日書くとしよう)
さらには、一般業種で働く、最期のチャンスと考えたからだ。
音楽で飯が食えなくなったのは、それは単に自分の実力がないだけの話なのだが、そこで選んだのは、いや、そこしか結局採ってくれなかったのだが、建物管理の飛び込み営業の仕事だった。
1日、約20件。ただひたすら飛び込み営業をする、というものだった。
自分の住居の関係もあり、配属は都心部となり、営業活動する目的地までは電車だが、そこからの移動手段はすべて足で行った。
1日、約20キロ。すべて、徒歩で行う。
「突然申し訳ございません。わたくし、〇〇の〇〇と申します。本日は建物管理のコスト削減のご提案であがらせていただきました・・・」
みたいな、お決まりの文言を、ただ、ひたすら呪文のように唱え、街道沿いの自社ビルと思われる建物を端から声をかけていくというものだった。
今から約10年前、時代はもう既にネットの時代となり、建物管理のコスト削減など、興味ある会社などは自らネットで調べて対策を講じている時代に、敢えての飛び込み営業、下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる戦法である。
しかも、そこの会社はHPもろくなものではなく、ぼくらが必死で新たな門を叩けども、ぼくらが受付からいなくなった後など、お客様がHP検索をかけたら、さらに契約的にはマイナスとなるような内容のもので、とにかく、それでも、現場であるぼくらは、日々、ひたすら、訪問を繰り返すのであった。
1日20キロも歩けば、たった、1ヶ月で靴がダメになる。
(ある日、履いてた靴の踵が取れ、ものすごく恥ずかしい思いをしたな。しょうがないから、びっこ引きながら近くのコンビニまで行き、接着剤とセロテープかなにかで応急処置をしたけど・苦笑)
そして、入社は4月だったから、日差しはどんどん暑くなる。
それでも、会社では上下スーツが決まりだったから、上着は腕に抱えつつ、会社の受付の電話に挨拶する時は、きっちり着直した。
しかし、暑い・・・
夏は当たり前のごとく、汗みどろとなり、一瞬の避暑の為に寄るコンビニで、水分を買い求め、それを一瞬にしてがぶ飲みする。
1日の営業で約2リットル飲んだ。
そうでもしなければ、暑さで熱中症になってしまうからだ。
それでも、3ヶ月新たな契約が取れなければクビになるので、必死に飛び込み続けた・・・
同期は1人。
でも、少し前に入った同い年くらいの先輩たちが4〜5人いた。
というか、入社して驚いたことに、営業部には各支店長を除き、他はすべてぼくらのような新人ばかりだったのだ。
ッ?
ということは、他の人はみんな辞めていったってこと??
というよりも、契約が取れず、辞めさせられたのか・・・??
月1の営業会議では、戦略などの言葉はなく、社長のお決まりの成功哲学からはじまり、その後、各営業マンの月の実績を聞かれる。
ようは、みんなの前で、吊し上げである。
大体において、その殆どが新しい契約など、すぐに得れるわけはない。
全員、ほとんど他業種から来ている人間で、しかも、大して細かい研修などしていないのだから当たり前の話だ。調子がよかったのは、やはり、その道の見積もりのやり方等を知っている男だったりした。
新人たちは、いつ辞めさせられるかわからない恐怖に怯え、その恐怖を乗り越えるため、また、新たな扉を叩く・・・
そして、ある夏の日、それも本当に暑い日だったが、その日も20件、20キロ歩き、でも、やはり、新規を獲得できずに心身ともに疲れ果て、電車で寝ながらの帰社途中、隣に座る女子高生が、ボソリとなにか言った・・・
「なんか、臭くない??」
そうだった・・・
それは夏の暑さで汗びっしょりになった自分の汗の匂いだったのだ・・・
これだけ真剣にやって、なんにも契約が取れず、好きで汗かいているわけでもないのに、迷惑がられる自分って一体なんなのだろう?
そんなやり場のない想いに気持ちを沈めた日もあった。
その当時は汗をかきすぎているせいか、ものすごくやせ細っていて、当時の息子は風呂上がりのぼくを見て「エヴァンゲリオンみたいだね」と言った。
それを言われ、鏡に映した自分の姿は、確かにエヴァそのものだった・・・
その後、それから、ただひたすら来る日も来る日も新たな物件に飛び込み続け、ある日、自分で決めたルートすべてを飛び込み終わり、結果、見積もりの約束すら取れず、最後に夕暮れの多摩川を目の前にした時・・・
「俺は一体なにをやっているのだろう・・・」
「死にたい・・・」
人生ではじめてそんなことを思ったのだった・・・
大体、先方から言われるのは、
「いりません」
当たり前の話だ。
まずは、その大体が必要としてないんだから。
でも、この「いりません」って言葉をずっと聞き続けていると、自分なんか「いりません」に聞こえてきちゃうんだよね。数字が低くけれゃクビになるわけだから、尚更。
心臓に毛が生えてなけりゃ、大体、そうなってくる。
で、実際、同僚の1人がトンだ。
これは別に死んだわけではなくて、それまで1番数字の良かった男が最初にトンだのだ。
トンだ、とは、連絡がとれなくなったということで、いまを思えば、うその成績を積み上げ、それで逃げた・・・そういう感じなのかも知れない。
でも、小心者のぼくは多摩川を前にして、そのまま身投げすることもできず、やはり、前の日と同じように帰社し、そして、家路につくのだった。
家に帰れば、疲れた足をマッサージしてくれる妻もいる。
こんなぼくでも慕ってくれるかわいい息子もいる。
そんな家族のため、次の日も、そして、次の日も、新たな門を叩くのだった。
結果、契約率といえば、1/2000。
真剣に、本気でやって、この契約率。
ここの会社は規定が厳しく、単発の仕事は売上に換算してくれない。
換算されるのは、年契約など永続的な契約のみだ。
ぼくはあるチェーン店を掘り当て、そこから年1回という、一応、永続的な契約を数多くとったりしたんだが、いかんせん、数字が低すぎたので、売上にはほとんど換算されはしなかった。
そして、その後、事件は起きたのだった。
ぼくが飛び込んだ病院で、現状の建物管理をする会社からクレームが入ったのだ。
いわく、うちの案件には手を出すな、と。
そのために、うちはあんたの会社に〇〇の建物の管理を任せてるでしょ、みたいな。
そんな、どうしようもない業界のクズ話を、ぼくは支店長とともに、ただ、だだっ広い会議室で聞かされるのだった。
ッ?
自分としては、はじめて、結構大きな契約が取れそうなのに、会社のせいでこの案件は取れないってこと??
ぼくには意味がわからなかった・・・
こんだけ苦労して取ってきた案件を、たまたま飛び込んだぼくが悪いような言い方で、さらには取れそうな数字も会社のせいで取れないのだ。
なんじゃこりゃ!?
これ、どう対処すればいいでしょうか?
というぼくの質問に、当時の専務からも、この件に対し、なんら申し開きもなかった。
ぼくが運が悪かっただけの話で、とっとと、次行ってください、みたいな。
でも、ぼくにはクビがかかってるのだ。
ぼくだけではない。
ぼくだけだったらいいが、ぼくにはぼくが養わなければいけない家族がいる
それをこんな件で路頭に迷わすわけにはいかない・・・
特に、ぼくの場合、そういった自分の家族の身に危険がふりかかるようなことがあると黙ってはいられないタチなのだ。
その専務などが「その物件はもともとそういう約束だったんでゴメンな。今回の件があったので、今月は実績無しでもいいよ」とかあれば話は別だが、そんなのも、支店長からのフォローもなし。
ぼくはこの日を堺にこの会社の姿勢に見限りをつけ、新たな道を探しはじめたのだった・・・
それから半年後、約2ヶ月間に渡る1日も休みなしの、連日時間外の超異常で苛烈な仕事内容に朦朧としていたぼくは、結果、凡ミスから会社に大穴をあけることになってしまったのだが(あの時はゴメンナサイ)、それを理由として、この会社を辞したのだった・・・
ま、全力でやってその契約率の低さだったから、結果、その会社ではその当時のメンバーは、ほとんどいなくなったみたいだけどね。
あ〜、怖っ
が、しかし、これは、まだ、ぼくの暗黒時代の序章に過ぎなかったのだった・・・