真性S女 アトリエ・エス と行く万葉のたび
第二十三回 海外篇
大宰府を今の感覚で捉えたら間違う…
いいましたよね。
では更に一歩進んでこれはどうだ?
いざ子ども 早く日本へ 大伴の 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ
(万・巻一63)
天離る鄙の辺境地どころではありませんよ。
万葉集唯一の大陸で詠まれた歌…
なんと、なんと、これ、外国で詠まれた歌なんです。
山上臣憶良大唐(もろこし)にある時、本郷(もとつくに)を憶(おも)ひて作る歌ってことで、第7回遣唐使に従って渡唐してた山上憶良の帰国の折の歌なんです。
私、万葉時代に外国に亘るのは今日、有人宇宙船で宇宙空間に飛び立つのにも匹敵する、いやそれ以上の大冒険であったに相違ありません、と申しました。
ただ時間がかかるだけではない、当時は脚で歩くか手で漕ぐかしか移動の手段がなかったんですよ。
歩く漕ぐの実体験が距離感をより実感ならしめ、彼らの内心をして「天離る鄙」の思いを具象化させしめていたのでないでしょうか。
さて、「子ども」とは、チルドレンのことではありません。部下に対して、親しみいうことばです。
さあ、みんな、早く日本に帰ろう。いまごろ大伴の御津(みつ)の浜松も、さぞまちごがれているだろう。
「大伴」は、大阪湾に面した大阪・堺付近の総名。この一帯が大伴氏の所領であったんでしょう。
「御津」は、難波の御津。大阪市南区心斎橋筋の三津寺町の名は、その遺称とか。
巻一-六三ということで憶良の一番最初の歌です。
そのとき憶良、45歳、随分とまた高齢デビュー、、、
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