真性S女 アトリエ・エス と行く万葉のたび
第四十五回 南紀白浜路篇
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
(巻二142)
有間皇子の牟婁の温湯(=むろのゆ)、今でいう処の南紀白浜温泉に向かう道中の歌で、ワリとメジャーですよね。
んで、どういう意味なんだろう?
家にいたならちゃんと食器に盛って頂くことのできる食事も、こうして外に出でてしまうと護送役人、ああ実はこれ謀反の嫌疑が掛かっての護送旅なんですわ、
役人が蒸しあがった、当時はデフォルト蒸し飯です、ご飯をそこいらにあった椎の木のはっぱかなんかにポンとあけて「さあ食え」って差し出してくる。こんなメシが喰えるか!
この解釈も根強いですね。
或いは戦時中なんかは、「我国の皇室の先祖は質素であられた」
そうでしょうか?
ここで注目すべきは、二首連作の後の方であるということです。
えーっと。『自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首』とある。
そして前の方の巻二141が、
磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また帰り見む
どうせ処刑確定で帰ってくる事もないだろうけど、せめてここでは願掛けでもしてみよう、
と敬虔な気持ちで詠んだ歌の対が「こんなメシが喰えるか!」じゃおかしいですよね。
答え。これもまた神事です。
食事ができたら先ず土地神に捧げて旅の無事を祈る、
これで141と一貫します。
犬養先生は歌の風土を実際に歩いてみて、生命の象徴である木の葉に食物を盛って土地神に捧げる風習をみつけられてましたが、ここでは割愛します。
例えば柏餅なんてのがある、分り易い例で結ぶことにします。
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