お勧め『公募ガイド 詩を書こう 2018年7月号』(ブログ2/5からの転載)
皆さんにお勧めしたいのが『公募ガイド 詩を書こう ’18年7月号』。
公募ガイド自体はご存知だと思いますが、意外と知られていないのが、詩を単独で特集したものは、
ここ5・6年、いやもしかしたら、12年前ぐらいからだと、この号が唯一で、初めてかもしれません。
短歌や俳句の特集号はたまにあるんですがね。
文字通り、小説志望者人口、俳句・短歌創作者人口のニーズが大きいので、
絶滅した現代詩愛好者のマイノリティには、見向きもされなかったのでしょうか。
この特集も最果タヒ効果で、組まれたものだと思っています。
ですから、もう二度とない特集なのかもしれません。
実際、あれから、3年半、ありませんから。
もちろん、僕は新刊時に手に入れて、電子書籍ですから、時々、見返してました。
でも、4年ほど経過して、改めて本気で全部見直してみて、面白いと感じました。
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普通の詩の書き方本当は、一味違う観点から的確に、そして固くない読みやすさで書かれていて、
ぜひお勧めです。
もう公共の図書館では置いてないと思われるので、ぜひ電子書籍でお買い求めください。
今、貞久秀紀先生の詩集をはじめ、自分の好きな詩人の詩集を読み返しています。
詩って、小説と違って、読むたびにガラリと読みが変わるのが面白いですね。
たった3年前なのに、こちらの腕が上がると、全然違って、深読みできるんですよね。
特に、個々の作品じゃなくて、詩集単位での波及効果も今は読み取れるので、前とは全然違います。
特に僕はまだまだ自分の詩がわかってないので、こんな書き方、こんな見方があるのか、勉強になります。
また、おそらく僕は、純粋の詩人にはなりきれなくて、小説的な物語性への志向があるので、
自作もどうしても、その面で書いてしまいます。
完全なる私小説的な独白傾向には、忌避感、気恥ずかしさが残るんです。
さて、『季刊 びーぐる』での、詩集時評での中村不二夫さんによる、僕の詩集『ことわり付喪神』の講評の続きです。
「他に、近年一般読者に支持される和合亮一や最果タヒなどに文体が似ている。和合の震災詩がコロナ関連詩に替わった印象か。」
とあったんですが、
和合亮一さんの散文詩の文体がどうなのか、読んではいるし、詩集も持っておりますが、僕には全然把握も吸収もできていません。
また、最果タヒさんも詳しく分析も完了しておりますが、それこそ、あの言語感覚はトレース不可能という結論です。
まあ、最果タヒさんは世代は大きく違っても、同じ神戸出身なので、何かしら通じる部分はあります。
(うまく言えませんが、言葉へのこだわりの無さというか、軽み(?)を含んだズラしというか、本能的に出来る、これは自分の中にもある、と思う部分はあります。いつか、言語化できるでしょうか?)
たぶん、中村さんが感じた一般性は、先ほど述べた、僕の中の小説・志向(=嗜好)とも、むしろ繋がっているんじゃないかという気がします。