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詩集単位の公募賞について令和6年の覚書

詩の話題を書きます。
詩について、詩を書き始めの人や、全然、詩のことを知らない人には、目新しいことを書いておきます。
(ただ、僕もそれほど深く詩界に関わっておりませんので、誤解もある書き方もあるかと思いますが、一般の方向けにわかりやすく省略して書いております。ご容赦ください)

詩の公募賞は、1篇単位の単独で応募できるところと、奥付けのある詩集単位でしか応募できないところがあります。
基本、詩集は谷川俊太郎さんと最果タヒさん以外は、どんな有名なプロ詩人であっても(高校の教科書に掲載されるレベル、文学史に名前が残され刻まれるレベルの方でも)、自費出版がメインになります。

もちろん、その作者の選集として編まれたもの、例えば、まだご存命で、現代詩人であっても『高階杞一詩集』などは文庫 (ハルキ文庫 た 23-1)で出てますが、
あれは売れると判断されたもので、レアなケースです。

(高階さんの詩は、吉野弘系のすごく平易な言葉で読みやすく、かつ奥が深い抒情詩が多く、詩を普段読まれない方にも支持されやすいから、角川のハルキ文庫で編まれたのでしょうね)

で、前者の中で「現代詩手帖賞」や「ユリイカの新人」など、年間の最優秀詩人に贈られる賞は、唯一の例外として、受賞したら、プロ詩人扱いになると思います。

あと、最近できて歴史が浅くても、西脇順三郎賞の新人賞も詩の専門出版である思潮社がバックアップしているし、受賞している方々がそれなりに名の通った方々なので、
その二つに準ずる、一発でプロ詩人扱いに近くなりそうですね。

それら以外にも、詩の賞はあるのですが、ほとんどが小説でいう地方文学コンクール扱いかもしれず、正直、どういう位置づけだかよくわかりません。

同じように、プロ詩人に準ずるものとしては、詩誌「詩と思想」新人賞や、日本現代詩人協会主催のWEB「現代詩投稿欄の新人賞」や、僕も優秀賞を受賞した日本詩人クラブ主催の「新しい詩の声」が、
もしかしたら西脇順三郎賞の次に来るグループだ、という認識している感触があるのですが、どうなのでしょう。

詩界の重鎮の関西在住の偉い先生方とお会いする機会もあるし、プロ詩人の方と飲み会でお会いもする時もあるのですが、失礼なので、そんな位置付けをお聞きできませんしね。

一応、今回の判断基準は、パブリックな出版社が公認したかどうかで、得点を高くしております。

さて、ここからが今日の話題の柱なのですが、こうしたプロとアマの境界が曖昧な詩界なんですが、これだけは、はっきりしていることがあります。
それは「詩集単位の公募賞で、受賞したら、誰からもプロ詩人認定される」ことです。
前述の、現代詩手帖賞を受賞しても、詩集単位の受賞がなければ、まだ半人前扱いがどこか残る気がします。
(あくまでも、僕個人の憶測と、感触です)

ところが、詩集単位の賞はあっても、権威あるもの、例えばH氏賞(本来の詩界での芥川賞的な、栄えある正統派の新人賞です。中也賞は少し違います)や、萩原朔太郎賞、読売文学賞などは、推薦形式で、公募ではありません。
H氏賞を除ければ、これらは中堅以上の賞ですね。
他にも、日本詩人クラブや日本現代詩人協会の主催する、権威ある賞があるのですが、僕は両団体に所属していないので、ここでは触れません。

じゃあ、公募の詩集単位の賞に、何があるかというと、現在、応募できるのは以下の六つです。
(「予」取るのは、前回からの予想日付の推定です。
 この他にも福田正夫賞などもありますが、地域限定や詩誌の同人限定だったり、推薦式のようなので割愛)

①中原中也賞(4/1〜〆切11/30)……新人賞
②小熊秀雄賞(?〜〆切1/31)
③丸山薫賞(4/1〜〆切6/30)予
④小野十三郎賞(5/1〜〆切7/10)予
⑤富田砕花賞(5/6〜〆切7/31)予
⑥西脇順三郎賞(7/1〜〆切10/31)予……中堅以上(?)か、もしくは超ベテラン・レベルかも。非新人なのは確定。

前回、第1詩集で応募した感触で受賞者の方のレベルを考えると、中也賞以外はベテランや中堅の方以上も応募されています。
結果、それらの方々が受賞しているので、たぶん、ぽっと出の新人はほぼ受賞しない気がします。
特に、⑥の西脇賞は、新人は1篇の詩へ応募してね、のスタンスなのは明らかですね。

第1詩集の時は、そこら辺が全然わからなくて、淡い期待を持ちましたが、(笑)、お呼びじゃないんですよね。
②から⑤の位置付けがわかったら、またまとめて報告したいと思います。

今回の第2詩集『さよなら 家康』も、一応、中也賞以外の残り五つも応募はしますが、参加するだけです。

むしろ、僕が気になるのは、中也賞の『ユリイカ』選評の掲載以外では、西脇賞の『現代詩手帖』しか講評のパブリックな誌面に載らないこと。
結果、②から⑤は一般の文芸読者はもちろん、おそらく雑誌編集者などにも認知されないままであること。

これって、現代詩の詩界の蛸壺化にますます拍車をかけてますよね。
前述したH氏賞ですら、賞の認知も中也賞に圧倒的に負けているしね。
唯一、萩原朔太郎賞が『新潮』に選評が載ることしか、僕も知りませんよ。

これをお読みの、詩界の方々、お金を出して記事を書いて、文芸誌に宣伝しましょうよ

と、いろいろと書きましたが、僕は8年前まで詩が書けなかった人間です。
詩を書き始めても、3年前までは(急に思い立って、第1詩集を出すまでは)、詩集なんてまだまだ先で、
死ぬまでに1冊出せたらいいね、と信じておりました。

ですから、この’24年に第2詩集を出すこと自体も、’21年の1月初めの時点までは予想もしてなかったことなんですね。
当時は、同じ自費出版でも、私家本と、普通の出版社の本の区別がつきませんでしたし。

詩集を出すのは、選ばれた実力のある人だけなんだと思ってました。
では、ないんですね。

でも、駄文集を送られても困りますから、出すのなら、あるレベルを越えないといけない、とも思っています。
僕の出す第2詩集が、100万円近くかかる立派な思潮社の詩集で中身のないものには、負けない価値があって欲しいなあ、と願ってやみません。


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