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冷めてドライな私も、フィジー帰りなら、路上アーティストを応援するくらいには暑苦しい

蒸し暑い南国から成田空港に帰ってきたら、ほぼ寄り道することなく、まだ肌寒い空気の中のバスタ新宿に向かった。ふと、ビル前で、1年前なら気にも留めなかった路上アーティストに、ぐっと気持ちを持っていかれたのは、理想を追い求める強さを知った1年だったからかもしれない。


フィジーの人たちがいかに陽気でかわいいかを話す私の鉄板ネタが、住んでいるところエピソードで、

仕事で会ったおばちゃんに
「どっから来たん?」て聞かれたから

「Lautokaやで」って答えたら

続けて
「え!?Lautokaのどこ?」
て言うから

「Waiyaviに住んでる」ってまた返事したら

「まじー!!私もWaiyavi出身!」って言って、とんでもなく爆笑し始めた話。

まあ確かに、新しく接点持った人とたまたま地元同じやったら、かなりテンション上がるけど、お腹抱えて爆笑するかと言われると、そこまでではない気がする。そもそも爆笑するような"面白い"ことではないからね。

でも、そのおばちゃんが爆笑し始めたら、こっちまでおかしくなってきて、結局笑い始めて楽しくなった。

こんな感じで、日常の些細なことでも、小学生みたいにケタケタ笑うフィジーの人たちがいる場所で過ごした1年を経て、「今」何を考えているか、備忘録的に書いてみることにした。

で、それを結論ファーストで分かりやすく書きたかったけど、想いあふれすぎて背景から書いちまったので、味わい深く、最初からゆっくり読んでいただけるとうれしい。


仕事は「脱・夢で終わる人」のプログラム運営


フィジーでは、「SIF Academy(シフアカデミー)」という、海外研修プログラム事業を運営する会社で働いてた。日本人の学生・社会人を対象に、社会課題を解決できる人材とビジネスを生み出すことをテーマにしたプログラム内容になっている。

その中で何してたかというと、主に3つで、

  1. プログラムにおける集客施策の立案・実行などのマーケティング業務

  2. 興味を持つ人へのカウンセリング、参加するまでの渡航前研修などのサポート

  3. プログラム実施中における現地コーディネーター業務、参加者へのコーチング業務、プロジェクトマネジメント...など

これ以外にも、滞在の後半では、事業の中長期計画の立案なども任せてもらえた。わかりやすくいうと、コンテンツ作るところから、参加者のプロジェクトの伴走・壁打ちまで、全部やっちゃうよ~~て感じ。

プログラム運営中に、ココナッツジュースごくごくの私。
これも仕事。
プログラム運営中に、マングローブ林の泥に埋もれたビーサンの鼻緒が折れて落胆する私。
これも仕事。
プログラム運営中に、キャッサバでフードファイト中の私。
これは仕事?


ただ、わたしの仕事内容以上に伝えたいのは、めっちゃ最高なプログラム運営してたな〜てこと。

じゃあどんなプログラムなのかっていうのを説明する前に、フィジーの前提知識を伝えると、フィジーはGDPの最大項目を観光が占める「観光立国」で、いわゆる青い海と広い空のリゾートがある国。

こんなかんじ〜①
こんな感じ〜②

▼存分に魅力が伝わるTourism Fiji公式アカウント


それでいてさらに、「主観的幸福度第1位」の国なんていう肩書きの合わせ技も持つ、ハッピーポカポカ南国なわけである。(本当にそうなの?みたいなことに対しては、色々言いたくて白熱しちゃうから、ここでは省く。)

このおむつの会社の車を見た日は、1日幸せって社長が言ってた。
ほんまかいな。


でも実際は、GDPも世界150位台。まだまだ経済発展段階の国で、その水準に応じた社会課題もたくさん残っている。

その代表例がこれ。

そう。ゴミ山である。
フィジーにはゴミ処理施設がない。回収されたゴミは、種類に関わらずもれなく全てこのゴミ山へ行く。

冗談抜きで、どこまでも地平線上にゴミが続いていく。高さは、ちっちゃいビルくらいは余裕である。

犬もたくさんいて、息が詰まる。
何回見ても慣れないし、慣れたらいけないと思っている。


余談にはなってしまうけど、私は、フィジー滞在中にこの景色をSNSに載せることはおろか、友だちや家族にも一度も見せなかった。というか、できなかった。

なぜかというと、フィジーを知らない人のイメージをこのゴミ山の光景にしてしまうのではないかと思ったから。

アフリカを例にとると、よく教科者や一部のメディアで、貧しい、治安が悪い、募金が必要みたいな写真や動画が使われがちな気がしていて、少なからずそれに直結するイメージを持っている人もいると思う。嘘ではないにしても、一側面にしか過ぎないのに。それと同じような感じで、フィジーの負の部分だけで、勝手な判断やイメージを持たせたくなかった。

さらに言うと、先ほど書いたように、フィジーは観光立国なので、この事実を伝えることがマイナスプロモーションにもなりかねない、という理由で余計にできなかった。

SIF Academyでは、こういった「ごみ問題」を中心とした社会課題に向き合っている。

過去の参加者は、
「コーヒー×ごみ問題」「花×ごみ問題」「ラグビー×ごみ問題」など、なんじゃそりゃ、というテーマでプロジェクトを立ち上げてきた。

ふつうであれば、ごみ問題を解決するとなると、ごみ処理場を作る、とか、分別施設を作るとか、がぱっと出る策だと思うが、そういうのはしない。

あくまでも参加者の「内発的動機」を主軸にして、社会と自分をつなげる経験をすることを重視している。

さっき挙げたごみ処理場などの例が、なんかできそうな、うまくいきそうなで考えた「Can」のプロジェクトだとすると、このSIF Academyで求められるのは「Want」で考えるプロジェクトである。

キャリア積んだ社会人も参加してる

現地の行政や学校で英語でプロジェクトをプレゼンし、それを実行するために、各所へ自分で交渉しにいき、アウトプットを出す。運営がスケジュール組んで「これやってね」という場面はほぼない。あくまでも伴走するだけなので、どこに行って、何をするかも自分で決めるし、まさに参加者自身の戦い。ヒリヒリしまくりや。

そんな、傍観者でいられない、まさに血、汗、涙って感じの環境で、参加者がチャレンジしまくっているのに、運営の私が挑戦しないなんて許されるわけなかった。

血、汗、涙を共にした参加者と感動の別れ

そもそも、私こそ、フィジーに渡航する前は、「自分が何をしたいか」という意思を持たないタイプで、当事者意識や責任がなかったんだと思う。利他であることや協調性を持つことと、当事者として意思を持って物事を推進することを表裏一体のものだとしていた。

実際、この会社に採用された初日にも「矢面に立ちなさい」という一言をもらった。それを聞いた最初は、私からすると、それ以前に学生団体の副代表で結構ハードな経験もして矢面立ちまくってるやろ、と、社長を見当違いのおじさんとしか思うことしかできなかった。

だけど、見当違いだったのは私のほうで、この言葉の意味を理解するのに、ずいぶん時間がかかってしまったけれど、参加者のチャレンジし続ける様子を近くで見ていたからこそ、気づくことができた。

また、何より、SIF Academyが「1歩で世界は変えられる」ということを教えてくれた。何の綺麗ごとだ、と思われるかもしれないけど、本気でそう思っている。

一人ひとりの一歩は小さいかもしれないけど、その1歩が積み重なり、実際に、企業や行政との継続的な取り組みが始まったり、さらにはプロジェクトが首相にまで届き、メディアやSNSで取り上げてもらったりしたこともあった。SIF Academy自体、始まってまだ2年足らずだが、参加者一人ひとりの1歩があったからこそ、見えた景色がある。そして、そこからまた新しい道筋が見える、という繰り返しで、必ずフィジーの未来をいい方向に動かす団体だと確信している。

SIF Academyは「ずっとやりたい」と思ってたこと本当に今やれてるんやっけ?と思う人や、そもそも「やりたいこと」なんてなくて、夢中になれるものも何か分からん、みたいなこと考える全ての人におすすめしたい。

あとは、ど直球に、こういうソーシャル系の話、興味あるけど、何したらいいかわからんみたいな人ももちろんおすすめ。

最近、社内で出てたおすすめしたい人の表現の中では、

「脱・夢で終わる人」

って言葉が私はめちゃくちゃ気に入っている。

ほんとにざっくりとかいつまんだ説明だけで

「なんでそもそもフィジーなん?」
「プロジェクト考えるとか、ハードル高いな」
「英語全然喋られへんから無理やろな~」
「サポートどれぐらい充実してんの?」
「ごみ問題しか取り組まれへんの?」

とか、色々突っ込みどころあると思うから、ちょっとでも面白そうと思った人は、下のInstagram覗いてみてね~。(常時、スタッフの無料相談会もやってるで。)

手放しで愛をくれるフィジーと私のプライベートと旅


仕事以外でも、日々過ごす中でいろんなことを感じてきたけど、自分の中で大きなハイライトの1つは、フィジー滞在中に実のおばあちゃんが亡くなってしまったことだ。

年があけて数日、フィジーはちょうど日付が変わって、もう寝ようかな~と部屋の電気を消したころ、父から訃報の電話があった。

フィジーと日本は時差3時間しかないので、もちろん向こうも夜。この時間に、突然の電話。電話を取る前から、絶対なんかあったな、とは思った。

「フィジーの写真見せてもらってるで。元気そうで嬉しいわ。あとちょっと、頑張ってな。」

そうやって、元日に親戚が集まっているところで、ビデオ通話したのが、最後になってしまった。

おばあちゃんとの最後の会話を思い出したとき、ふと自分がどんな写真を家族に送っていたのだろうと、LINEのトーク履歴をさかのぼると、半年で家族に送った自分の写真はわずか2枚だった。

たった2枚。

たった2枚からでも、元気そうで嬉しい、と言ってくれる。本当はもっと心配してるはず。

それなのに、私は自分のことで精一杯で、それだけしかできていなかった。

次の日も仕事だったけど、その日は朝まで涙がボロボロ止まらなかった。

だけど、隣の家から聞こえてくる陽気なフィジー人の歌声を聞いてから、安心したのか、1時間くらいは寝れた。

さらに、そのあとも、知り合いのおばちゃんにお花をいけてくれないか頼んだ。

仕事は別にあって忙しいのにすぐに対応してくれて、私がおもわず泣き出すと
「泣かないで。辛かったらいつでも遊びにおいで。」
と言ってくれた。

同じ海外でも、フィジーでよかった。
フィジーじゃなかったら、もっと耐えられなかったかも、と思う。





そこから2週間くらいは、
「もうしばらくは大阪に離れずいようかな」と考えていた。
旅がだいすきで、とにかく海外に行きたい、何なら海外で働きたい!と思う日々だったのに、いろんなところを飛び回る弊害で、大切な人と離れることが怖くなった。




変わったきっかけは、休暇を取って行った1月中旬のニュージーランドの旅だった。

これでもか、と言わんばかりの雄大な自然。ロードトリップだったので、車からどこまでも広がる大地を眺める時間は、たくさんある。

そのとき、やっぱり私はワクワクしてしまった。
自然と対峙したときに出る、内からのエネルギーと感情は何にも代えがたかった。

頭でわかっていたリスクもはじめて直に経験した。だけど、この言いようのない感情と出会うために、それでも私は、何度でも旅に出たいんだ、と確信した。

旅に限らず、どんな選択にもリスクや別れはある。選ばなかった道のほうが、正しかったんじゃないか、なんて後悔やたらればを0にするのは難しいのかもしれない。

だけど、きっと無くならない不安の逃し方は、限りなく0に近づけるために、自分で決めること。選ばないことではなく、選んだ中、できる最大限で目の前の人に感謝を伝えること。

ニュージーランドの旅は、私にとって、チューニングのような、自分を整える時間になった。




おばあちゃんが亡くなったと知らせを受けた次の日は、奇しくも週2回しか飛ばない日本への直行便がある日で、そのとき帰っていたら、ギリギリ葬儀には間に合っていたかも。

でも父と母は、帰りたいと言う私を諭すように
「そんなことしても、おばあちゃんは喜ばんよ」
と言った。色々意見はあるかもしれないが、このとき帰国させないことは、私の両親なりの最大の気遣いだったと思うし、実際、帰っていたら、私はもう1回フィジーに戻ることはなかった気がする。

私は” 自分で ”長期で海外に行くという選択をした。NZの旅もあって、その選択の中で、全力を尽くすことが、おばあちゃんへの恩返しと礼儀だと思うようになり、2月から始まるSIF Academyの運営を前に、本気で参加者全員と向き合うとより一層強く誓った。

今思うこと、これから


ずいぶん長い前置きだった。この1年を通じて決めたのは

例え何も変わらなくても、泥臭く最前線で動き続けるということ。

文字にしちゃうとたったそれだけだし、安っぽさすら感じる。

だけど、難しいことは至ってシンプルで「覚悟すること」だと思った。

やればやるほど、高い天井に気付く。
憧れる人たちが立ち止まった壁が見えるようになる。
拡散から収束させるほど、逃げ道がなくなる。
キラキラした全能感もいつの間にか溶けてしまい、
自分の実力不足や夢の遠さに挫けそうになる。

だから「覚悟すること」の怖さと強さを知った。

でも自分の理想を追いかけない人生はつまらないと思った。

もしかしたら意味のない(そうはさせないけど)、かなり遠回りをする可能性もあるけど、

それっぽい幸せになりそうな人生を送るより、泥臭くて、汗まみれで、ダサいかもしんないけど、その人生の方が私は愛せるなと思う。

具体的に何をしたいかと言うと、機会数の多いコミュニティ、ひいては挑戦者の集まる地域を作り、各地域への関係人口を増やしたい。

そして、「TOKYO」や「KYOTO」のように、固有名詞で世界で知られる都市が増え、結果的に日本が盛り上がるというムーブメントを創りたい。

堅い感じになったけど、要はもっとイケてる地域たくさんつくりたいな〜て感じ。

自分のこれまでの人生でワクワクしてきた「コミュニティ」と「地方創生」と、社会に対する「教育」への課題感みたいなものを繋ぎ合わせ、取り組みたいと思えるものがこれだった。

表現の仕方や手段は変わるかもしれないけど、この3つのワードは自分の軸として変わらない気がしている。


ただ、こうやって言葉にしてみたのも、3月の帰国直前とかで、漠然としたイメージと、自分の中でハマってない浮ついた言語化で、言葉だけが上滑りしてる感がすごい。多分、経験も知識も足りてないから、ドンピシャの表現が見つかっていない。

地方創生という言葉にも、実はすごくムズムズする。それに代わる言葉も分からないので、なんと表現したらいいのか分からないから使ってるけど。
感覚で言うと、途上国支援という言葉に似ている。先進国、途上国、どちらが上でも下でもないのに、勝手にそういう構図をつくりあげているような、そんな感覚。


だからこそ、もっと自分の中で力を蓄え、解像度を上げるために、フィジー帰国前後から、自分のやりたいことを口に出して、プロジェクトの立ち上げ・管理に関わったり、新しいコミュニティに参加したりしている。卒論も、より理解と知識を深めるために、この分野で執筆する。

自分の目指すものが既にあるものなのか、それともイノベーション待ちの何かなのか、それも分からないので、インプットもアウトプットも両方大事だなと思い、とりあえずやってみると勉強するを同時並行している最中。

これが合ってるかはわからないけど、決めたもんは決めたもんなので、ちゃんと、とことんやってみたい。


ちなみに就職も、ありがたいことに、ご縁のある何社か内定もらった中で、今の自分のやりたいことに1番近い、私のパフォーマンスを発揮して成長できそうな1社を選んだ。

みんなが名前を知ってるような企業からも内定をもらったので、「え?なんでその選択なの?(純粋な疑問じゃない質問)」みたいな声をもらったこともあるけど、自分的にはこれでかなり納得している。


こんなことで思いを巡らせるなんて、先ゆく人たちからしたら、とっくに超えたスタートラインでしかないし、死ぬほどしょうもないかもしれない。

そもそもこうやってnoteに残さないとやってられないのも、青くて未熟。

だけど、自分はそこに至ってないという現状とレベルを飲み込みつつ、その人たちみたいに、1年後、2年後にこのnoteを見返して、甘いこと言ってんなぁと未熟さを小馬鹿にできるくらい、こっから走り抜けたい。


長くなったけど、これからも、あったかい目で見守ったり、一緒に高めあって最高の仕事したり、厳しくぶった切ってもらったり、いろんな角度から関わってもらえると嬉しいです。


余談

書ききれなかったけど、滞在3か月目くらいから、Notionで日記みたいに死ぬほど経験や感じたことをメモってて、自分の中で消化できそうなものだけnoteにした。
海外に住んで、現地の人たちと密に仕事をして、感じる気持ち、巡る考え、恋しさを経験できて、本当に良かった。良かったなんて言葉がまた浅いんだけど。いつかまたそれも、ゆっくり、アウトプットできたらいいな。

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