思いやりに必要なのは想像力
「道端で転がって泣き叫んでいる子供は、家で
どんな教育を受けているんだろうって思ってしまう」
これはとあるSNSで見つけたものを一部書き換えたもの。
書いた本人も子供がいるママ。
「自分は子供が悪いことをしたらきちんと叱っているし、
叱ったら子供は言うことを聞くものだ」
という主張をされていました。
でも、本当にそうでしょうか?
相手は人間です。
それぞれ個性があり、親が言ったことを
誰もが100%言うことを聞くのであれば
こんなに子育てで悩んでいる人たくさんいないですよね。
実際、うちの子も小さいとき、道端で寝転がって
泣きわめいたこと何度もあります。
そこで叱りつけると逆効果のため、安全な場所へうつして
寄り添うしかありません。自分も泣きたい気持ちをこらえて。
そんなときに、「大変だね」と温かい言葉をかけてくれる人と
冷たい視線を送ってくる人、両極端だったな、と思い出しました。
自分の子供は聞き分けが良い=だからよその子も同じ=しつけをしていない
SNSに親が叱っていないから、というようなことを書いた方の頭にはこのような図式があるのでしょう。
「もしかしたら」いくら言っても聞かないのかもしれない。
「もしかしたら」何か特別な理由があるものかもしれない。
「もしかしたら」ママもすごく困っていて手がつけられないのかもしれない。
そういう「想像力」が完全に欠如しています。
「思いやり」って相手の立場にたって心情に寄り添うこと
だと思うのですが、これってなかなか子供には難しく、
大人でも難しい場合があります。
自分の常識を取り払って相手の気持ち、状況を
想像する必要があるからです。
やはり、そんな共感力を大人になってから
身に着けるのは、身にしみ込んだ常識や当たり前、
思考の癖が邪魔をするので相当難しいことのはず。
だったら子供のうちから
心を育てる会話をしていきたい
子供に寄り添い、共感し、想像力を高める会話力を実践中です。
「Why?」なんでだろ?と
たくさんのことに興味を持ち疑問に思い、
自分で考え、その気持ちをママに受けとめてもらいながら
育つことで、相手を思いやるための「想像力」も
自然に育っていくのだと思います。
私もまだまだ主観的になりがちな部分もあるので、立ち止まり、「これは思い込みじゃないか?」と自分に問いかけながら成長していきたいです。
日々、人とのコミュニケーションの難しさと喜びをかみしています。