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「かわいい」のが好き

「かわいい」のが好きなのです。
私は赤ちゃんが大好き。
わんちゃんやねこにゃんも大好き。
アイドル全般ではありませんが、乃木坂46が大好きです。

これらが好きな理由について、一般的には「本能的な影響」があると考えられるでしょう。
たとえば、赤ちゃんや犬猫を愛おしく思うのは、父母性や「守らなければならない」という本能が働いているから。
また、アイドルが好きなのは、性的な本能によるものだという解釈もあるでしょう。

こういった考え方には、一理あるのかもしれません。確かに、それらの側面がゼロだとは言いません。
しかし、私にはどうにも違和感があります。

そもそも「かわいい」のが好きなのです。
守るべき存在だとか、性的な欲求だとか、そういったことを超えて、まず単純に「かわいい」から好きなのです。

なぜ「かわいい」と思うのか。
なぜ「かわいいもの」が好きなのか。
これについて本能的な影響があるのかもしれませんね。
しかし、私はそれだけでは説明しきれない部分があると思っています。

よく知られた猿の実験があります。
哺乳瓶をくくりつけた冷たいワイヤー製の人形と、温かい毛皮で覆われているがミルクの出ない人形を置いた部屋に赤ちゃん猿を放すというものです。
その赤ちゃん猿は、ミルクを飲むためにはワイヤー人形に近づきますが、普段は常に毛皮の人形に寄り添っていたそうです。
この実験から、「物質的な欲求」と「愛情」は別物であると結論づけられました。

…うーん。この実験は結論ありきで構築されたモデルのようにも思えます。
しかし、それでも非常に興味深い示唆を与えてくれます。
私の場合も同様に、父母性や性的な本能とは別個に、「かわいい」と感じるものを好きなのです。

何かと本能に結びつけて、物事を原理的に説明しようとする気持ちはよく理解できます。
シンプルな要素で説明しようとするのは、人間の癖のようなものです。
素粒子物理学などは、その典型例と言えるでしょう。

ただ、こうした少数の要素で原理的な説明が可能だという保証はどこにもありません。
むしろ、そう考え続けることで行き詰まってしまうこともあります。特に、人の思考や価値観に対してはなおさらです。

私の価値観は理解されなくても、大いに結構。
しかし、勝手にカテゴライズされたり、誤解されたり、さらには馬鹿にされるのは勘弁してほしい。
それこそが「The 差別」ですからね。

とはいえ、人間の脳というものは、持ち合わせているカードで物事を説明しようとする性質を持っています。
つまり、それもまた「本能的」に仕方のないことなのかもしれませんね。



サムネのあやちゃん、めちゃくちゃかわいい。
ちょっと前髪が伸びて目にかかりそうなのがかわいい。
でも、髪を切って短めになっていてもかわいい。
…こんな記事のサムネに使ってごめんね。

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