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出会うことの不思議
家族の付き添いとして年に1度しか行かない大学病院で、とある視覚障害のある方と出会いました
白杖のその方はヘルパーさんと、私は盲導犬とその場に来ていました
見える方からすればどちらも目立つ存在でしょうが、お互いよく見えない者同士、しかも面識もない者同士が不特定多数の人が自由に出入りする場で出会うのは決して簡単なことではありません
蟻の巣のアパートのようにあまたある診察室の、とある一室の前で、ぼんやり順番を待っていた時
そこを通り掛かったその方のまだわずかに見える片方の目に、床に伏せた犬の姿が飛び込んできて
おしゃべり好きで犬好きというその方は盲導犬だと気づいて思わず声をかけてくれたのだと言います
とはいえ、混み合う病院の廊下、少しの会話を交わし、その方は自分の名刺を差し出し奥の診察室へと消えて行きました
名刺には点字がついていたので、私は習得したばかりの指先の感覚でその方のお名前をすぐに知ることができ、嬉しくて自分を褒めてやりました
その方は、となりまちの視覚障害当事者の会の副会長さんでした
ちょうどその頃、私は、盲導犬がいてもテクノロジーがあっても、どうすることもできない地域特有の問題を、
近くに住む同じ境遇の人と分かち合いたいと思い、
自分のまちのめぼしい機関に問い合わせたりしていたものの、情報がなく、どうしたら繋がれるのだろうと半ば絶望的になっていたので
その出会いは思いがけず降ってきた一筋の光のようでした
盲導犬と一緒にいると、犬は幸せを招いてくれる、と思うことが多々あります
そして、この方が社交的だったこと、
片方の目が少し見えていたこと
年に一度の診察予約日を都合でその日その時間に変更したこと
一つ一つの小さなことが重なって偶然出会えたことに、言葉では説明できない何か不思議な力を感じずにはいられませんでした
振り返ってみると今までも、自分が何かを望んだ時、思いがけず不思議な出会いに助けられたことは1度や2度の珍しいことではありません
派手で華々しいわけでもなく、決して太い命綱を持っているわけでもないけれど
どこかで切れてもおかしくないようなつなぎ目だらけの細い1本の糸を手繰って何とかここまで来れている気がします
そうして私は、となりのまちの人たちとつながることができ
ある映画のバリアフリー上映会に出掛けました
盲ろう者で東京大学教授になった福島智さんの実話を描いた
「桜色の風が咲く」
その映画の終盤、主演の小雪さんの声で聞こえてきたひとつの詩に私の耳は釘付けになりました
吉野弘
「「生命は」
家に帰って調べて、音声図書で何度もその詩を聞きました
特に心掴まれたのは詩の中盤部分
これはただの美しい詩ではない
誰かに助けてもらわないと生きていけない身体になって、おのずと「利他」というものについて考えるようになり
人だけでなく犬と助け合うことで感じている私のぼんやりした思いを
この詩は的確に手短にでもとても大きく深く、言葉で表してくれている
そう感じました
そしてその部分は、作者が他者や自分に対する人の心の複雑性について何とか表現しようと後から書き足したのだと知り納得しました
詩というものを何度も読み返したのは初めて、
詩人の仕事はすごい、と思ったのも初めて
なぜこの世に詩人という職業が存在するのか、生まれて初めて理解できた
これも細い糸に導かれた1つの出会いだなと思いました
「世界は多分 他者の総和」
人、動物、言葉、自然…
不思議な出会いは世界のありとあらゆる方向からやってきて、私を助けてくれる
そう思うと、なんだか心強いし、
自分もある時はその循環の中で作用しているのだと思えたら、欠如のある自分でも心が少し軽くなる
そして不思議に思えた出会いも、自分がその循環の中にいることに気づけば、そう不思議なことではないのかもしれません
大事なのは自己完結しないこと、
外に出ること
どんな形であれ自分の外と繋がって
循環の中に身を置くことなのだ
聴くたびにそう思い出させてくれる詩との出会いでした
うん、、やっぱり出会いは不思議
そう言いたいし、そう思うほかありません