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シェーン、カムバック!の声がこだまするグランドティトン国立公園

イエローストーン国立公園の南に位置するグランドティトン国立公園は、知名度こそイエローストーンほどではありませんが、自然の景観が素晴らしく、あの西部劇の名作「シェーン」(1953年)の舞台でもあります。
若かりし頃に観たときは、流れ者のシェーンが開拓民の家族を助け、理不尽なならず者をやっつけて去っていく典型的な西部劇、という印象でした。今改めて観ると、以前は気づかなかった時代背景や繊細で奥深い人間像にシビレます。

旅はイエローストーンがメインで、最も美しい国立公園ともいわれるグランドティトンを駆け足で通り過ぎてしまったは心残りですが、思い出をnoteに書きます(2010年)


ジャクソンの町からイエローストーンまで続くルート191。5月の終わりだというのに、まだ雪景色でした。出発点のジャクソンホール空港は、国立公園の中にある珍しい空港です。


ゲート(Moose Entrance)


草原とスネークリバーの向こうに屹立するグランドティトンの山並み。ティトン(Teton)はフランス語で胸を意味するそうです。山の形をみれば納得ですね。


ジャクソン湖とティトン山脈
風が止むと湖面が鏡のように山の姿を映し出します。


コルターベイ(Colter Bay)


豪華キャスト


野良バイソン

長老級?


動物さまの通過をのんびり待つ車列

空気が美味しい



カニンガムキャビン(Cunningham Cabin)
ニューヨークからやってきた開拓民の牧場跡


ゲートをくぐり、てくてく歩いて小屋へ


絵になる風景

1888年


丸太小屋にむき出しの土間。北海道と同じくらいの緯度ですから、当時の生活の過酷さが偲ばれます。川から水を引き、自分の腕ひとつですべてを作り上げた開拓民の土地に対する思いは、並大抵のものではなかったはず。 

当初は住まい、後に納屋に


柵も大切


モルモン教徒が1890年代に開拓したモルモンロウ(Mormon Row)へ。
開拓のきっかけは、リンカーンが制定したホームステッド法(1862年)で、公共地に5年間、家を建てて耕作すれば誰でも土地の所有権が認められるというものでした。これによって数百万人の人々が西部へ移住したといわれています。当時は南北戦争(1861-1865)下で、申請の条件に「忠誠を誓うこと(=南部連邦支持者は対象外)」という条項がありました。
ホームステッド法が正式に廃止になったのは、何と1976年(アラスカを含むと1986年)だそうです。映画のシェーンでも「(北の)ヤンキー野郎」というセリフがあったりして、微妙な空気感が興味深いです。

アンテロープ・フラッツRd.の先


T.A.モールトン納屋(T.A. Moulton Barn)


国立公園でありながら、居住して暮らしている人達がいるそうです。



トランスフィギュレーション礼拝堂
山を背にして建つ、素朴な礼拝堂

1925年



十字架の後ろの窓から美しい山並みが見え、まるで額縁の絵のようでした。


ドーナンズ(Dornan's Moose Grocery Store
家族経営の古いグローサリー 


シェーンの原作は実際に起きた事件に基づいていて、開拓民が牧場主に亡き者にされたそうです。アメリカ開拓史の光と影・・・・古い映画ですが、若い人にこそ見てほしいです。


カニンガムキャビンを借りて、シェーンのラストシーンを真似っこ。銃を使って誰かのヒーローになっても、それが社会正義ではなくなった時代とシェーンの去っていく姿が重なります。別れはやっぱり切ない。

シェーン、カムバック!


モノクロでアメリカの大自然を撮った写真家のアンセル・アダムスも、グランドティトン国立公園の風景を残しています。

画像:アンセル・アダムス(Ansel Adams) Wikipediaより


自然の美しさが際立つグランドティトン国立公園は、訪ねたい場所がたくさん残っています。いつかまた連泊で訪れたいです。