12ヒーラーズと歩く12の軌道(4)〜セラトーと双子座
バッチフラワーレメディを携えて歩くホロスコープの旅。
私的第四の軌道は、セラトーと双子座。
牡羊座から始まり対極の天秤座にワープし続いた蠍座から、次は牡牛座か射手座かなぁと思っていたのに、私も全く予想外に双子座のレメディが気になり出す。
まったく脈絡がないわけでもなくて、蠍座=8ハウスというテーマが浮き彫りになってきたのであれば、私の8ハウスの主成分である双子座が気になるのも無理はない。
自分の意見に確信が持てないために、難しく考えすぎたり、膨大な情報を求めて、答えが見えないままどんどん疑問だけが積み重なっていく...
自分で迷路を作って抜け出せないみたいな状態かなぁ?
わかってるじゃん、私...
引き続き蠍座レメディ(チコリー-レッドチェストナット-ハニーサックル/ゴース)を飲んでいて、他者の影響やそれによって巻き起こる感情を強く感じるところがありつつも、「こうありたいという自分」の姿はまだ見えてこない。
そこからの、なぜか、双子座の軌道。
メンテナンスレメディの他に、双子座軌道のディコンペンゼーションフラワー「ワイルドオート」を入れているので、何とはなしにその軌道に導かれていたのかもしれない。
なんて、ふわふわした感覚に陥る前は、この軌道のネガティブ指標にすっかりハマっていたんだけれど、大雪で一日お休みになった今日は久しぶりにゆっくり読書を楽しんでいました。
梨木香歩さんの小説にはバッチ博士の故郷であるイギリスや目に見えない世界のエッセンスがふんだんに織り込まれている。
日本が舞台であっても、「ほんの百年すこしまえ」はそうした目に見えない世界との境界が薄らいでゆくのかもしれなくて。
各章のタイトルが植物の名前になっていて、フラワーレメディとも通じるものがありそうで、読み進めていくうち、主人公は双子座っぽいなぁとこじつけ始めた。
「ダァリヤの君」というのも登場します。
12の軌道の旅を続けるにあたって、全部のレメディーを飲んでみなきゃならん、と思い始めていたのだけど、どうもそういう感じでもないんじゃないかと考える節もあり、そんなところは「風」的な要素が引き起こす思考の迷いでもあり。
物語の中に風虫というのが登場する。
ボウフラのように湧いて出て、風に乗って飛んでいく。
うっかり家の戸に挟まってしまった風虫は憂鬱な気を留めてしまう。
そうそう、取り憑かれがち...
何もネガティブな気持ちを全部体験し直さなくてもいい。身体がもたないわ...
全部を体験したくてもできないんだったら、物語を通して理解していくという方法があってもいいんじゃないか。
それこそがこの世界の豊かさの受け取り方。8ハウスには「贈与」というテーマもある。
では、セラトーの軌道の旅は『家守綺譚』の主人公、綿貫征四郎にお任せします。
双子座のコミュニケーションフラワー セラトー
先の「ふさぎの虫に取り憑かれているな」という台詞は、綿貫の友人・高堂のもの。
ただし高堂は過去に湖で姿を消し今はこの世の者ではないのだけれど、
かつての住まいに単身で居候している綿貫の元に度々現れる。
精神労働者、つまり売れない物書きの綿貫は「自らの真に欲するべきであると決心したが」実になる作品をなかなか生み出せないでいる。
そうかと思えば飄々としているところもあって、次々と身辺に起こる不思議な現象に驚きつつも、物理的には死んだはずの高堂の意見を仰ぎ、隣人の「おかみさん」に助けられ、犬のゴローから徳を積むことを学んでいる。
「文明の進歩」とやらが進んだ、物語よりも百年とすこし「後」の今でも、そんな人はたくさんいるだろう。対して、
おかみさんの論理は、机上で組み立てたものではなく、すべて生活実感から出てくるものであるので、非常な説得力と迫力を持つ。
高堂は射手座、おかみさんは蟹座っぽいなぁ。ゴローは?水瓶座かしら。
話が飛びました。セラトーもチコリーと同じく青い花を咲かせるので、どこかふわふわと頼りなく、夢か現実か判断や確信が持てなくなる綿貫の性質をぴったり表していそうです。
『バッチフラワーニューセラピー』内で著者が示すセラトータイプとは
まさにこの内面の不確かさ、私に当てはまっているように感じていたら、目の前に(本の中だけど)綿貫という人物が現れた。
自分の内なる声を拒絶し、外の不確実な世界に真実を求めてしまっている状態。
それではインスピレーションや直感という不確実なものも抑圧されてしまうと、ディートマーは述べています。
小説家には致命的。のみならず、日常生活においても楽しさを感じられない状態は、前述の「ふさぎの虫」を呼び寄せてしまう。
そういえば「本の虫」とも言うなぁ。
「虫」とは得体の知れない奇怪なものや有害なもののことを言ったりもするけれど、花にとっては生命を媒介してくれるものでもあり、塞ぎ込んでる人間にとってもそうした異物的なものが風穴を空けてくれることだってあったりするのだ。
綿貫はすこしずつ、自分なりの世界との接点を見出していく。
と思いきや、「自分の不確かな状態を、周囲に対して巧みに隠すという」ところもなきにしもあらず。
コンペンゼーションフラワーの状態です。
コンペンゼーションフラワー バイン
『家守綺譚』の最後の章のタイトルが、バインとまさかのシンクロ。
夢の中と思しき饗宴の席で、しきりに勧められる葡萄を決して食べようとしない綿貫。
異界のものを食べてしまえば、その世界に引き摺り込まれる...
いちおう物書きの端くれであるので神話の断片から学んだ知識でことなきを得た綿貫。
ハデスに攫われたペルセポネのエピソードを思い出させるけれど、気まぐれで柘榴の実を数粒食べてしまうペルセポネはスクレランサス(天秤座)っぽい。(いや、双子座的な気まぐれかもしれない??)
バインとは、
葡萄を断る綿貫は、一度は前述した強い口調を放って相手を狼狽させてしまうけれど、後でハッとなって気遣いを込め謝ることができた。
物語の最後で綿貫は無事、セラトーの軌道をプラスに向けて歩き出したのかもしれない。
ところで、「バイン」(葡萄の蔓)が巻き付くのは「エルム」(楡の木)というのを見かけたので、勝手に当てはめてたアウターフラワーの解釈を変更しなきゃなぁと思っていました。
飄々とした双子座-射手座軌道に該当するアウターフラワーは「エルム」が相応しい。
ディコンペンゼーションフラワー ワイルドオート
私が『バッチフラワーニューセラピー』を読んで、メンテナンスレメディの他に必要なのはこれだなぁと取り入れたのが「ワイルドオート」。
身体で言ったら「未病」のような状態。
不調を感じても病名がつくのでもなく、治ったかどうかもわからない。
これを自分に当てはめて読むと、道なき道になってしまうので、再び綿貫に登場してもらいましょう。
目的があったりなかったり、散歩に出ている綿貫はいつの間にか当て所もなく境界あたりを彷徨い出し、それはまるでゆらゆらと風に揺れるワイルドオートのようです。
用事を済ませて気楽になった綿貫が、初秋の空を見上げながら歩いていると、どこからか鈴の音が聞こえてくる。店仕舞いしたはずの旅籠の欄干に若い娘たちの姿を見たかと思えば、その娘たちが今度は自宅に現れる...慌ててその姿を追うと、小高くなった庭の一角にたどり着く。
そんな、ふわふわした男、綿貫。「ワタ」にかけているのかな...?
思いがけず、セラトーの軌道を歩むことになったのは、
同じく「精神労働者」になろうとしている私の、束の間の休息っぽくもある。
ただし、私に馴染み深いのは同じく水星が支配する「乙女座」。
8ハウス的な変容を経て、飄々と人生の荒波を乗り越えていけるようになりたい。
最近ちょっと「精神労働」にお疲れ気味なので、
続けて『冬虫夏草』も読んじゃおうかなぁ。
帯の言葉が意味深。
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