星のディグリー【28°】は「過去を踏み台にして突破する」度数
星読み2年生の学びのnote。ディグリー篇。
ぐるぐるホロスコープ...サビアンシンボルからの延長で、星のディグリーを深掘り。
現実だと思っていることから違う世界に飛び込むのは、
たとえそちらがどんなに安全そうに見えても怖いもの。
一回体験してしまったら、現実がもっと辛くなるんじゃないか?
でもその現実すら自分で創り出しているって、
ほんとうに腑に落ちるまでにまだまだ体験が必要なのか?
そろそろ方向転換を...
【28°】過去を踏み台にして突破する、方向転換する度数
●2+8=10;1の系列の最後の数
●20+8;時間の流れや環境から独立した形で8の力を発揮する
●28=4×7;苦労の末に願望実現する力
26,27からの流れで、サインの最後の5°の真ん中が28°、
そういう意味では28が「方向転換」の度数というのはしっくりくる。
ここを折り返したらいよいよ次のサインの空気が濃くなってくる。
2+8=10だと、ある種の達成であり、同時に「1」という始まりの数にもなる。
それは山羊座のサインである半神半獣の二面性も表しているようで、
10はまだ過去も大切にしながら走り出し、19で過去ごと新しい理想に持っていき、
28ではもっと大きな時間の流れに過去を置きつつ、
それを踏み台にしてもっと高みへ進んでいくようなイメージが描かれる。
苦労して成し遂げてきたことも、全てこの先のための踏み台でしかなかった。
偉大な成功者はこの突破を何度もやってきたのかもしれない。
1年を28で割ると13が登場する
松村先生、また突拍子もないことを言い出す...
けどちょうど私も「マヤ暦」や「13の月の暦」が気になっていたところです。
実は一回講座も受けてみたのですが、どうもしっくりこなくって。
というのも西洋占星術との関連を見出そうと考えていたのですが、
なかなかそれが見つからない上に素直に受け取れないから大混乱。
でも、そのおかげで天体の動きや周期やら復習できたし、
ホロスコープの枠を外すということも少し意識できたかなと。
まぁ、めちゃくちゃとらわれていたことにも気づいた訳ですが。
松村先生も言っている。
(12サインつまり)12進法は、意識の流れがそのまま空間の中に定着します。目に見える生活の中で意識(時間意識)の作用がスムーズに定着する性質です。
逆にいうと、モノに縛られるという意味にもなるでしょう。どんな意識的なモノも、かたちの中に落とし込まれ、空間的なものや視覚的な作用に支配されるからです。それを嫌う人、物質に支配されない意識の独立性を求める人は、13の数字を求めることになります。
(『ディグリー占星術』より)
なるほど、どうりでマヤ暦って水瓶座っぽい!と感じた訳です。
まだまだ私はいろんなモノに縛られているなぁ。
思い込みや意識から外れて行けば理解できるものかもしれないんだけど、
読み手によってはとてもフワフワして見えてしまう。
それは占星術でも気をつけなければいけないことなんだけど、
ひとまずはその土台や基盤を体感してからでないと、迂闊に手は出せない。
無理やり共通点を見つけ出さなくとも学んでいく過程で、
西洋占星術の中に新しい読み方を見出すヒントにはなるだろう。
「数字」に大いにヒントがありそうで、ディグリーの学び途中にマヤ暦に出会い
うっかり立ち止まっていた甲斐もあったというものだ。
28度(27.00-27.99°)のサビアンシンボル
牡羊座28°「落胆されられた大聴衆」
牡牛座28°「成熟したロマンスを求める女」
双子座28°「破産宣告された男」
蟹座28°「現代の少女ポカホンタス」
獅子座28°「大きな木の枝に留まるたくさんの小鳥」
乙女座28°「禿頭の男」
天秤座28°「明るくなる影響の最中にいる男」
蠍座28°「自分の領土に近づく妖精たちの王」
射手座28°「美しい流れに架けられた古い橋」
山羊座28°「大きな養鶏場」
水瓶座28°「倒されノコギリで切られた木」
魚座28°「満月の下の肥沃な庭」
ネイタルにはない度数、ですが、ソーラーアークの金星が28.39°にあります。
ソーラーアークって本当はアスペクトを見るものなのですが、
金星はここ最近のテーマになっているからちょっと深読みしてみよう。
それでもってもうすぐASCにコンジャンクションなのです。
天秤座28°「明るくなる影響の最中にいる男」
個性の違いを楽しんでいた天秤座ですが、最終的には個体差の存在しない統合的な中心点のようなものが見つかります。
「すたくろ」さんの解説は
抽象度を上げた思考法で最善策を見出す・スケールの大きな人
次のサインは蠍座なので、表面的な対人関係からもっと深い人間関係へと踏み込んでいくような趣きがあるけれど、天秤座を飛び出すには一度思いっきり飛び出す必要がある。
一個前のサビアンは「頭上を飛んでいる飛行機」。
「身近なところにはあまり振り回されては行けないのです」とある。
個性個性って言うけれど、もともとみんな違うんだから、
それを押しつけあっても仕方ない。
さらに狭い世界で見ていたら、
分かり合えないことだらけで違いが争いになってしまう。
マクロとミクロの両方で考えたら、
一人ひとりが自分の個性をちゃんと認めればそれでいいのだ。
自分のことは自分で知る必要があるけれど、
外側のわからないことはわからない、
無理に分かろうとせずに、いったんそれでよいのだ。
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