見出し画像

手仕事をふたたび「暮らし」にする - atelier shimuraとkras- 対談レポートその2

草木染めによる染織ブランドのatelier shimura(アトリエシムラ)と、インドネシアと日本の伝統的な手しごとでオリジナルプロダクトをつくるkras(クラス)。今回のコラボレーション商品や特別展示作品の制作の裏側の、それぞれの想いをお伝えします。

本記事では、アトリエシムラ東京・成城にて2021年3月5日より開催される、コラボ企画展”とけあう季節”東京成城巡回展に先駆けて、アトリエシムラ京都本店にて開催された対談の内容を連載でお届けします。

atelier simura × kras企画展”とけあう季節” 
東京・成城巡回展 2021年3月5日(金)~16日(火)

アトリエシムラ 東京・成城
東京都世田谷区成城2-20-7(成城学園前駅西口から徒歩約4分)
営業時間 11:00~17:00 定休日 水曜・木曜

オンラインストアでのコラボ商品のお取り扱いはこちら
https://www.atelier-shimura.jp/collections/kras-ateliershimura?page=1

atelier shimuraとは
染織家・志村ふくみの孫である志村昌司を中心とした次世代によって、植物の色彩世界を伝えていきたいという思いから生まれた染織ブランド。「自然と芸術を日常に取り入れる」をテーマに着物の他、草木染めマスクや色合わせストールなども制作しています。
https://www.atelier-shimura.jp/
krasとは
日本とインドネシアの各地に伝わる伝統的な工芸と手しごとを混ぜ合わせ、家具や雑貨、茶道具などのオリジナルプロダクトを通して、暮らしに“ゆるやかさ”を届けるクラフトライフスタイルブランド。京都のアトリエを拠点に、バリ島やジョグジャカルタに工房を持ち、日々ものづくりをしています。和裁の持つ日本ならではの繊細な技法に、新しい解釈を加えることで、その魅力や手しごとから生まれる美しさを、みなさんに楽しんでいただけるようお届けしていきます。
https://kras.life/

話し手:atelier shimura代表 志村昌司
    kras代表 井上翔子さん
ファシリテーター:kras 井上裕太さん

正倉院の古代布の小裂(こぎれ)とインドの更紗、バリ島の絣(かすり)

昌)ちょうど細見美術館で吉岡幸雄さん*の展示をやっていて、私も見に行きました。草木染めは平安時代からずっと続いていますが、吉岡さんが収集された正倉院の残欠*を見ることができるんですね。そのもととなった更紗は奈良時代に日本に入ってきたそうです。東南アジアや中国、ペルシャ経由で入ってくる。

バリでもろうけつ染*で更紗を作っていますよね。井上さんと出会ってからバリの絣(かすり)*をよく見るようにしているのですが、経緯絣(たてよこかすり)はものすごい技術ですね。絣はインドではじまり、東南アジアを経由して、沖縄に入ってきた。その結果、土地それぞれに特有の絣の雰囲気がある。

*吉岡幸雄さん…昭和21年~令和元年9月。京都市生まれ。昭和48年、図書出版「紫紅社」を設立。昭和63年、生家「染司よしおか」五代目当主を嗣ぐ。薬師寺三蔵院の幡、薬師寺「玄奘三蔵会大祭」の伎楽装束、東大寺の伎楽装束を制作。平成20年、源氏物語の色五十四帖を再現。平成21年、京都府文化賞功労賞受賞。平成 22年、菊池寛賞受賞、平成24年、NHK放送文化賞受賞。
*残欠…歴史的遺物などの一部が欠けて不完全なこと、またはそういう物。
*ろうけつ染…模様部分を蝋(ろう)で防染し染色する伝統的な染色法。
*更紗…インド起源の木綿地の文様染め製品、及び、その影響を受けてアジア、ヨーロッパなどで製作された類似の文様染め製品を指す染織工芸用語。
*絣…織物の技法の一つで、染め分けた糸を経糸(たていと)、緯糸(よこいと)、またはその両方に使用して織り上げ、文様を表すもの。

バリで面白いのは染めの技術と絣の技術ですね。特に絣は村それぞれの文様がある。その文様に魔除けの意味があったと。日本ではそういった由来は分からなくなってしまっていますが、バリは残っている。

翔)そうですね。絣はイカットと呼びます。イカットはイカットづくりが盛んな村で多く作られる。アタ編みの村はアタ編みの技術を継いでいる。そして、銀細工の村は今でも銀細工を続けているんですね。ちなみにイカットは島や村ごとに技術や模様が違います。インドネシアには1,7000あまりの島があるのですが、

昌)17,000も!

翔)島や地域、それぞれに技術や伝統文様が異なります。

日本の絣(かすり)とバリ島のイカット

イカットを染める


翔)これはイカットを染めているところです。

昌)うちだったらゴムを巻いて行う工程です。

翔)その工程もあります。この写真はそのあとの工程ですね。白抜きする場合はナイロンの紐でくくって、染料にドボンとつけます。「くくる」ことをインドネシア語でイカットと呼ぶのですが、それが名前になっているわけですね。

くくる工程

細かい色付けをする場合は、木の棒に糸をぐるぐる巻いて、そこに染料を染み込ませて、生地にこすりつけて着色していくんです。

昌)木の棒に糸で巻くんですね。

翔)はい。糸が最も染料を吸収するので、細かい色付けがしやすいらしいです。こうやって糸を先染めして、それをほどいて織っていくのですが、現地ではこんな感じで土の上で織っています。

インドネシアの機織1

インドネシアの機織2

昌)(日本とは)まったく状況が違いますね(笑)

翔)はい(笑) 基本的には外で織っていらっしゃいますね。おうちで地機(じばた)*で織ってらっしゃるところもありますが、こちらは工場のような場所で、足踏織機*が並んでいて、みんなでおしゃべりしながらギッコンバッタン織るんですね。

*地機(じばた)…(この場合)腰機、いざり機。足を伸ばして地面に座って腰帯を腰に回すことで経糸にテンションをかけて織る、原子的な機織。
*足踏織機…腰掛けて座り、レバーを足で踏むことで動力を得る織機。

昌)機の構造、千切り*が違いますね。(身振り手振りで)日本では手元から経糸が出て、むこうの足下部分に千切りがあります。弥生時代に原始機(げんしばた)から、水平にテンションをかける高機(たかはた)*や空引織(そらびきばた)*のような構造に変わったんですね。インドネシアではどうテンションをかけているのでしょう。

*千切り…織機で、経糸を巻くのに用いる、木製で中央のくびれた棒状の部品。                                *高機(たかはた)…腰板に腰掛け、踏み木を足で踏んで2枚の綜絖(そうこう)を交互に上下させて織るもの。地機(じばた)より丈が高く、構造・機能の進歩した手織機。
*空引き機(そらびきばた)…古来、日本で紋織りに用いられた織機。文様を表すのに必要な通し糸を取り付けるために、高機 (たかはた) の上部に鳥居状の枠を付けたもの。

翔)この写真の織機は水平ですね。吊るす構造のものも今でもあります。織幅や糸の細さが違うので、日本の絹の織り機はきゅっとコンパクトですが、インドネシアのものはどーんと大きいです。音も違いますね。どしーん・ばたーんというようなおおらかめな音が鳴ります。
お家で織っている方も多いので地機もよく見ます。
あとはシングルイカットかダブルイカットかによって、経緯両方に絣をかけるのかが変わってきます。バリ島はシングルイカットを作る村が多いのですが、krasが仕事をしているトゥガナン村では伝統的にダブルイカットを作っています。

昌)ダブルってどういうことですか。

翔)シングルは、日本の矢絣*のように一方だけに絣をかけますが、ダブルは経緯にかけます。

*矢絣…矢羽根を模した図案の絣(かすり)

昌)経緯絣(たてよこがすり)のことをダブルと呼ぶんですね。じゃあ、アルスシムラの人たちはみなダブルです。トゥガナン・スタイルですね(笑) インドネシアには経絣もあるのですね。

翔)シングルイカットが多いですが、トゥガナン村では昔から、無病息災の願いを込めた、血を象徴する赤を使ってダブルイカットを織ります。ヤエヤマアオキや茜で染めます。

トゥガナンのグリンシン

バリ島に独自の文化が醸成された理由

昌)バリ島は、どれくらいの規模なんですか。

翔)京都府より少し大きいくらい。そして、ほとんどが山や森で、人が住んでいる地域は限られます。

昌)でも、インドネシアといえばまずバリが浮かぶくらいですよね。インドネシアの中でも特別なんですか。

翔)特別ですよね。

昌)バリ島で村々にそれぞれの工芸があるというのは、例えば琉球もそうですよね。王朝があり、租庸調のような形で様々なものを収めさせた。バリもそんな成り立ちなんですか。

翔)そういった側面もあったようです。でもそれはジャワ島(ジャカルタ、ジョグジャカルタのあるインドネシア最大の島)も同じ。バリ島特有の家督の継ぎ方も関わってきます。歴史的に特徴的なのは、イスラム勢力が入ってきた時に、ジャワ島より東方にあるバリ島はその支配から逃れたんです。その結果、他の地域から逃げてきたアーティストや技術者が多くバリに住み着いたらしいこと。

昌)バリは東の方にあるんですね。そこに逃れてきた。

翔)ジャワ島のすぐ東にあるんです。イスラム勢力が来た時、ジャワ島とバリ島の間には強い海流があって入れなかったいう伝承を読んだことがあります。日本における台風、蒙古襲来時の神風のように、その海流が食い止めてくれたと。独自の文化が守られ続け、そこにアーティストや技術者が集まったことで、さらに発酵していった。また、バリの人たちにとって神聖なものも守られた。イスラム教圏のインドネシアの中でバリ島は独自のバリ・ヒンズーを信仰しています。そういった側面でも、独特の文化が発展しやすかったんですね。

バリ文化

昌)その後、インドネシアがオランダによる植民地化と統治やそれによる近代化の洗礼を受けた中でも、バリ島だけが守られた。

翔)バリも最後はオランダ軍に負けてしまうんですよね。そこには、気高くも痛々しい歴史があります。

神具としてのアタと「オランダ好み」

翔)ただその一方で、オランダ政府がバリ島の文化保全政策をとったこともあり、オランダ人から得たものもあった。オランダ等から入ってきたデザイナーや建築家のリードで、商業的に転用・発展した伝統技術や舞踊もあります。

バリ舞踊

バリにはややヨーロッパ風でおしゃれなものも多いのですが、それはオランダ人のデザイナーやアーティストの影響を受けたものが多いと。バリの独自の文化と、オランダの影響が混ざり合って今のバリが出来上がっている。

昌)日本人がバリを好きなのは、江戸時代を通じてオランダとの交易があったし、なんとなくオランダ好みというか(笑)

翔)南蛮好みというやつですね。 そういう意味では、バリのリゾート地区などは”いい感じにエキゾチック”なのかも。バリ島とヨーロッパ調の両方の良さがある。木材はチーク材が主なので、少し赤みがあって親しみやすい家具が多い。雨季と乾季のある過酷な環境で100年以上保つアタも、湿度が高い日本でも使いやすくて、梅雨もへっちゃらです。実用的にも耐久課題が似ていて、親和性が高いと思います。

翔)ちなみに、その流れではないですが、アタはもともと実用的な目的で作られたものではなく、相撲のような戦い形式の神事のための神具だった。ギャラリーでも実際の神具を展示しています。アタの村であるトゥガナン村には一年に一度、ヒンドゥー教の戦いの神様に、踊りではなく戦いを捧げるという儀式が現在もあります。鋭い棘がある椰子の葉を束ねたもので斬りつけ合うのですが、その際に身を守るためにアタで作られた盾を用います。
それを、商品として売り出すことを目的に発展・制作されたのが1990年ごろ。プロダクトとしてのアタはまだ歴史が浅いのです。

マカレカレ2

次回(対談レポートその3)では「イメージを形にするということ - 染織作家と和裁作家の対話 -」についてお届けいたします。

いいなと思ったら応援しよう!