手仕事をふたたび「暮らし」にする - atelier shimuraとkras- 対談レポートその4(最終回)
草木染めによる染織ブランドのatelier shimura(アトリエシムラ)と、インドネシアと日本の伝統的な手しごとでオリジナルプロダクトをつくるkras(クラス)。今回のコラボレーション商品や特別展示作品の制作の裏側の、それぞれの想いをお伝えします。
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https://www.atelier-shimura.jp/collections/kras-ateliershimura?page=1
atelier shimuraとは
染織家・志村ふくみの孫である志村昌司を中心とした次世代によって、植物の色彩世界を伝えていきたいという思いから生まれた染織ブランド。「自然と芸術を日常に取り入れる」をテーマに着物の他、草木染めマスクや色合わせストールなども制作しています。
https://www.atelier-shimura.jp/
krasとは
日本とインドネシアの各地に伝わる伝統的な工芸と手しごとを混ぜ合わせ、家具や雑貨、茶道具などのオリジナルプロダクトを通して、暮らしに“ゆるやかさ”を届けるクラフトライフスタイルブランド。京都のアトリエを拠点に、バリ島やジョグジャカルタに工房を持ち、日々ものづくりをしています。和裁の持つ日本ならではの繊細な技法に、新しい解釈を加えることで、その魅力や手しごとから生まれる美しさを、みなさんに楽しんでいただけるようお届けしていきます。
https://kras.life/
話し手:atelier shimura代表 志村昌司
kras代表 井上翔子さん
ファシリテーター:kras 井上裕太さん
裕)私が個人的にお伺いしたかったことがありまして。
昌司さんからはお仕事への愛を強く感じるのですが、もともとは哲学を研究されてたと伺いました。アトリエシムラのみなさんからお仕事について伺う中でも、いろんな場面で、哲学的な要素を感じます。
しかし、哲学の研究と染色業とではジャンプがあるようにも見えます。どんな経緯や想いでいまのお仕事につながったのでしょうか?
昌)そうなんです。大学ではずっと政治思想史を研究していました。イギリスへ留学もしていました。それはそれで、自分の興味のある対象のひとつでした。もうひとつの興味の対象は教育でした。自分自身が教育によって救われた経験があって。
祖母(ふくみ)や母(洋子)と一緒に住んでいたのですが、家の仕事って、すんなり入っていくタイプの人と、距離を置きたい人と、両方いると思うんですよ。僕は距離を置きたいタイプだったので、自分は自分で別のことをしたかった。思想的なことに興味があったので、哲学を研究しようと。
ただ、学ぶには場が大切だなという思いがありました。真剣に人が胸襟を開いて話す場所がないなと。そう思ったまま小中高と過ごしていましたが、その中で、本当に自分の話したいことが話せる、学びの場との出会いがあった。自分でもそれを作りたいなという思いがありました。
もう一つは、真剣に学びたい人が集う場が作りたかった。大学があまり好きでなくて。10年近く通ってたんですが(笑)。真剣に学ぶのためではなく、単位というシステム上、出席しないと仕方ないので出席するようなところがある。本当に学びたいことを学ぶ、真剣な人が集まった場でないと得るものが少ないなと感じていた。真剣にお互いが学び合って、成長し合えるような場を作りたいと思っていました。大学でも助手になったりして、大学で教えたりもしたんですが、大学のシステムの中ではなかなか難しいなという実感があり。そこで大学を出てからしばらくして、勉強を教える私塾を作りました。
それから震災があり、芸術教育と、自分のやりたい教育がだんだん結びついてきた。そこからアルスシムラにつながったわけです。(レポートその1リンク参照)
今振り返ると、祖母も思想的な人。柳宗悦さんからの影響から始まっていて、手仕事が大好きというところから出発したのではないのだろうなと。むしろ、自分の生き方に悩んでいた。2歳で養女に出され、戦前は上海、青島など中国を渡り歩き、日本に帰ってきて結婚のち離婚をし、近江八幡に帰ってきて、さあ人生どうするか。実家はあったが、あの時代に2人の子供をかかえてどうするかというときに、道標になったのが柳宗悦さんの『工藝への道』という本。そういう思想的な支えがあったからできたことだったのではないでしょうか。祖母にとって、染織は生活のためというリアルなものだった。途中でわかったことには、機一台で一人が生活できると。自分と子供2人の計3人が生活するためには、機が3台いるなと。それで工房を構えて、お弟子さんを迎えて。生活がかかっているという真剣さがあった。そこでたまたま日本伝統工芸展での入選が続いたので、作家としての側面が出てきたのだと思います。出発は自分の生き方と、柳宗悦さんの工藝論が結びついたこと。祖母の制作の魅力は、作品そのものの美しさもありますが、タイトルを含め、作品の制作背景やストーリーにあると思います。そのベースに思想がある。
母もそういう人なんですよ。シュタイナーに没頭していた。僕が小学生のころに、家で館内放送のようにシュタイナーのテープが流れていた(笑)。そういうことが影響して、僕も思想的なことに興味をもったのでしょうね。僕もヨーロッパ哲学をやりましたが、大抵、日本人がヨーロッパの哲学をやるのは難しい。それは、思想はその土地の風土と結びついているもので、日本人は日本人の哲学を学ばないと、自分自身がわからなくなるんですよ。だから柳宗悦さんをはじめ、日本人の思想に興味を持った。
もうひとつ、大学での研究者は、頭で考えることが中心。ほんとうは手仕事やものの世界と融合しないと本当の思想とは言えない。そういう意味では、僕は着物を織ったりもしていますが、どうしても頭で捉えがち。逆で、手仕事の人は本を読むのが苦手だったりもする。両方やった方が、人間としての健全な成長ができるのだろうと思います。だから、アルスシムラでは、機織りだけでなく、特別授業として座学を行ったりしています。
一方、アトリエシムラは実践がテーマ。資本主義という現代のシステムの中で、どういう形で手仕事を残していけるのか。とても大きなチャレンジだと日々感じています。部門ごとに取り組んでいるテーマは異なりますが、全てがだんだん結びついてきたなと思います。自分の人生には、回り道をしても無駄はないとよく聞かされてきました。キャリアチェンジをしたときに、それまでのことは無駄だったのだろうか?と不安になったりもしますが、それを次のことに生かして、統合していくのが大切なのでしょうね。自分の人生をまとめていくイメージ。僕もその段階に入っているので、自分の人生をまとめられるように考えています。哲学を学んだこと、自分で塾を開いたこと、アルスシムラを開いたことも、よかったと思っています。
結局自分にしかできないことをやる、ということになってくる。20代のころ、どこにでもいけるな(何にでもなれるな)という気持ちになりがちですが、年齢を重ねてくると残りの時間制限を感じたり、いろいろやってみると得手不得手もわかってくる。その中で、できないことを嘆くより、それまでやってきたことを深めていく方向に自分のエネルギーを使っていくのが大切だと思います。それは諦観とも言えるし、自分のやるべきことがみつかったとも言える。
裕)なるほど。『遺言』(ちくま文庫)という本を読んでいてもわかるように、志村ふくみさんも洋子さんも哲学的な思想を残したいという思いを学校を作る上でもお持ちだったんだなと思います。その訳が、この経緯を伺って、すんなり理解できたような気がします。
一方、翔子さん(kras)は元々かなり資本主義的な会社にいて、独立をして、いまどんどん作家として手仕事のほうに重きが移っていっていると思うのですが、いまのお話を聞いて、そのあたりどうですか?
翔)資本主義的な会社(笑)にいたので、独立した後も、どうしてもそのレール上でも成功しないと、自分で自分を認められないような思考の癖がありました。krasは家具デザインからスタートしたのですが、たくさん売れるしっかりしたデザインのものを作るのがデザイナーの仕事の一つの側面だという気持ちがありました。その中でも、自分が作りたいと思うものや、一緒に物づくりをしたいと思える人たちが、手仕事の人たちだったんですね。最初に作った家具も隅々までラタンで編み込んだソファでした。曲面まで編み込むための工夫をしたり、クッションで隠れる座面まで、座り心地のために全て編み上げるなど、手仕事の力にこだわった作りになっています。1年半ほどかけて、何度もプロトタイプをつくって仕上げました。
その中で、自分は自然と手仕事からうまれる美しさに魅了されて、それを追い求めているのだなと気付きました。そのときの技術や職人さんたちからも、「見たこと、作ったことがないものだった」「技術としてもあたらしいチャレンジだった」「一緒に仕事ができるのが楽しい」と言ってもらえて、お互いに学びの多いチャレンジでした。私は、コラボラティブに何かを作ることが好きで、それが成長の大きなチャンスなんだと発見しました。
一方で、やはり自分でもっと手を動かしてものを作りたいという気持ちもあり、手元でも、商品を作り始めました。結局、私は何かを量産して、利益を大きくしていくことをゴールにしたかったのではなく、自分の体を使って作り出す体験を日々重ねることで、心が満たされていくと気付きました。
また、作れば作るほど、自分の考えや思想がつくりあがっていく感覚を強く持ちました。なので、自分で作りきれないと思うほどご注文を沢山いただいたとしても、自分でつくることを諦めたくないと思っています。ブランド経営としては矛盾するんですけど、そこは諦めずに向き合って考えていきたいなと。私は手仕事で自分自身を見つけていきたいし、形成していきたいです。そして、共感してくださる方に、誠実にものを作ってお渡しする、ということを生涯の仕事としていきたいです。
最初はデザインのトレーニングから始めたのですが、自分の気質としては作家の方が合っているのかなと漸く納得がいき、今、それを実践に移せてきている段階。
昌)僕が尊敬している料理人の方で、祇園で割烹をされている塚本さんという方がいらっしゃいます。彼のお店は7席しかない。業界からの評価も高く、予約も1年以上待ちが出ている店。彼曰く、本来料理人は手を広げて届く範囲のお客様しかお相手できないと。資本主義的な考えの店であれば、当然店を広げたくなるはず。そうなると、テーブル席や奥の座敷もできる、大将がディレクターになり、弟子を沢山かかえ、彼らに作らせる・・・となった時には、もう違う店になりますよね。だから考え方、生き方の違いですが、塚本さんは井上さんと一緒で、全部自分がつくる。いくらお誘いがあっても、売り上げに上限があっても、1日7名のお客様のみをお迎えする店を守っていらっしゃる。
しかも価格もちょっとした和食のお店くらいの設定。それは考えが一種の思想にまで高められているから貫けること。自分の手を離れるところまでサイズを上げてディレクターになり、売り上げを大きくしていくのか、自分の手の届く範囲でやっていくのか、そこが作り手にとってのひとつの大きな分岐点ですよね。
裕)ではお時間が迫ってきましたので最後に、これからチャレンジしたいこと、大切にしたいことを伺いたいです。
翔)私は、出張ができないコロナ禍を通じて、インドネシアの人と仕事をすることがとても楽しく、自分にとって大切な時間なんだと改めて思いました。文化の違いがある分、コミュニケーションの難しさがあります。思想や文化、言語の構造や見てきたものなど、前提条件が異なるから、「AがBなのでCです」と言ってもパッと伝わらない。私がインドネシア語で伝えたとしても、私の伝えたいことが100%伝わっているとは限らない。最初は伝言ゲームのようになってしまうのですが、一緒に何度もトライしてるうちに、相手とじわじわとイメージが共有できてくる。それで、私の期待を少し上回るものを、「ほら、こういうことでしょ?」と嬉しそうに出してきてくれたときの嬉しさはこの上ないのですよね。一緒に大喜びするんです。
外国の人と仕事することの難しさは、インドネシアの人たちにとっても同じ。特に日本人はとても細かいことでクレームを入れるし、怒る人も多いと。幸い、私のインドネシアの仲間には、わたしの物づくり愛みたいなものが伝わっているようで、一緒に仕事ができて楽しい、もっと仕事をしようと言ってくれる。だからプロトタイピングも積極的に進むし、新しいトライもしやすい。そうやってお互いへの愛情を育んでいくことで、ブランドを育てていきたいです。
昌)「好き」はブレイクスルーに繋がるのだろうなと思います。理屈を積み上げてもうまく行かないが、好きで突き進んでいくと、新しいことができることがある。好きも一つの才能で、好きであり続けるのは難しいと僕は思います。瞬間的に好きと思うものはあっても、10年、20年続けて好きなものがある人って多くない。だからそれは井上さんの才能。これからずっとやり続けたら、思いも寄らないことが起こるんじゃないでしょうか。
僕自身は、資本主義と手仕事について考えざるを得ない立場。実際毎月その問題が迫ってくる。でも、一番大切なのは共同体づくり。同じ価値観を共有する人たちを募っていき、共同体にする中でしか手仕事は残らないのだと実感しています。
染織の世界でも、染織の価値に共感したり、価値観に共鳴した人たちがひとつのネットワークをつくって、その中で経済を含めて回していくことが、ひとつの道標になるのだろうと思います。糸井重里さんは「神宮球場いっぱいになるくらいの人がいれば、ひとまず経済も回る」とおっしゃってましたね。
裕)結構多いですよね。
昌)4〜5万人くらい。それがひとつの目安になるのでしょう。今だとSNSフォロワーなどもひとつの指標。人数だけでなく、結びつきの強さでも共同体の中身は変わってくる。ごく浅いところでつながりあうのか、少々のことではびくともしない強い結びつきを形成するのか。単に生産者と消費者という関係ではなく、今の時代に大切だと思うことを共有したり、そこで精神的な成長ができるコミュニティであることが大事ですよね。
僕自身は、自分が精神的に成長したな、ひとつ何かを理解したな、と思えた時が一番喜びを感じるんです。多くの人が、各々いろんな取組みをしているけれど、結局、仲間づくりや共同体づくりに帰結することが多いのではないでしょうか。それが僕たちの場合は染めと織りが中心となっているのです。
裕)なるほど。本日はありがとうございました。