100万支出
今月の個人的経済ニュースはセルフファンドから100万円が流出したお話。
事故ではない。
それぞれ為替部門、株式部門から50万円ずつ支出された。
内訳は事業資金の補填と借金の返済だ。
また、この支出は投資収益のプールから出て行った。
つまり100万円稼いだ、というという状況でもある。
資産運用で100万円作ったが、それが手元には残らなかった、という話でもある。
月末の経済マガジンのネタとしては丁度いい。
2022年十月末
顔にスチームをあてながら、珈琲を飲む。
今月も沢山のモノを失い、体のメンテナンスもないがしろだった事に反省の念を抱く。
変化は訪れている。
何も、このままではない。
自身の劣化も経済も市場商況も変化を続ける。
為替部門
今、僕の中で最も稼ぐ為替取引の今月の利益確定額は50万円を超えた。
そして、そのほぼ全額が流出した。
消化したと言ってもいい。
今の僕の生活の中では、この部門は最も過酷な回転率を要求され、その為の体制作りにコストが掛かる。
丁寧に処理されるだけの余裕はない。
ポジションのクリーニングが必須であり、今の変化の時に次の戦いの準備を済ませなければならない。
その上で、生活と、他部門の維持もしなければならないので、アセットクラスとしての成長はほぼ望めなくなっている。
FXへの入金
入金源は今月末はギリギリ存在する。
これは以前に支出した分の戻し。
それも今後は望めなくなる。
経済的状況は僕自身のFXトレーダーとしての動きにかなり依存している。
一度も僕自身はFXトレーダーとして生きる道を選択した事などないのだが、不思議なモノで、今は、その収益ありきで、僕の周りの経済が回っている。
FX
円安の到来について、最近は何度も言及されてきた。
しか市、その為の条件はまだ充分ではない。
トリガーはそれなりに簡単に引かれる。
①日本銀行による利上げ
②米国経済の停滞
この二つが可能性が最も高い。
特に②の到来は何度も予告されてきた。
FRBの利上げの繰り返しも、この事態の予告になっていると考えられる。
ただし、この二つの他に逆に抵抗する要素も考えられる。
①日本経済の停滞
②日本の物価上昇
である。
そして、これも②の影響が強い。
日本の輸出入バランス、サプライチェーンの混乱、日米金利差などのカードは既に出ていて、これらは円安を引き起こした。
更に、これに投機筋が乗っかりベクトルは加速した。
そして、これに対する材料出尽くしの下げ圧が働くも日本の物価の抑え込みが機能しないので、円安が終わらない。
しかし、その内トリガーが引かれる。
そうすれば、堰き止めておいたダムの水が倒壊と共に濁流を引き起こす。
これは単純な円安動向ではなく、経済の混沌化が更に加速する事を意味する。
実際、このような事態は最早、止めようがなく、人類に出来る事は影響を軽微にする事と、時期を遅らせる事くらいである。
今、米国は時期を遅らせようと動いている。
これは中間選挙との影響の兼ね合いもあるのだろう。
そして、事態の軽微化については投資家も関わる。
今、投機的に $を買い貯めている人達は値崩れが始まれば、我先に売却を開始する。
不必要なボラティリティを生み出す。
そこに介入し、値動きを穏やかにするのが投資家の役割である。
市場に溢れ出た債権や$の受け手となるのが投資家だ。
そして、人が要らない時に買い集め、必要になったら、売却するので、最終的には投資家が勝つ。
僕は随分と、ここまで $売却を段階的に進めてきたし、値崩れが始まれば、 $は塩漬けにする。
値崩れ相場では売らない。
投機的プラットフォームとされるFXを通して、僕が投資家的視野で行う仕事だ。
株式部門
株式市場は九月の強烈な下落相場を抜け、今月は比較的穏やかな値動きだった。
上昇傾向がある中で、僕は少量の段階的米国株売却を行なっていった。
これは$のリリースも含めたドル建資産の市場供給を行う事でもある。
リスクを低減し、 $を供給する。
まさに投資家的仕事だった。
そして、稼ぎ出した円は流出した。
これは自己事業に飲まれた。
そして$ストックで今度は別の株式購入を行い、$建資産の減少と手持ちの$の流出の両面から、市場に$キャッシュを提供した。
以前に強化したバリュー株セクターが配当を齎すので、このアクションは比較的ローリスクで行われた。
$放出
僕は今後も$の放出を続けていく。
株式が落ちれば株式へ。
円が落ちれば円へ。
債権が落ちれば債権へ。
自己事業の停滞
市場動向とは関係なしに株式取得への行動戦略は続いていく。
これは投資家的視点において、常に生産性に対して出資を続けていく態度を選択するからだ。
以前は自己事業に対する投資が最も生産性の高い投資対象であったが、今はそれが停滞している。
本来であれば、こんな時期こそ自己事業投資が望まし苦はあるが、事業を回すのは人の心だ。
そして、その人の心を動かすのが、経営者としての仕事ではあるが、僕は無能故に、それが充分に出来ず、自己事業は投資の受け皿として機能しない。
それでも生産性に対して投資を行うという方針を守る時、暴落が控えていたとしても、株式への投資が望ましい、という結論に至ってしまう。
投資家の仕事として、利益は副産的事象に過ぎず、本懐的役割は生産性に対する出資なのだ。
流出と出資
資金は自らが望むモノと望まぬモノを統合して、アセットからキャッシュを抜き取っていく。
ファンドとしては機動性が失われていく。
つまり、僕の資産運用状況は決して、万全でもなければ安全でもない。
今、円のストックを流出すべきではない。
それでも、今、状況が芳しくなければ、僕は円を手放す。
結果、$建資産を放出し、$を放出し、円を放出している。
これは再生産性を凌駕するだろう。
つまり、僕のアセットは弱体化するのだ。
これを食い止める為には流出箇所を塞ぐしかない。
しかし、これだって、上手くはいかないのだ。
お金を使わない生産や向上を実現出来る人は少ない。
家族もあり、事業もある僕には、自らの意志だけで、それをコントロールする事は出来ない。
結果、僕は多くの人を守る為の資産を持ち合わせながら、その人々を導けないが為に資産を弱らせている。
投資家の本懐は資産成長ではなく、それと関連する物事の管理だ。
つまり、資本を用いて豊かさを生み出す。
そこには人の心があり、それがダメなら投資スキルがあっても孤独に生きる以外に防衛手段はないのだ。
そして、孤独か弱体化か、を天秤にかけた時、僕は今、弱体化を選んでいる。
変化
このままで良い筈がないが、僕は自分の守るべき人を守る事を諦める事は出来ない。
だとすれば、その枠組みの中で、ありとあらゆる変化を試みる必要性がある。
僕は藁にもすがる想いで、その試みを繰り返す。
全ては弱体化していく。
事業も生活も資産も。
投資の枠組みは常に困難への挑戦を支援するが、人は困難の前で戦うには優秀なリーダーが必要であり、僕は、それではない。
だからこそ、変化を望み、試み、試行錯誤をしていく他ない。
勿論、資産だけではなく、僕自身も消耗していく。
しかし、投資家として孤独に生きるなら、自身が消耗し、消えてなくなった方が望ましい。
投資スキルだけで生きながらえて、恐ろしく長い人生の暇つぶしをするくらいなら、賭けに出て、己をすり減らす方が良い。
耐え切れるだけ耐えて、倒壊する時はどうせ全てを失い、暇潰しの人生を送る事になるのであれば、今の全てを弱体化しながら、本気の暇潰しをしているに過ぎない。
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