negative sum→win2 game

投資で勝つ人と負ける人がいる。

特にCFDやFXは一般的にマイナスサムゲームだと判断される。
また、俗にいうFIREした人を[非生産人口]とする見方もある。

僕はそれに意義を唱えたい。

用語の定義

僕はSNS上では[マイナスサムゲーム][プラスサムゲーム]という言葉を用いる。
これはゲーム理論の言語を汎用的に改変して使っている言語で、ノンゼロサムの内、ネガティブなモノをマイナス、そうでないものをプラスと表現しているが、言語の組み立ては正直、重要ではない。

マイナスサムゲームは簡潔に言えば
プレイヤーの利得の総和がマイナスになるゲームの事である。
例えばパチンコや競馬、宝くじなどがそれに当たる。

例えば100人が宝くじを買う。
価格は¥1000だったとする。
一枚だけ当たりがあり、当選金額は5万円である。

この場合、全員のコストの合計が10万円であり、利得の合計は5万円である。
つまり全体で見ればマイナスになっている。

この宝くじに二等の3万円と三等の二万円を加える。
こうすると当選金額の合計は10万円となり、コストと等しくなるので、この場合はゼロサムゲームだ。

そして、更に当選金額が高い場合は全体の利得はコストの総和を上回る。
この場合をプラスサムゲームと呼ぶ。

マイナスサムゲームを繰り返す集団は貧しくなり
プラスサムゲームを繰り返す集団は豊かになっていく。

このコンテンツでは言語の綿密な定義(例えばマイナスの利得、英文表記がminusではない、ノンゼロサムの定義の前提)は考慮しない。

重要なのは
投資を通して、皆が豊かになる事は可能なのか
という事を模索していく。

投資はマイナスサムなのか

経済は富の奪い合いであるだとか、誰かの得は誰かの損であるだとか、そう言った考えの是非について語る事は今回はしない。

それは多くの資産形成法の著作の中で
欠乏マインド
と呼ばれ、人が豊かになる事を阻害している要因だと言われている。

ここは多くの賢人達の知恵を借りておきたい。

実際、世界の冨の総和は増え続けている。

株式取引や為替取引などの限られた経済ゲームでも
欠乏マインドは間違えである、と考える事が出来るのか、という問い
についての模索と
どうすれば、欠乏マインドに陥らずに投資活動を継続する事が出来るのか
という考察である。

トレードがマイナスサムゲームだと言われる所以

一般的に金融取引がマイナスサムだと言われる所以は手数料だ。

誰かが売った値段で誰かが買い、値上がりしたら売る。
安く売った者は損をし、安く買い、高く売った者は得をする。
この取引から手数料が差し引かれる。

これで利得合計がマイナスとなると考えられている。

この考え自体が色々と多くを見落としているが、この形態的な思考が
「売り時を間違えた」
「高音掴みをした」
などの損をしたという認知と繋がっている。

また売買を繰り返しながら手数料負けして資産を減らしていく人を生み出している。

株式の利得は株式市場から来ない

僕の視点はキャプチャータイトルの通りだ。
つまり、株式で得る利得は株式をトレードするプレイヤー同士の勝敗で発生するモノではない。

これは株式の仕組みを知っていれば、当然だと納得してもらえる。
株式というのは誰かがビジネスをする元手を出資した証明であり、その証明が証券となり取引可能になったモノで、利得の発生源は、その株式によって与えられた事業機会にある。

事業は取引によって、利潤を生み出す。
更に詳細に見れば、取引は顧客と企業のサービスと代金の等価交換を原則として成り立っている。
つまり市場価格が適正であれば、企業はサービスに対して適正な対価を受け取り、その中から利潤を生み出し、企業の所有者である株主に還元する。

その株主であるという証明が株式の本来の役割である。

つまり株を発行している企業の働きによって、利得は発生し、株券は、その利得の分配を受ける権利の証明である。
結果、株式市場には株式市場の外から利得が供給される仕組みになっている。

手数料を引いても、その利得の方が遥かに大きい。

結果、株式市場はマイナスサムゲームではない。

FXはマイナスサムゲーム?

為替取引はマイナスサムゲームだと言われがちである。
そういう論調の情報源は幾らでもあるし、僕自身も、その前提の上で戦略を立てた事も何度もある。

こちらで取引するのは法定通貨そのものであり、株券のような複雑なバックグラウンドを持たない。
なのでお金自体が、勝手に自動複製されるような夢の仕組みがなければ、株式の用に外部からお金を引っ張ってくる事はない。

そして結論を言ってしまえば
その仕組みは存在する。

これは、そもそも何故為替が動くのか、という問いの答えが、そのまま答えになる。

法定通貨の価格変動の要因は需要と供給だ。

つまり多くの人が必要とする通貨は値上がりし、あまり必要とされない通貨は値下がりする。
多くの場合、為替市場にフォーカスしてしまうと通貨対通貨で価値決定されていると誤解されがちだが、実際には通貨に紐付いた価値同士の比較が価値決定をする。

つまり値上がりしている通貨は、それを使って得られる利得が高いと市場が判断しているのである。
その結果を通貨対通貨に切り出しているのが為替市場である。

為替流動性は価値取得の円滑化に貢献している要因になる。

また供給の面でも価値を産む。
これは財政政策と絡む事なので、話が煩雑になり過ぎるので省くが、簡潔に言えば金利がつく
FX上ではスワップと呼ばれる金利差益だ。

株式でも為替でも両方に言える事だが、利得形成が取引市場内で発生するという狭視野が、これらをマイナスサムゲームに見せる。

実際、金融市場の全ては、その市場内に本質的価値がある訳ではなく、実体経済との関わりの中に利得生成機能を有しているのである。

外部からの利得

この二つの視点の共通点は利得を生み出す場所が市場の外にある、という事である。
この視点がある投資家は正直強い。
これは商売の基本を使えるようになるからで、人が欲しがっているモノを与えて需要に見合った対価を受け取る事が出来るからである。

値上がりする株式、急騰する通貨は、その典型である。
そして、多くの人がそれを求めれば値段が上がる。

株式と通貨、通貨と通貨、暗号資産や債権、先物取引に至るまで、原則は変わらない。

例えば株式を皆で安定的に持って、企業が利益を出して、世の中が豊かになれば、全員で勝てるし
多様な通貨ストックを持って、世の中の需要に合わせて放出すれば為替で全員が勝つ事は可能である。

これは理論上の机上の空論ではあるが、これが理想論だからと言って、金融市場がマイナスサムゲームとはならない。

債権を持つ人がいるお陰でお金を借りられる企業や国や個人がいて、株を持つ人のお陰で企業や産業が発展する。

その利得を得るのが金融市場の本来の役割である。

勝つ投資家は豊かさマインド

これは多くの資産形成を述べる著作の中で語られてきた。

このマインドの違いは何処で生まれるのであろうか、という問いの答えが先述の中にあると考えている。

つまり、外部に繋がり、利得を生み出し共有する感覚の有無が資産形成に多いに影響を与える。
これは投資だけではなく、社内のポジション争いにも同じ事が言える。

狭視野の利得を取り合うか、繋がる外部との利得創造を意識するかの違いだ。
欠乏マインドは限られた利得を取り合い、豊かさマインドは利得を生み出す利得の中に身を置く。

結果、もたらされる冨の量にも
時間の経過と共に差がつく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?