FIREについて考え直してみた。
2022年に入り、随分と投資ブームも随分と落ち着いてきた。
去年まではなりたい職業?ランキングで実は超上位に食い込んでいたと思われる[FIRE]という言葉は
最近、見る量がだいぶ少なくなった。
上がり相場ではリアリティが高かった概念は、下げ相場の中では到達出来ない理想郷に感じられ、その熱狂は静かに下火へ向かい始めた気がする。
僕のFIRE
僕はと言えば、一般的定義状態のFIREは達成し、少しのんびり出来る日々を送って、今までずっと重視してきた研究作業に重きを置いた生活を実践している。
時間は自由であり、FIRE前からの事業でも働きつつ、その事業をオーナーとして所有し、新規事業の立ち上げもちょこちょこ行っている。
研究に関してはreserchをただ日本語にしただけで、データ集めと実証検証が付随した理論構築と、それを事業実践やQOL向上向けの資料にまとめる作業をして過ごしている。
自分が実務に参加しない日の事業収益は実働の皆様に還元する為に使うので、その部分の補填を金融所得で補う。
これが僕の生活サイクルである。
そして、この状態に達するまでの流れとしては、ある日突然、FIRE達成、となった訳ではなく、気付けば金融所得で暮らそうと思えば暮らせる状況になってきた、という感じだった。
正直、仕事を辞めるつもりはなかったし、今でも日本が好景気になればバリバリ働くつもりだ。
今は少ないパイを奪い合う戦いには参加せず、新しい枠組みを作り出す為の知識や知見を蓄えながら、新しい事業を思索する方が柄に合っているし、幸福度が高いと思えているから、こうしているだけである。
一応立てた目標金額の3分の1以下の金融資産額で今の状態になって、結局は枠組み次第、リスクとリターンのバランス設計がライフプランニングの鍵であり、実際、大量の資産を持っているかどうかは重要ではないのだと思う。
グラデーションの中の不安定
実際、FIRE状態でセミリタイア生活を送っている中で思うのは、その間のグラデーションの中で起こった事象の重要度について考え直す事。
僕は2020年、2021年のある一定期間、リタイヤ生活を擬似体験した。その間にも資産は増えた。
それでも自分がFIREしているという実感はなかったし、どちらかと言えば、今までの仕事がコロナ禍の影響でアグレッシブに攻められる状況ではなかったが故に大人しくしていたに過ぎない。
ここ数年の投資ブームによる恩恵を受けた上での金融所得生活に過ぎなかった。
今もコモディティの値上がり、バリュー株へのトレンド変換、為替差益が生活を支えている。
資産を取り崩しながら生きて、それをFIREと呼ぶのであれば、かなり高額な資産を必要とし、人生の複数間のシーンでは大幅な資産縮小を体験する事になるだろうと思う。
それはリタイヤ生活と呼ぶには僕自身、不安と苦痛の中で生きるている感じが強すぎて、リタイヤというよりも資本主義の牢獄の中に収監されている感じに近いと思う。
完全なるFIREという概念があるとするならば、僕はまだまだ道半ばで、無資産状態から完全なるFIREの中のグラデーションの中に存在しているに過ぎない。
全てのFIREの民と呼ばれる人々は全員が、そのグラデーションの中にいて、それぞれの不安定さと様々な枠組みの中で調整して生きている。
これはFIREを目指そうが目指すまいが同じ事であり、自らの生活が幸福であり破綻しないように調整しながら生きている。
しかし、今、僕は去年との精神的状況と比べて、明らかに幸福度が上がり安定した気持ちで生きる事が可能になった。
この違いに着目して僕なりのFIREについて考え直してみたい。
金融資産で暮らす事を目的とするならば、実際、人々が一生懸命目指すべき程の価値はないように思えるし、金融所得で生活を支える事自体に価値があるとするならば、人間は自分自身で構築した資本主義の檻に収監される為に生きているようにも感じられるからである。
FIREの新定義
随分と序文が長くなったが、結論から申し上げる。
FIREをfinancial independence readied to escape[経済的自立脱出可能状態]とし、経済的自立の定義を見直す、というのが結論である。
さて、早速、経済的自立の再定義をお示ししたい。
経済的自立
簡潔に申し上げれば既存のFIREでは
経済的自立は給与や報酬に頼らずに生活資金を確保し、資産成長性の中で生きるという事を意味する。
つまり仕事をしてお金を貰う事なく金融所得の中で生きつつ、その根源たる資本を成長性の中に置いた状態と言える。
その為に必要な資本額は一億円だと言われたり5000万円だと言われたりする。
実際、その中間の中に存在するグラデーションの中に大半の人は、その答えとなる金額を見出す事が出来るだろう。
しかし、かなりの大金でありアッパーマスの一握りだけに許された特別な状態だとも言える。
また、元来、日本の家庭で使われる経済的自立の定義は生活費を自分で稼ぐ事、つまりは親の扶養から抜け、脛齧りを卒業する事であった。
この言葉の意味と意味の間の乖離はとてつもなく大きい。
かたや金融資産所得で生活する事を指し、かたや就職しただけで達成される。
この二つの乖離した概念の間にもグラデーションが存在し、その中に適切な定義を見つけ出す事が健全だと思う。
そして、僕なりの定義に使える概念的地点を見つけ出した場所が
[経済的成長性を設計できる]という地点である。
自ら、自身の経済的成長性を設計できる人を経済的自立を成し遂げた人だとする、という考えである。
これは精神性の課題を多く孕む。
貯金をすれば良い訳でもなく、積立投資をすれば良い訳でもなく、収入があれば良い訳でもなく、大金があれば良い訳でもない。
自分自身で「私はこうして資産成長をしていく」というプランを持っているという事である。
これは会社への依存も市場への依存も出来るだけ取り除き、自らのリサーチと仮説と、その立証に基づいた計画の有無によって判断される。
つまり、今後かなり高い確率で資産成長性を維持するオリジナルのプランニングが出来る状態を経済的自立の新定義とし、それを目的として定める事が既存のFIREによる定義を超えたQOL向上効果を人々に与え得るのではないか、と考えている。
経済的自立の目的
経済的自立を再定義した処で、それは一体何に向かうのだろうか。
既存のFIREの定義では早期退職であったが、実際、これはあまりにも極端であり、旧定義でも新定義であっても多くの人々が退職しない。
転職や起業を行い、多くの場合は以前より、よく働く人が多いように感じられる。
僕は実際の現象と早期退職に変わる本質的な目的、新しいREを考えた。
それが脱出可能状態(readied to escape)である。
簡潔に申し上げれば
自身の価値観に合わない事からの脱出が可能である状態を作る事である。
自身の価値観に合致した仕事内容と働き方が出来れば退職などする必要はない。
ただし経済的自立状態でない場合、転職、起業をするのも、リスクが高くて心理抵抗が高いし、一時的に無職状態になって、ゆっくり考えたり準備したり自分の人生の使い方を思索する余裕も持てない。
経済的自立は脱出可能状態を生み出し、自らのQOL向上の為の設計を可能にする。
これこそが経済的自立の目的である。
グラデーションの中のFIRE
僕の新定義の中では経済的自立(FI)も脱出可能状態(RE)もグラデーションの中に存在する。
完全に成長を続けられる状態を保証される事はなく、どれだけのリスクに対処できる状態になり得るか、永遠に研磨され続けるモノになる。
また自分の価値観に合わない事からの脱出も、完全に自身の価値観に則した世界は最早現実ではなく夢の国であり、その理想郷に向けて自身の価値観に沿って、脱出可能な範疇を広げていく事になる。
FIもREもグラデーションの中に存在するFIREは、既存のFIREを達成した後も永遠に追求可能であり
それは資本主義の世界で個々人がQOL向上に向けて取り組む一つの枠組みとして機能し得るのではないか、と考えている。
2022年 5月
僕自身の新たなるFIREの追求開始に臨んで。
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