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FI強化論

FIREという言葉が世に浸透し
「FIREを達成する」という言葉の意味が
この世の中に認知されるようになりました。

しかし、実際投資活動を行い、また、一時的に投資収益だけで暮らしてみる事を執行した時にふと疑問に思います。

「経済的自立の綿密な定義とは」
経済的自立の定義は金融所得額が消費額を上回っている事を指しますが、綿密な定義としては機能しません。
消費額を抑える事で強制的に達成させる事もできますし、また市場状況によって一時的に達成されてしまう場合もあるからです。

ここで僕が考えるのは
「FIは達成するモノではなく、強化していくモノなのではないか」という視点です。
FIREという言葉が世に浸透する以前、経済的自立という言葉は、自身の生活費を自身で稼ぎ得る状態を指しました。
この定義と現在、FIREの文脈で語られる経済的自立は別物なのか、僕は同じ文脈上で取り扱えるのではないかと思っています。

経済的自立financial independence FIは
達成されるモノではなく
自立度合いによって、グラデーションで描かれるべき概念なのではないか、という視点の元、これを定義し、また自身の位置も明らかにしながら、少しお話しさせて頂こうと思います。

written by ぽんた@HAM

狭義的FIは達成された

世界は2019年から新型コロナウイルスに襲われ、経済的にも大きな影響を受け、株式市場もコロナショック(=corona crash)により暴落しました。

その後、歴史に類を見ない速度で回復していく最中では
1000万円程の投資原価であっても、生活費にはあまりある程の収益を叩き出す事が可能でした。

政府の緊急事態宣言に協力体制を示した僕は
昨年の3〜5月、投資収益だけで資産を目減りさせずに暮らす所謂FIREの状態で暮らしました。
一時的経済的経済的自立による短期的引退状態に至りました。

この短期的FIRE状態は仮想通貨、株式投資への分散投資と、その分散要素全体の値上がりによって達成され、長期間の持続性がない事も明らかでした。

僕は引退期間中に事業投資へ資金を振り分け、2021年の夏より事業収益を中心とした生活システムへ復帰しました。

この一連の流れの中で、僕自身は資産形成による一時的経済的自立状態を達成したお陰で、この期間を生き延びはしたものの、それが世間一般的なFIREの定義には則さない事、しかしそれでも、これが経済的自立でないのだとしたら、この期間、僕自身の生活を支えたモノは一体何であったのか、という疑問を持ちました。

結論から申し上げると、この期間、僕は確実に経済的自立状態にありましたが、それは不安定である故に一時的であり、時間という要素において脆弱な仕組みであったと言えると思っています。

このヒントから僕自身は経済的自立=FIを再定義する事により、自分なりの取り組み方の地盤を設定していく事にしました。

FIグラデーション

まず、僕自身はFIRE以前の文脈で語られてきた経済的自立について考えました。
FIRE以前の経済的自立という概念は自身の生活を自らで支える事、つまり、親からの自立という意味合いが強く、そこから派生して配偶者やパートナーからの自立も含んでいるような範疇を差していました。

個人的な人間関係に依存せずに資本主義社会を生存出来る状態を指しました。

FIRE以後は自立の対象が変化し、労働収益の依存体制からの脱却、つまり営業所得からの自立を指す言葉に変化しました。
以前の意味合いでは主役であった筈の収入を、今度は脱却対象とした言語に変化しました。

この変化を地続き的に定義し、また、そのそれぞれの中でも段階的にFI度合いが変化し、取り組むべき課題が変化していくグラデーションとして考えていく事が、この言葉の有用な使い方なのではないか、と考えています。

第一段階:公的補助からの独立

まず第一段階としては、旧来的定義よりも更に前段階である部分から始まります。
これは多くの場合、親が既にある程度達成してくれている状況からスタートする場合が多いです。

この段階では公的な補助により生活が送れる状態を指し、その代表例は生活保護です。
この状態からの独立はまずは世帯としての経済的自立を目指し、公金注入による生活維持状態の脱却を目指すパートです。

各段階に分けたのは利便性の為であり、この各要素は独立的に分布しています。
例えば年金受給や片親世帯に関する補助、公的医療保険などの公的資金注入は多くの世帯が恩恵に預かっている処ですし、それに対する依存度は実は永久的に僕達に関連しています。

つまりは健康保険に依存せずに自らに健康的生活を担保出来るか、老後生活は年金に依存せずに確保できるか、など、ある程度豊かになっていても、この段階の視点は残り続ける事になります。

第二段階:家庭補助からの独立

これは旧来の定義が意味するメインの処であり、基本的には親からの保護からの独立を意味します。
自身の生活状況が親の経済状況に依存しなくなった状況を目指します。

これも完全なる脱却ではなく、例えば、自宅購入時に親に頭金を出してもらう、就職祝いで社会人活動の初期資金を出してもらう、などの部分的残存要素が残る場合があります。

これはこれらを拒否するのではなく、あくまで依存度合いを低減させていく方向性を確立していくという話です。

ライフステージによっては出産祝いを貰ったりと部分的補助を受ける場合もありますし、逆に子に扶養される場合などもあり、その関連性は複雑で独立的な要素として僕達の人生に関連しています。

第三段階:個人関係からの独立

この段階はスルーしても大丈夫な人も多いかも知れませんが、この段階に長く深く留まる人もいます。
一般的な課題保有状態で典型的なのがヒモと言われるライフスタイルで、他にも友人の世話になる、富裕層から個人的援助を受ける(パトロン)などの場合もあります。

第四段階:給与からの独立

この部分がFIREの文脈で定義されるFIの一部です。
この部分と第五段階を含めてFIの定義とされています。

この部分では第五段階への進行(独立、起業、複業)と第六段階への進行(FIRE)があります。

雇用による生活維持からの独立の段階です。

第五段階:営業所得からの独立

これは個人事業主や起業家の段階であり、複業スタイルで、この段階に到達する人もいます。
結局は労働と伴い、顧客に対する依存状態から独立を考える事になる段階です。

僕自身は第五段階と第六段階の重複状態に存在しています。

第六段階:市場状況からの独立

狭義的FIの定義「資産収入が生活コストをもたらす」という状況の安定性を追求する段階です。
これは市場の急激な成長によって一時的なFIRE状態を達成してしまう事もあり、また、その資産的状況が実現できる市場状況の網羅性について考察する段階です。

この範疇はとても大きく、一般的にはFIREを成し遂げたと言われている人の大半が、ここに含まれています。
なので多くの人々が第一段階と第五段階に留まりつつ、第六段階の課題に対応しているのだと考察しています。

第七段階:不安定要素の低減追求

長期間の資産運用の結果、どのような資産状況での既存の情報範囲では安定的にFIREを成し遂げられるようになったとしても資産の漸減や資産ショートのリスクは拭いきれません。
究極的安定状況、つまりは生活コストの絶対的安定状態は死という事になってしまうので、第七段階より上の階層は無いと仮定しています。

終わりに

FIをグラデーションで捉える事、それを仮想的な段階に分けて考えてみる事を考えてみました。
結果、今回は段階的に分けてみたものの、七つの要素は点在的に存在し縦1列に配置されているものでは無い事がわかりました。

第二段階にいながら第七段階に取り組んでいる人もいて、僕みたいに段階を順次登っていく人もいる中で、それぞれを独立した要素として考えると順番的なものよりも、僕自身の思考形態や在り方について考える事が出来ると思います。

つまり段階的な捉え方で考える事でFIの定義を柔軟に捉える事ができ、これを分散的な要素で捉える事によって、経済状況の多様性を取り扱う事が可能になると考える事ができると考える事が可能になると思います。

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