多様性と叫ばれる昨今、最も身近にあるのが男女の差異ではないでしょうか。
そもそも『男女の差』というのはどこにあるのか。
そしてその平等性は果たして実現されているのだろうか。
私は考えました。そして結論としては遺憾ながら、否、でした。
では、どうして否なのか。いつから否なのか。
その理由を、もう少し深く考えてみることにしました。
いつから?
男女平等というものが叫ばれ始めたのは、ウーマンリブ、いわゆる女性の権利を認めよ、と女性が声高に主張し始めた頃からでした。
男は外で働き、女は家で待っていろ。
国を動かすのは俺たち男なのだから。
選挙権も被選挙権も与えられることなく、人間としての尊厳を奪われ専業主婦として来る日も来る日も休みなし。
そんな、半ば奴隷や召使いのような生活を女性は長年強いられてきました。
どうして?
先ほども書いた通り、男は外に出て働き、女は家にいて帰りを待っている。
そんなステレオタイプな考え方や慣習がいつの間にかはびこってしまった。
男は男らしく、女は女らしく。
このような、その存在自体を見た目だけで決定してしまうような強制が、誰かにとっては楽だったのかもしれません。
もしかしたら、男性という、本当は弱くて弱くて仕方のない存在が、自我を守るために作り出してしまった都市伝説なのかもしれません。
ダイバーシティ?
日本人は本当に横文字が好きなのだなぁ、と感じます。
そしてその横文字を略して表現する。
最近ではモラハラやパワハラ、マタハラなど。
まるで隠語のように文字数を節約しています。
しかしながら、略さずに言葉にできる人はどれだけいるでしょうか。
なんでもかんでも略せばいいという時代は、とっくのとうに終わっています。
さて、ダイバーシティとはどんな意味でしょうか。
私は最近まで、お台場にある商業施設だと思っていました(冗談ではなく本当にそう思っていた💦)。
ですので、ダイバーシティ推進室の○○です、と言われても未だにピンと来ません。
どうも、多様性を推し進める運動のようですが、わかりにくいことこの上ない。
イケメンでいてほしかった?
ある大企業を定年退職された方が再雇用され、ダイバーシティ推進室の室長になったのだと名刺をいただいたことがあります。
それが、どうも偉そうなのです。
大企業で勤めあげたプライドもあるのかもしれませんが、どうしてこの方はマウントを取ろうとしてくるのだろう??と不思議に思いました。
そしてダイバーシティの根源である私には何の興味も示さないようなのです。
カナダやフランスの首相とまでは求めませんが、多様性を推進する方はイケメンが良かったな。。←実はこのこと自体も多様性を無視していることになりますのでお気をつけください。
男と、女?
女には女の魅力がある。
一方で男には男の魅力がある。
太陽は月を比べない。
月は太陽を比べない。
だとしたら、男が女を、女が男を比べることには何の意味もないことがわかります。
ですので、否も是、となるのです。
それで、いいのです。
本当の多様性とは?
拙い文章をお読みいただき感謝いたします。
まるで専門家ではないような表現も多々ございました。
ただ、私は当事者として、そして多様性を体現する者として、声高に叫び続けなければいけないのです。
この文章が誰の目にも触れなくても、批判されても、否定されても、人が人として存在する限り。
私は考えました。
そして深く考えました。
そしてひとつの答えを導き出しました。
本当の多様性とは、違いを認めることなのではないか、と。
見た目の差異で判断するのではなく、その存在を見ること。
見ようと努力すること。
その先に、本当の意味での多様性があるはずです。
私のカウンセリングルーム、アトリエ・IMAに来られる方のほとんどは生物学的に女性が多いです。その理由を考えたとき、気づいたことがあります。
その気づきは、また今度、お話しできる機会があればいいなと、感じております。
夢というのは、最大の個人情報と言われています。ただ、解釈を抜きにしてはただの脳内作用です。夢に興味のあるあなたに解釈していただいてこそその価値が出ます。