リッスン
ひとは何に癒されるのか?
ずっと探求を続けた結果、何かをする、ということには至らず、、、
そのかわり リッスン 聴くということを覚えた。
ずっと同じものを学ぶ中で、新たに出会わせて頂いた先生が授けてくれた教えだ。
それは、たんに耳で聞くというだけでなく、完全に受容する、という意味を含む。
退屈していそうなら、身体に声を響かせる。
放っておいて欲しそうなら、距離をとる。
遊びたがっているなら、一緒に踊る。
あれこれ管理する人より、遊んでくれる人に
なつくのは、子供も身体も同じらしい。
身体の治癒に参加させてもらうなら、まず身体に信頼してもらうために、修練を重ねるべきだろう。その道のりは険しくて、死んでも合格!は出そうもないが😭謙虚であることで、それは、苦行にならないかもしれない。頭を柔らかく、自然の中で呼吸する、その呼吸に導いてもらう、せめてそれは続けたいと思う。
人は何に癒されるのか。
それに正解はないに違いない、でも自分の抱えていた命題には、一つの答えが見出せた、、身体、そのクリエーションに意識を向け続ける時間が、最大の癒しの時間ナノダ。
情報は一瞬一緒アップデートされる。なにかを信じるよりよっぽどいつもフレッシュだ。枯渇しないし、古びない。
灯台下暗し。
“リッスン“は最強の武器だ。
自分自身に完全に受容的になること。それによって身体がしている内外のやり取りにも気づく。受け入れると自他区別なくジャッジメントも不思議と消えていく、、、
昨日ユニークな研究会で気功について発表をされた研究者の方が面白いことをおっしゃっていた。
最近は環境が悪すぎて、気候で外気を取り入れるとかえって寿命を縮めるから、気候はやめたんだと。ある中国の名手がおっしゃっていたんだそうだ。そこには、情報も含まれるのかもしれない。
あまりにも切実な話だ。
そもそもお胎の中では、外部環境のもたらす要素、タイミングを察知して、人間の青写真を形にしてきた私たち。何が健全か、それを見定める力は潜在的に用意されているはずだ。
今こそその力を思い出す、取り戻す時なんじゃないか、そんなふうに思う。
“リッスン“が力をきっと発揮する。
続けていきたいと思う。