見出し画像

ジェームズジェラス 2月号 詩の解剖学ー知覚の探求

“檻の中の野生動物のではなく、自然の中にいる
野生動物に出会えるかどうかだ“

これは、ジェラス先生が、オステオパシーの頭蓋領域の治療に多大な功績を残されたサザーランド先生の言葉を引用されたものです。

サザーランド先生が頭蓋骨の呼吸に気づき、包帯でご自身の頭を固定して、頭蓋の呼吸とその効果を発見されたという話は有名で、サザーランド先生は、この実験でのストレス下の頭蓋の機能的な動きを“檻の中の野生動物“と表現されました。

ストレス下では、その抵抗から、内部の動きはデフォルメされます。しかし、サザーランド先生はストレスのない、自然な状態、動きに沿うことに重要性を感じ、その些細な動きを受け取るために、ご自身の知覚の方の精度を上げられた、、実験のために頭蓋骨を固定していた包帯を手放し、ただ待つということに長い歳月をかけて、人の中にも自然の中の野生動物のように振る舞う健全に常に導く叡智を、感覚として招き入れることに成功しました。

“70歳のとき、サザーランド博士は「生命の息吹」という表現を使い始めた。私たちは この表現を、ユダヤ教、キリスト教、道教、そして孔子の伝統から、 原動力として知っている。世界のすべての宗教、さらには特別な風を 表現した異教の慣習にさえ、この表現は見られる。いずれにせよ、サ ザーランド博士はこの生命の息吹を発見した。彼は生命の息吹を中枢神経系の動き、脳脊髄液の動きの中に見出したのだ“

人間社会という檻の中。デフォルメされる痛みや抵抗、怒り。このような日々の生活の中で、私たちが、自分自身の中の野生をどうしたら、自然の中に解き放つことができるのでしょうか。

“野生動物は痛みや緊張から逃げたりはしない。緊 張や痛みを目の当たりにしても、まったく違う生きる術、今この瞬間に集中しているのだ 。

自然界の透明性は、私たちが自然界と同調する能 力の関数である。私たちは瞬間の静けさを認識することで、この同調 を達成する。“

サザーランド先生の貴重な試みと志をジェラス先生はさらに人の健全に生きるための道標として深く洞察し引き継がれています。

ニュートラルな状態とは、今この瞬間とひとつになること

自然との同調の入り口である、ニュートラルに入るのに、ジェラス先生が1番を強調されたのは、徳の高さでも身体の状況でも信念でもなく、
“今この瞬間“との関係性に集中することでした。

“座って何もせず、少しユーモアを 交えて自分の思考を観察してみると、中央のコントロールがないこと に気づく。すべての内なる声、思考、感情が従う法則などないのだ。 この時点で、この内なる王国には王はおらず、多種多様な思考、感覚 、感情、情動があるだけだと思える。そこには共感と、時には思いやり。すべてが宇宙のミネストローネスープのよ うなものを形成している。どの感情が現実なのか?どの感情が感情で あって感情ではないのか?どの感情が感情ではなく美徳なのか?なぜ私の身体はこんなにも混乱し、ごちゃ混ぜになっているのだろう? このように感じるのは、1万ものメッセージを同時に受け取っている からだ。これが最終的には緊張につながる。

偽りの知覚、それが病気のプロセスであり、患者である。

人々は、自分の心は常にさまよっていると私に言 う。放っておけばいいんだ。心がさまよっているときは、そのさまよ いと健康を同時に見るように注意を分けてください。健康を見るため に心の迷いを止めなければならないと思わないでください。

私達の中には叡智が宿っている。

私たちは健康であり、それは100パーセントそこにある。 あなたがそれを知っているかどうかにかかわらず。それを知る前に、私たちは何かを捨てなけれ ばならないと思う。その "何か "とは、健康と "今ここ "の間にある距 離の錯覚です。“

自然の叡智、健全は、いつからこんなにも遠い存在になってしまったのか、、、高次のスピリチュアリティーはいつから、身体と分けられてしまったのでしょうか?

“知覚の研究は、「原初の生命力」や「美」との深いつながりを育むことで、私達の多くが、普段渇きを感じている世界と新たに調和した関係を築くことができるようにするためのものであり、そこで私達は実際に、人間の規則性ではなく、何百万年も前から存在する自然の世界に引き寄せられていると感じることができるようになるだろう“

共にあるスピリチュアリティーとして、身体ともう一度向き合う、感じる、、、知覚の変容が私たちにもたらしてくれるものの可能性は肉体のみならず、人生そのものの充実に限りなく開かれている、そう感じます。

◎知覚を通した、自然との同調ーニュートラルに入るためのエクササイズ

このエクササイズは、 一人でやっても、誰かと一緒にやっても、座っても横になってもできま す。

両手をお腹の上に置き、お腹の上で休ませてください。心を休ませます。無理強いせず、ただ休む。

何かを知覚しようと努力しない。腹部の輪郭や動きを観察するのでは なく、ただ手を休ませる。

私たちの手は、呼吸の動きに合わせて動く腹部の印象 を受け取る。

同じように肋骨に手を休ませる。

ただ落ち着いて、すべてが自分の中に入ってくるようにす る。(それが絶対に重要)

※脳が脊髄液の中に浮かんでいるイメージが助けになる方、興味のある方は手を乗せるエクササイズと同時に感じてみましょう。

出典-Das große Jealous-Kompendium
Biodynamische Osteopathie

2021年第1版
発行: Corelink GmbH, Fürstenplatz 3, 14052 Berlin Copyright Ö
2021 Samuel James Jealous, Tom Esser, Rahja Esser All rights reserved
ISBN 978-3-944489-13-1
翻訳:アナシャ・E・フフナグル、トム・エッサー、ラーヤ・エッサー
Proofreading: Michaela Gerlach, Petra Cöntges
Edlted by: ペトラ・チェントゲス、トム・エ
ッサー

以下は関連するテーマから抜粋したJames Jealous D.O.著『オステオパシーを巡る旅(原題 An Osteopathic Odyssey)
12月23日の記録です。ご関心があればご参照ください。

※末尾に原文掲載

注意が泳ぐ

自分から外のなんらかの事柄に注意が移ってしまうと、散漫になる。

それは自らの投影か自分の外側にある何かの可能性がある。注意はその現象に張り付いて消費され続ける。

注意が内側に向くと、内的には驚くほど静かになり癒される。もしそれが流れ続け、生き続けていればの話だ。もし注意が内側に向かって頭で止まってしまうと、散漫になにか考え出すようになる。

もしそれがうちに向かってハートに留まると自己中心的になり、表現は感情的なものになる。ハートの奥深くには全体があり、生命によって満たしている虚空がある。

注意を自分自身の内側に向けること、、泳がせる
さまざまな事実が浮かび上がる。愛を望むならば、扉は開いていく。

ATTENTION FLOWS
December 3
Distraction occurs when the attention flows outwards away from oneself into an event.

The event can be our projection or something outside us in the immediate environment. The attention sticks to the phenomena and is absorbed continuously.

When attention flows inwardly it becomes remarkably quieting and healing inside, but only if it continues to flow-to live.

If the attention goes inwards and stops in the head one begins thinking in an unfocused manner.
If it flows inwards and stops in the heart one becomes self centered and emotions rule ones self expression.

Deeper in the Heart is the whole, an emptiness that the creator fills with
Direct the attention inwards within yourself... let it flow... many truths will be seen. If you wish to love there will be a doorway that opens.

いいなと思ったら応援しよう!