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読書記録|『仏教思考』

仏教に興味を持ったキッカケはPodcastの『a scope』
仏教は宗教というよりも哲学である。
とても論理的に書かれていると知って学びたいなと思いました。

「空」や「唯識」の概念は本を読んだくらいじゃ理解できないな…と。
何となく言っていることはイメージできるが、自分ごとに落とし込めない感じ。

頭だけでは理解が難しいから、身体的な経験を積む「修行」があるんだろうな。

◇◇◇◇◇◇

— 印象に残った言葉・感想 —

「私」=「他者」

1番面白いと感じたのは「私」とは何なのか。

すべてのものごとは、自分の認識によってのみ成り立っているという唯識の考え方。
自分が起点になっているので、「私」とは何なのか…
「私」の定義が大切になってくる。

【私=「私以外のすべてのもの」ではないもの】という等式が成り立ちます。
仏教は関係性の哲学です。

(略)

「私」も、自分以外の他者との関係性があるからこそ特定されるのです。
すなわち、「私」を含めたあらゆる存在は、それ以外のすべてのものに担保される事実がある。
「私」と他者は、相互依存関係にあるのです。
このように考えると、先ほどの等式から一歩進んで
【私=私以外のすべてのもの(他者)】ということができます。

『仏教思考』p196

最初の等式【私=「私以外のすべてのもの」ではないもの】は直感的に納得できる。

この図が分かりやすい

【私=私以外のすべてのもの】となった途端に訳がわからなくなる。
「私」と「私以外のもの」との区別がない。これが「空」の概念なのだと…
直感的に理解が難しい…

ただ自己犠牲の精神を考えた時には、ちょっとだけ【私=他者】が理解できる気がした。

日本で美徳とされがちな自己犠牲や滅私奉公の精神は、本来の仏教的な意味では利他とは言えません。
なぜなら、自分が犠牲になったら、自分とイコールでつながる他者も犠牲になってしまうからです。

『仏教思考』p198

相手のためを思ってやっている行為でも、自分に少しでも我慢している感情があると見返りを求めてしまうな…と。
自分はこれだけしてあげてるのに…と負の感情が出てくる。
これが相手にも伝わって負の感情が連鎖していく気がする。

でも疑問も残る。
【他者=私】だとするならば、他者が幸せになれば自分も幸せになれるはず。たとえそれが自己犠牲的だったとしても。
なんか矛盾してないかな…

理想は自利と利他が両立した状態。
今年のテーマにした『自己中心的利他』の考え方はすごく仏教的だったんだな。

◇◇◇◇◇◇

仏教の考え方は面白い。

すべてのものごとに絶対性はなく、関係性によって常に移り変わる。

変化のサイクルが早い今の時代には大切な考え方だろうな。


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鈴木健太|工房ベル
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