見出し画像

『私は全て1人ではできない』を認め、許す。

私は昔から自分で何でもしなくてはいけない。と思い込んできたから、人に頼ることが今でも難しい。『荷物持つよ』と言われても、『大丈夫、私持てるから』とせっかく私を思って掛けてくれた優しさを受け取れなかった。長女、長男あるあるかもしれない。親から『お姉ちゃんなんだから、お兄ちゃんなんだから、しっかりしなさい!』と言われてきた方も多いかもしれませんね。

せっかく優しい言葉を掛けてくれても『それって私が無能ってこと?!』と脳内で書き換えられ(面倒な人だなぁ)、結局『結構です、私待てますので』となってしまっていた。

最近そんな場面に頻繁に出くわすようになり、その度に心の中がザワザワした。あっ、これは何か手放す必要があるものが上がってきたなと。

シータヒーリングで掘り下げていった。
すると、自分でできないとダメな人間=能力のない無価値な人間と思っていた。だから、優しい言葉を掛けてくれても『それって私が無能ってこと?!』と脳内で書き換えられ(面倒な人だなぁ)、結局『結構です、私1人でできますので』となってしまっていた。

そう言えば私は常々息子達に『自分で出来るようにしなさい』と言ってきた。それも私の思い込みだったんだね、ごめんよ息子たち。

まずは、全て1人で出来るという思い込みを手放し、私はあらゆる関係性の中で生かされているに置き換えた。見方をかえるだけで、感謝が止めどなく溢れ、私はなんて傲慢だったのだろうと気づいた。

Pale blue dotの映画でも言われてたように、死ぬまであらゆる関係性は続く。
『目に見えるものは、目に見えないものにさわっている。聞こえるものは、聞こえないものにさわっている。おそらく考えられるものは、考えられないものにさわっている。』

今までは家族を含め人間関係は大変だと思い込んできたけれども、逃げてただけで本気で挑んでなかっただけかもしれない•••。

今からでも遅くない。私の望む関係性を育むと決意した、みんなみんなありがとう😊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?