読まなくても読んだ気になれる番組
NHKの「100分de名著」という番組をよく見ています。
25分番組×4回で100分。
月ごとに紹介される本が違って、1ヶ月みると、その本の大事なところが分かるっていう番組。
7月の名著:千の顔をもつ英雄
ジョーゼフ・キャンベルの神話の力を読む読書会に出ていて、ファシリテーターをしている方から、番組を紹介されました。
ちょうど7月の名著がキャンベルの千の顔をもつ英雄だったので、キャンベル繋がりで見てみましょう~ということで。
世界中にある多くの神話を比較してみると、ある基本構造が見えて来ます。
英雄は冒険に出て、境界線を越えて、メンターや悪魔と出会い、変容を遂げ、成果物をもって故郷に帰るというもの。
実は神話で語られる英雄の冒険というのは、人間の人生を比喩的に語っているものだそうです。
つまり、私のような、英雄などとはほど遠い一般人にも当てはめることができるものだとか。
私も小さな英雄で、私の人生は英雄の旅なのかなあと心が揺さぶられる感じがありました。
キャンベルの回だけ見るつもりが8月の名著も視聴してしまいました。
8月の名著:新約聖書/福音書
ざっくりというとイエス・キリストの伝記となるのでしょうか。
キリストが弟子たちに伝えた教えと、受難、そして復活というのを書いた部分です。
福音とは良い知らせのこと。
キリストが死んで、復活したということが良い知らせであるとされています。
私の母はクリスチャンで、その教えの中で育った私としては、非常に複雑な感情を抱く本。
それが聖書です。
子どもの頃から、母が信仰するキリスト教の教えを聞いていても、私は聖書の神を愛することが出来ませんでした。
まず聖書を読んでいて、神は愛だと思えなかった。
聖書の神は横暴で、とても視野が狭く、自分を崇拝しないものを滅ぼす、とても心の狭い神だと思っていました。
神を崇拝するために人間は創られたという教えがあるのだけど、崇拝されるために人間を創ったのかとおもうと、ドン引き。笑
そして、イエスの示す憐れみというのも、いまいちピンとこなかった。
だから、人々がキリスト教のどこに救われてクリスチャンになるのか、全く理解出来ずにいました。
だけど、この番組を見たら、イエスの人類に対する深い愛情が分かった気がするし、聖書はそういう読み方をするものかと、とても新鮮な驚きがありました。
「神話の力」には、神話は隠喩として読むことが書かれています。
そして、キャンベルは聖書も神話だと言っています。(クリスチャンには受け入れがたいだろうけども)
だから聖書も隠喩として読むべきであると言っています。
文字通りに受け取らずに。
福音書の解説者さんも、とても深く読み取っていて、行間を読むとそういう解釈なんだな~と、とても面白く感じました。
特に、ユダの気持ちになって福音書を読むという提案。
イエスを裏切るということは、どんな深いいきさつがあったんだろうと、いたたまれないような思いがします。
私はいま、聖書を持っていないんだけど、初めて読むもののような気持ちで読んでみたいなと思えました。
7月・8月振り返り
千の顔をもつ英雄⇒聖書というのは、意図されたものだったのかしら。
神話の基本構造から英雄中の英雄といえるイエスの物語へ。
私の中では、すごく良い流れでだったなあと思うんですけども。
千の顔をもつ英雄も上下巻で結構難解だと聞くし、聖書の分厚さといったら目眩がするほど。
読みたいと思ってもなかなか読むことが出来ないだろうな・・・と思えるものを、100分で解説してくれるなんて、すごくいい番組だな~
9月はウェイリー版 源氏物語
来月は100年ほど前にイギリスで翻訳された源氏物語だそうです。
源氏物語がイギリスで翻訳されていたとは知らなかった。
なんだかとっても楽しみ。