湖北の風景14 岩脇山の機関車壕・善光堂
※なぜ山に登るのか。
そこに山があるからさ。というのはよく聞きますね。
私はというと、
旅館とかへ行った時に、一通りぐるっと見回して施設の場所や構造を把握しておきたい。そんな感じ分かります?
ざっと自分のテリトリーを把握しておきたい本能。
いつも眺めている山に登ったことがないまま死ぬなんて。という謎の開拓精神の下、
今日も山に登ります。(子供とハイキング)
山には地域のニッチな史跡や寺社が多く、歴史を肌で感じたい方にも、もってこいです。
今回は岩脇(いをぎ・いおぎ)山(120m)
低いと侮るなかれ。列車壕に清水の舞台のような善光堂、狐さんがかわいい稲荷神社。山頂は撮り鉄スポット。見所満載でしたので分けて掲載します。
・岩脇(いおぎ)蒸気機関車避難壕
太平洋戦争末期に作られた、
空爆から蒸気機関車を守るための2本の防空壕(未完成)
場所はJR米原駅からほど近い、岩脇山。
ご覧の通り山の硬い岩盤に掘られたトンネル。手作業で掘られたという苦労が忍ばれます。
中には入れませんでしたが、定期的に見学会が行われているそうです。
深淵の先は古代ロマン・・・ではなく、戦争遺跡として米原市の指定文化財として登録されているそうです。
・岩屋善光堂(いわやぜんこうどう)
国道から見える清水の舞台みたいなやつは何だろうといつも眺めていました。
「善光寺縁起」によると
推古天皇の時代に本田善光という熱心な仏教信者によって、難波の堀江から仏像が引き上げられた。
その仏像を背負って故郷の信濃へ戻る途中、琵琶湖のほとりのこの地にて休息していた。
仏様が「民に仏法を広めるためこの岩窟にとどまる」と夢枕に立たれたため小さなお堂を建てて仏像を安置した。
ちなみに背負ってきた仏像はやっぱ善光寺に持ってったよ。という謎なお話。
大阪難波の堀江にはあみだ池という池があり、
蘇我氏が祀っていた、百済からもたらされたという仏像を仏教反対派の物部氏が投げ捨てたという伝承があります。(難波堀江の位置については諸説あり)
そしてその仏像を拾って善光寺を作ったのが善光さん。
この善光さん、どうも伝説上の人物らしく、百済王族の末裔説などがあります。
伝承のエッセンスとしては、
この岩脇の地に百済系仏教が伝わり、渡来系民族が居住・信仰した。それが6~7世紀頃に遡れるかも。
といった所でしょうか。
近江の仏教受容はけっこう古い。
そして今も信仰が残ってる。
ちなみに古代寺院の造営の始まりが、古墳時代の終焉にあたります。
(ステイタスシンボルが古墳→寺院に変化)
以上、読んで下さりありがとうございます。
先の大戦と仏教伝来に想いを馳せる、そんな湖北の風景でした。