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詩なんて書けない

※シーソーなゲームの画像お借りしました。御礼。

※詩、詞、歌、ポエム、便宜上、全部ひっくるめて「詩」と表現します。

※わが夫なる人物について。
(あまり悪し様に書くとバレたら怒られそうなので、あくまで良い感じに書きます)

蛇蝎(だかつ)のような私と夫婦になってくれるほどには変わり者であります。
私と違って都会派シティボーイであり、また違う方向にひねくれている面もありますが基本的に穏やかで思慮深い、理系・科学教の関西男児です。

愛情深い両親によって大切に育てられたであろう寛容さ高潔さもあり。
私がたびたび「イクメン」と揶揄する程度には、子供たちの信頼を勝ち取っています。

ある日の夕食時、その夫が振ってきた話で、
「ロックンロールとはなにか」という話から、なぜか
表現力を上げるには「詩」を書いたほうがいい。という話になりました。

短歌に挑戦中で、詩作についていろいろ思うところがあった私は、
嬉々として以下の例を挙げました。

古代より日本含む東アジア周辺では特定の日に若い男女が集まる「歌垣」(うたがき)という習俗があり、
それは超簡単に言うと求愛の歌を詠み合い、よい歌を詠めることがモテにつながったのよ。
腕っ節だけじゃモテない。教養を重んじる文化を育んでいる人類って素敵よね。とお得意の付け焼き刃の民俗学をひけらかしました。
(この辺がまことに蛇蝎のようにウザいですが、彼には聞いてくれる寛容さがあるのです)

つまり詩というのは、
鳥が求愛ソングを歌うが如く、異性とつがいたいという人間の根源的な欲求を体現するもの。(異論は認めます)
言語を獲得した人類は、詩に託して想い人へ愛を届けるのです。
合コンでオモロイ話が出来る奴が人気なのも、一種の歌垣と言えよう。
(え、合コンなんて今はしない?)

魂をゆさぶる「詩」をかけぬ人間が、どうして想い人の心を掴めようか。

それはつまり「若くない」我々はもう「歌垣」の土俵には上がれないということ。(まあその話題は今回はおいとくね)

「あなたは若い頃に詩を書いたことがあるの?」と問うと
なんと一個も書いたことないそう。
「ミスチルの詩にグッときたことないの?」
そうでもなさそう。
えぇ、いわゆる理系の方ってそういうもの?

例えば、

人生をフルコースで深く味わうための
幾つものスパイスが誰もに用意されていて
時には苦かったり
渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを笑って食べる
君の側に僕は居たい

HERO/Mr.Children

百人一首にはピンとこなくても、
こういう曲にグッときたこと、ないのか。

私が言うまでもなくミスチルは、桜井さんは天才である。
J-POPの名曲とはまさに歌垣の猛者を集めた粋と言えよう。
別にビルボードに躍り出なくたっていいのよ。日本人の心に沁みれば。

ちなみに若かりし頃、スピッツ派ミスチル派があって私はスピッツ派でした。ミスチルの売れっ子感がサブカル学生的には鼻につくというか。
スピッツは幻想的で美しくて夢があって、
ギリ、サブカル感が許せるっていうか。(何様?!)
酸いも甘いも噛み分けた(?)大人になって歌詞を味わってみるとミスチルに軍配が上がったりするのですがね。(つまり双方素晴らしい)

そんなこんなで「イノセントワールド」とかをかけてワインを楽しむ夜。
ミスチル、スピッツ、みなさまはどっち派ですか。
(え、どっちも知らない?YOASOBI派でもいいよ)

ちなみに「夜遊び(ユーアシビ)」も沖縄地方の歌垣的なやつの名称の一種なんですって。
物憂げな6月の雨に打たれて、
愛に満ちた季節を想って歌ったりしてみたい気持ち、だけは満々な今日この頃。


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