湖北の風景16 蛭子神社
※七夕画像お借りしました。御礼。
7月7日、織姫と彦星が年に一度逢瀬を重ねる、七夕伝説はみなさまご存知かと思います。
米原市世継(ヨツギ)の蛭子(ヒルコ)神社。
天野川を挟み鎮座する蛭子神社と朝妻神社(湖北の風景7)には
織姫の墓と彦星の墓になぞらえた七夕伝説が伝わっています。
眩しい日射しを受けてふらっと立ち寄りました。
蛭子(ひるこ)神社 かつての名は世継(よつぎ)神社
祭神 事代主命 配祀 須佐之男命
延暦年間(782~806年)に奈良興福寺の仁秀僧正によって建てられた。
境内に朝嬬皇女の墓石(七夕石)と伝わるものがあり
この皇女の霊を祀っているとされます。
この石は天野川上流にあった古墳の石が洪水で流されたもので、
皇女が世継へ御幸されたことを後世に伝えたいという村人の願いにより七夕石として祀られたようです。
(つまり、古墳はもともと別の場所にあった。洪水を「御幸」と表現するなんて粋なはからい?)
七夕のルーツは湖北の天野川だなんて主張する気はありませんが
二つの神社をロマンティックな恋の伝説に仕立てるだなんて素敵ですね。
お参りすれば、きっと恋のパワーを授けてくれるでしょう。
個人的に流されてしまった古墳のほうが気になりますが。
平地の住宅と畑の間にありますが、きれいな駐車場も完備でアクセス良好です。
天野川を渡って対岸の朝妻神社へ行くのも橋があるので年中安心です。
※あとはこの神社の「蛭子」と祭神「事代主命」の関係について
ちょっと長いのでご興味のない方・もう知ってるという方はサラッと飛ばしてくださいな。
蛭子(ヒルコ)とは
『古事記』において国産みの際、イザナギとイザナミとの間に生まれた最初の神。諸事情あり「わが生める子良くあらず」とされ葦船に入れられオノゴロ島から流されてしまう。
『日本書紀』では、アマテラス、ツクヨミの後、スサノオの前に生まれ、3歳になっても足が立たなかったため、クスノキで作った船に乗せて流されたとされる。
室町時代頃に、海のかなたから流れ着いた子が神であり、いずれ福をもたらすというヒルコ信仰(蛭子)と、異国の神や海から流れついたクジラなどの漂着物への信仰であるエビス信仰(夷・恵比寿など)が結びつき、ヒルコとエビスの混同につながった。
一方、事代主(コトシロヌシ)は大国主の息子とされ、神託を司るが「国譲り」の際に釣りをしていたというエピソードから漁業の神とされ江戸時代にエビスと同一視され始めた。
エビスは七福神で唯一日本由来の神で、七福神の絵図でエビスが釣竿を持ち鯛を釣り上げた姿で描かれるのは、この事代主の伝承に基づくものともいわれる。
あと、蛭→昼だとするとヒルコはアマテラス(オオヒルメ)の男神版というワンチャン、太陽神説もあったり。
ヒルコ=エビス=コトシロヌシ
ご都合主義に色々言いたいこともあるかもしれませんが、一応こんな感じで
なぜ蛭子神社の御祭神は事代主命か、というお話です。
この「蛭子神社」
琵琶湖にほど近い場所にあるので漁業の神というのはぴったりな存在だったことと思います。(琵琶湖は漁業がさかんです)
「流された神(ヒルコ)」と「流された古墳(七夕石)」が祀られている。
偶然の一致か、必然か。とても面白いじゃないですか。
この一連の強引なこじつけによって、
親に流された可哀想なヒルコがこうして立派な神格を得ている、
そして記紀に記されぬまつろわぬ神、エビスが愛されているのはなぜか。
神様の成り立ちと信仰について考えるヒントになりそうですね。
このパターンは、
七夕の成り立ちと、色々な信仰を絡め取って成立した日本での七夕信仰について考えるヒントにもなりそうです。
以上、読んで下さりありがとうございます。
とりあえず、ヱビスビールで乾杯🍻
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