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最期の夏

クツクボウシ♪
ツクツクボウシの鳴き声が聴こえてくる。
暑すぎたのか今年は蝉の鳴き声も空蝉もあまり見かけません。
夏の終わりにはヒグラシの”かなかなかな〜”が聴けたら嬉しい❤︎
今年もベランダに張り巡らした朝顔の花が今朝は13個咲いていた。
眺めていると熊蜂がお花の中に潜りあま〜い蜜を吸っている。
真っ黒なプリプリのお尻が可愛ぃ(^_−)−☆


この夏は目が回るほど忙しかった。

94歳になる家人の母が介護施設で亡くなった。
容体が急変したと連絡を受けて2度の日帰り。
落ち着いたかと思い、帰ってきた次の朝、腎盂腎炎で静かに息を引き取った。
二年前に私が患った病。

この夏は奇妙なことが次々と起こった。

突然エアコンが壊れ翌日買い替えたり、GSで突如エンジンがかからなくなりJAF出動!JAFのスタッフがエンジンをかけたら動く。

また私の体の調子が芳しくなく直感が働き「近いうちに腎盂腎炎か腎炎を再発するかも」と周りに洩らしていた。

この夏の不思議な出来事。

そんな折、お義母さんが白昼夢で
「のんちゃん、意地悪してごめんなさいね。許してください。お盆でお父ちゃんがどうも迎えに来てくれている気がするんよ。後のことはよろしくお願いします。」という声を確かに聴いた。


気が強い者同士で反りが合わなかったのだが私はいつも黙って聞いていた。
介護施設に入居するまでのお義母さんはオシャレな人でピンクのコートを着て、ルビーとダイヤが施された老眼鏡をかけ、私に対抗意識を燃やし綺麗なマニュキュアを塗っていた。
衣装部屋にはチュニックブラウスが100着はかかっていたでしょうか。

でも家人はそんなお義母さんに優しげな眼差しを向けていた。
親子の絆は他人には到底理解できないもの。


それなのに不思議だっだことは出棺の際、私は数珠を握りしめ「ありがとうございました。ありがとうございました」と感謝の言葉しか出てこなかった。
これは意外だった。恨みつらみのひとつでも出てくると思っていた。

瀬戸大橋が完成した年にお義母さんと3人で焼きたての蒲鉾を握りしめヘリコプターで瀬戸内海の周遊や小豆島への旅行、それにたくさんの贅沢をさせて貰ったことが次々と遠い記憶から引き出されてくる。

九年前にお義父さんが亡くなった時などは天皇陛下から頂いた勲章を大きな額縁ごと葬儀場に持っていくと言い大騒ぎになった。

教育者として一生を捧げ、若き日は零式戦闘機の操縦士だったお義父さんのことを誇らしく、本当に大切に思っていたお義母さんだった。
安らかに微笑んでいるような表情のお義母さんを見て、お義父さんが迎えに来てくれるのをずっと待っていたんだと確信した。
最後まで寄り添うというお手本のような夫婦だったのだろう。
「生き様は死に様」「死に様は生き様」と言うが私も最期の時を微笑んで迎えたい。
生きているうちに言えなかった、たったひとこと
「お義母さん、ありがとうございました」
私は本当に気が利かないからお義母さんに叱られたんだろうな…




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