今日のランチはキャベツ太郎
「あんちゃんって、肌きれいだよね」
「ほんとー?嬉しいありがとう」
「いつも何食べてるの?昨日の夜ごはんは?」
「んーー、マックのポテト」
「は!?ごはんじゃないじゃん(笑)」
学生時代。
クラスメイト達と一体何度
この会話を交わしたかわからない。
「あんちゃん栄養失調になるよ。
ちゃんとしたもの食べないとさ」
ちゃんとしたもの。
そう言われても、まあ仕方がない。
この会話の前日。
この日は母とふたりの夜ご飯だった。
私はどうしても、ポテトが食べたかった。
むしろそれだけでいい。
そんな日が私には幾日もあるのだ。
買い出しに行く母にそう伝えると
「え、ほんとにいいの!?
ママ実は今日疲れ果ててるから
それだとたいへん助かる。ありがとう」
私の願いと、母の本音が重なる。
心配されるかと思いきやお礼まで言われた。
しめしめ。ウィン・ウィンというやつだ。
「奮発していっぱい買っちゃった」
しばらくして母が嬉しそうに帰ってきた。
家じゅうにポテトの幸せな匂いが広がる。
アツアツのポテト、ゆっくり休む母。
ぼーっとテレビを眺めては2人で相槌を打って。
それで私はこの上なく満ち足りていた。
〇〇ちゃんは?と聞くと
ごはん、味噌汁、肉じゃが、お魚、、、
それとひじきの煮物に、フルーツヨーグルト。
うん。とても美味しそうだ。
「〇〇ちゃん、昨日は肉じゃが食べたかったんだ」
「べつに。私はカップラーメンが良かったけど
お母さんが献立決めて作った」
「そっか!お母さん栄養士だもんねえ。
お母さんの料理美味しいんだろうな~」
「べつに?そんなでもないけど」
まあ、一昨日が手抜きのカレーだったからね、と
前日の食卓を誇らしげに話す友人。
因果関係はよく分からないけれど、
その肌が無数に荒れていることに気づく。
「でもやっぱり将来はさ、自分の子どもにも
早いうちからちゃんと食育してあげたいよね。
あんちゃんも勉強しとかないとだよ!」
授業開始のチャイムが鳴る。
ーーーーー食育。
昨日の食卓で、私はきっと友人の言う"食育"は
みじんにも受けていないのだろう。
だけど私は、こんなに満たされている。
久々の母との時間は同時に心も満たした。
不思議なものだ。
もしあの場で、それでは栄養が足りないからと
完璧なメニューを無理に作られたら、、
もし母が我慢して料理をしていたら、、
ーーーそれが、食育?
誰かの希望や本音を曲げてまでするものが
"食育"、いや、"教育" で、
"正義" だとしたら、、、
.
平日のショッピングモールは空いていて良い。
学生の頃に見ていた景色とは違い、
時代のせいでポッカリ空いたテナントが目立つ。
付け焼き刃で置かれたソファをぼんやり眺めながら
もうお昼を過ぎている事に気づいた。
ごはん、どうしよう。
ふと駄菓子屋が目に入る。
あ、いいかも。
小さな頃から好きだったキャベツ太郎の
小袋を手に取ってみる。
感情があるのかないのか分からない
カエル警察の絵をまじまじと見つめると
『そんなのごはんじゃないよ』
『ちゃんと食育してあげたいよね』
かつてのクラスメイトの言葉が
胸をチクリと刺す。
いや、
でもいい。
"小さな頃から好きだった"
この気持ちをもらえたキャベツ太郎は、
"母との幸せな時間"
この記憶をもらえたマックのポテトは、
私にとっての最高の
食育であり、教育であり、正義なのだ。
息を弾ませながら小袋を開け、
わざとサクッと軽快な音を鳴らす。
酸味と嬉しさで鼻の奥がツンとした。
そうそう、これでいい。
密かに書いている一行日記に記す。
"今日のランチは、キャベツ太郎"
最高の昼下がりだった。
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