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映画「八犬伝」。滝沢馬琴はどんな人?
2024年10月に公開された映画「八犬伝」。
滝沢馬琴を役所広司、葛飾北斎を内野聖陽、八犬士の運命を握る伏姫を土屋太鳳、馬琴の息子・宗伯を磯村勇斗、宗伯の妻・お路を黒木華、馬琴の妻・お百を寺島しのぶが演じる豪華キャストの面々ですね。
監督は「ピンポン」「鋼の錬金術師」の曽利文彦です。
原作は、山田風太郎の小説「八犬伝」です。
「滝沢馬琴の小説じゃないの?!」
と思った方も多いのではないでしょうか?
山田風太郎は『南総里見八犬伝』や『水滸伝』をはじめとした古典伝奇文学を咀嚼・再構成して独自の視点を加えた小説を書いた作家です。
特に奇想天外なアイデアを用いた『魔界転生』や『忍法帖』シリーズなどが代表作として挙げられます。
今回は、オリジナルの滝沢馬琴について深掘りしていきます。
劇中には、葛飾北斎も登場しますが、実際は仲が微妙だったりします…苦笑
映画「八犬伝」のあらすじ
今回の映画のあらすじを紹介します。
人気作家の滝沢馬琴は、友人である絵師・葛飾北斎に、構想中の新作小説について語り始める。
それは、8つの珠を持つ「八犬士」が運命に導かれるように集結し、里見家にかけられた呪いと戦う物語だった。
その内容に引き込まれた北斎は続きを聴くためにたびたび馬琴のもとを訪れるようになり、2人の奇妙な関係が始まる。
連載は馬琴のライフワークとなるが、28年の時を経てついにクライマックスを迎えようとしたとき、馬琴の視力は失われつつあった。
絶望的な状況に陥りながらも物語を完成させることに執念を燃やす馬琴のもとに、息子の妻・お路から意外な申し出が入る。
2種類の構成パートに分かれていて、里見家の呪いを解くため運命に引き寄せられた8人の剣士たちの戦いをダイナミックに活写する“虚構”パートと、その作者である江戸時代の作家・滝沢馬琴の創作の真髄に迫る“実話”パートを交錯させて描かれているそうです。
滝沢馬琴が書いた八犬伝とはどんな話?
ではオリジナルの滝沢版 八犬伝とはどんな話なのでしょう?
『南総里見八犬伝』は、馬琴が28年かけて書いた長編小説で、日本の冒険小説の元祖とも言われています。
戦国時代に安房の地を活躍の拠点にした房総里見氏の歴史を題材に、滅亡の危機に瀕した里見家を救うために、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の霊玉を持つ八犬士が里見家に集結し、因果を乗り越えながら悪と戦い里見家を救うという物語。
彼らがそれぞれの特技や人格を駆使し、宿命に導かれて友情や愛を築いていく姿が描かれています。
八犬士たちの絆や成長、運命との闘いが多くの読者に感動を与え、さまざまな舞台や映像作品にも影響を与え続けています 。
滝沢馬琴について
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馬琴は江戸後期の読本・合巻・黄表紙作家。
今で言う小説家といったところでしょうか。
時に曲亭馬琴(きょくていばきん)と名乗ることもありました。
没落しかけの滝沢家に生まれ、父の影響で武家奉公をしていましたが、父の死後は一家離散しました。
その後、24歳で戯作を志しはじめました。
版元・蔦屋重三郎の元で働きながら、作品作りに明け暮れていたそうです。
※ちなみに蔦屋重三郎については過去に記事を書いたことがあるので、興味のある方はぜひ読んでみてください⇩
馬琴は江戸の庶民のみならず、200年の時を経た現代の人々にも愛される小説を出版しました。
映画、歌舞伎、人形劇などの幅広いジャンルで、創作の題材となり続けている作品ばかりですが、途中、幾度も版元が変わり出版そのものが危うくなったこともあったそうです。
版木の修正を繰り返す「版元泣かせの馬琴」として有名でしたが、執筆の合間には庭の花壇の土をいじり、草花を愛でるという意外な一面もあったそうです。
また、日本一の原稿料を取る男としても有名でしたが、長男が病にかかった時は、介抱、家事、掃除、買い物などこまごまとした家事をそつなくこなすイクメンっぷりを発揮していたそうです。
晩年は失明してしまいましたが、創作意欲は衰えることがなく、亡くなる直前まで創作活動に取り組んでいたそうです。
馬琴と北斎は仲が悪かった?
映画にも登場する葛飾北斎とは、実際に交友関係がありました。
馬琴が小説を書き、北斎が挿絵を描いて、よく二人でタッグを組んで読本を発表していたのですが…
実は二人は大喧嘩の末、絶交しています。
両者が初めて衝突したのは1807年。
馬琴が書いた『新編水滸画伝』後編の挿絵に関して議論になり、それぞれが降板すると言い出しました。
この作品は『画伝』であったことから最終的に版元(現在で言うプロデューサー)が北斎を支持。
馬琴の代わりに高井蘭山(たかいらんざん)に変えて決着が付きました。
その後も何度か衝突が起こりますが、版元の仲介もあってなんとか和解していましたが…
文化8年、ついに絶交のきっかけとなる大事件が起きてしまいます。
発行予定の『占夢南柯後記(ゆめあわせなんかこうき)』で、登場人物の口に草履をくわえさせる挿絵を支持した馬琴でしたが、そこに北斎が反発。
「誰がこんな汚い草履を口にするんだよ。そんなに言うならお前がまずくわえてみろ。」
その言葉に馬琴は大激怒し、二人は絶交。
両者が相当なガンコ者だったことがわかるエピソードでしたね。
映画を見たい人は
2024年10月25日より、全国の映画館で上映中です!
この機会にぜひスクリーンでお楽しみください!