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寒山工房 -atelier kanzan- 古典絵画の制作・修復・調査・研究を行う …

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寒山工房 -atelier kanzan- 古典絵画の制作・修復・調査・研究を行う   /  アトリエ雑記帳・工房ノート

最近の記事

真実を語る

嘘が良くないことは子供でも分かることですが、その本当の理由を知る人は多くありません。 嘘をつくことは自分と相手を同時に欺くことであり、思いと話す言葉と行いが真っ直ぐにつながらないので、思うことが実現できなかったり、話す言葉が相手の心まで届かなかったりするからです。そしてそのような状態にあると物事の判断を誤ったり、逆に人に騙されたりしてしまいます。 生きていく上でいつも真実を語ることは簡単なことではありません。時には命を落とすことがあるかもしれません。それでもその勇気を持ち

    • 思いはとどく

      私たちは戦争や大きな災害で犠牲になった人々の慰霊のために、特定の日時に黙祷を捧げています。そのような祈りの力は目には見えませんが、世界の隅々まで届いてはたらいていることを信じています。 思いの持つ力について、19世紀のインドに生きた聖ラーマクリシュナは次のような言葉を残しています。 * 思想の持つ力を理解しているものは数少ない。もしある人が洞穴に入って閉じこもり、そして真に偉大な思想を考えだした後、そこで死んだとする。しかし、その思想は洞穴の壁から滲み出し、空間を振動し

      • 真実をさがす

        昔から農業に携わる人は、田畑を起こし種をまく時節を判断するために、山川草木、自然の姿にあらわれる徴(しるし)を目安にしてきました。祖先から言い伝えられてきたことが、自身の体験によって確かなものであることを知っているからです。 新しいことを学んだり発見したりしようとする場合はどうなのでしょうか。その昔、天動説が定説であった頃、動いているのは地球のほうであると口にすることは大変な勇気と覚悟が必要だった時代がありました。みながそう言うからといって、それが真実であるとは限らないので

        • 祈りの声

          昔のことになりますが、3年ほどかけて小さなお堂の中に絵を描く仕事をしたことがあります。扉は閉めていましたので夏は暑く、冬は防火のため暖房器具が使えずにとても寒かったことを覚えています。 中で仕事をしていると、足音や賽銭を投げ入れる音でお参りに来る人がわかるのですが、中には願い事や祈りを声に出す人もいます。 祈る人の声は、願い事や御礼、感謝の気持ちなどさまざまですが、みな真剣です。そのような祈りの声に助けられて、無事に仕事を完成することができました。 (2020.09.0

          心を洗う

          洗濯物をたたむほどのことに人生はあるか、と詩人山尾三省は問いました。生きるために必要な、日常のどのような小さなことも人生をつくりあげています。毎日の暮らしのなかの一つひとつのことを丁寧に行なうことは、何よりも大切なことであると思います。 掃除、洗濯、そして心を見つめ、心を洗う。どんなに小さなことにも心をこめる。その積み重ねがその人の人生を作っていくのではないでしょうか。 詩人は、自分の人生が一枚一枚たたまれていくと詩(うた)いました。 (2020.05.18)

          全身全霊で

          横山大観の制作にまつわるエピソードの中で特に印象に残る話があります。 第一回帝展に出品された六曲一双の龍を描いた屏風を制作する際に、屏風の一折を1枚と数えて、完成までに90枚を書き直したという話です。大観はこの展覧会には特別な思いを持っていたのでしょうか、一切の妥協を許さなかった姿勢が伺えます。 偉大な先人に倣い、作品にはどのような小さな仕事でも常に全身全霊で心血を注ぐという心構えで臨みたいと思います。 (2020.01.26)

          全身全霊で

          数学のはなし

          数学の専門家によると、数学の公理などは人間が考え出したものではなく、すべて隠されていたものを「発見」したものなのだそうです。 芸術家が想像力や霊感によって宇宙の中に暗黙の秩序を見出し、それを音や形にすることとよく似ています。優れた数学者が共通して持っているものは、謙虚さと特別の美意識、そして精神性です。 数学と芸術はそれほど離れてはいないかもしれません。数学者はみな、数学は圧倒的に美しいと言い切っています。 * 数学者は詩人でなくてはなりません -ソーニャ・コワレフスカ

          数学のはなし

          職人の仕事

          職人技とよく言われるように、職人の仕事を評価するのにその技術力に注目が集まります。 そのような話を師匠としていたときに、師はこう言いました。第一は誠実さ、第二に品格、技術は三番目である、と。 清澄な心で形を造り、そこに品位が備わって初めて美が顕れるということなのではないかと思います。 (2019.06.07)

          聖山に祈る(6)

          巡礼者の訪れる大きな修道院は設備も近代的に整えられています。連絡をする時は電子メールが使えますし、部屋には暖房の設備があり、トイレも水洗でお湯のシャワーもあります。それでも世俗社会から遠く離れ、聖域として静けさが守られています。 祈りは、どこにいてもできるのではないかと言われますが、よりふさわしい場所というものがあることは確かです。その場所には長い間に醸成された、祈るための磁場が作られているのではないかと思います。 (2019.03.22)

          聖山に祈る(6)

          聖山に祈る(5)

          日本人は珍しいせいか、巡礼の人たちや修道士の方々からもよく声をかけられました。話を聞くと、巡礼者もいろいろな国から来ていることがわかります。 修道士もまた出身がさまざまです。ブルガリア、フランス、中国、そして日本。夕食後、就寝までのわずかな時間ですが、巡礼者は修道の方ともお茶を飲みながら歓談することができます。 修道士の方々には歓迎され、とてもよい時間を過ごすことができました。忘れられない巡礼の思い出です。 (2019.03.19)

          聖山に祈る(5)

          聖山に祈る(4)

          祈り 修道院では毎日夜明け前に3時間、夕方に2時間祈りの儀式(奉神礼)が聖堂で行われています。 蝋燭とオイルランプの灯りによって金地のイコンが照らされる中で聖句と聖歌が交互に詠まれ、鈴の音のする香炉の煙によって堂内が清められます。無伴奏(アカペラ)で歌われる聖歌は中東の旋律に似て、とても神秘的に聞こえてきます。 聖堂は特別なエネルギーに包まれていて、宗教の枠を超えた荘厳な空気を体感することができました。 (2019.03.17)

          聖山に祈る(4)

          聖山に祈る(3)

          トラベザ 朝夕の祈りの時間に続き、修道士と巡礼者はともにトラペザと呼ばれる食堂で食事をします。修道院の畑で収穫された野菜や果物を中心にワインなども添えられます。 食事の時間には係の修道士が聖句を朗読します。聖句は魂の栄養になります。 (2019.03.13)

          聖山に祈る(3)

          聖山に祈る(2)

          聖母の園 伝説によると、聖母マリアはキプロスに住んでいた伝道者ラザロの「死ぬ前に一度会いたい」という求めに応じて、エルサレムから船出をしましたが、エーゲ海に出たところで嵐に遭遇し、漂着した所がアトス半島でした。 その時、<この地を御身の園そして楽園に。救いをもとめる者たちの港とされよ>と主イエスの声を聞き、上陸されたといいます。 ギリシア東北部にあるアトス半島は、共和国内にありながら正教会の修道院による自治が認められていて、この領域に「入国」するためには許可書が必要です

          聖山に祈る(2)

          聖山に祈る

          巡礼のためにギリシャを訪ねました。聖山アトスをいただく半島には大小の修道院が点在しています。 巡礼者はそこに宿を借り、修道士とともに祈りの儀式に加わります。そしてその中で授かった恵みをそれぞれの国に持ち帰り、皆と分かち合うのです。 この聖域では1000年もの間変わることなく、この営みが続けられてきました。 (2019.03.10)

          奇跡を想う

          悲しいことですが、この世界には平穏な日常を持たない場所や人々がたくさんあります。平穏な日常も小さな出来事がきっかけとなって、簡単に壊れたり失われたりするものです。 あたりまえのように過ぎてゆくささやかな幸せというのは、考えてみると一つひとつの奇跡の連続の上にあるように思えます。 有り難いという言葉、感謝という気持をいつも想いながら皆が日々を過ごしていくことができるようにと願っています。 (2018.12.01)

          夢の風景

          この世界は、私たちの心のあり方がそのままに映し出されているといわれます。宇宙がどのように認識されるのかは、私たちの心が決定します。 願わくば、透明な心で、美しい世界を映していきたいものです。 世の中は夢かうつつかうつつとも夢ともしらず有りてなければ – よみ人しらず(古今和歌集)- (2018.11.01)