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ゆるく、だるく、君も広告屋的なノリで年始から人生を楽しもう!

昔から恋愛ソングが苦手だった。

よく歌詞にこんな文面が出てくる。

僕がずっとそばにいるよ、ずっと君を見ている、決してこの手を離さない、僕が君のそばで囁いてあげる…

いや、それ完全にストーカーだろ!!(笑)

と、真面目に思っていました。好きな人から言われるならまだしも好きでもない奴にこんな歌詞と重ね合わせた行動をとられたらたまったものじゃない。

そもそもの発端はこうあるべきであるという『べき論』が人の人生をこんがらがらせている気がします。
お前ならできる、きっとやれば出来る、努力次第でなんだって…なんて、

そんなわけないでしょう!

よくスターが貧しい家系から必死で這い上がって栄光を勝ち取ったみたいなサクセスストーリーがありますが、その状況から勝ち上がれる人の可能性って全体の何%か考えたことがあるでしょうか?仮に10000分の1の確率でそういう人が出たとしても(多分実際はもっと少ない)、その中の残り9999人はそうではない結末を迎えていて、その後も栄光をつかめなかった人生が続いているってことご存知ですか?と思ってしまいます。10000分の1の可能性で結果が出た人より、10000分の9999の結果が出なかった人の人生にフォーカスした方が大多数の人のためにはなるのではないかと思ってしまいます。

世の中は、結構シビアだなぁと、ちょこちょこ思います。

え?そんなにやなことあるの?
え?お正月からだいじょうぶぅ?

365日毎朝自問自答してきた。今日やろうとしていることが本当にやりたいことなのかと。その答えが何日も「ノー」ならば、何かを変える時だ。

アップル創業者 スティーブ・ジョブズ

人が変わる方法は3つしかない。
1、時間配分を変える。
2、住む場所を変える。
3、つき合う人を変える。
最も無意味なのは「決意を新たにする」ことだ。

経営コンサルタント 大前研一

正直、私は私生活で嫌なことがほとんどありません。そういうことを排除するように努めて今の生活にたどり着いたので、当たり前といえば当たり前ですが、基本楽しく穏やかな生活を毎日送っています。ただそう思えるのは私が世の中に通奏低音のように流れているこの『しなければいけない』と思われることの半分以上を行っていないからだと思います。

人生設計、結婚、進学、就職、マイホーム、マイカー、温かな家庭、資産運用、グローバル化に向けた英語スキル、プログラミングスキルの習得、健康な肉体と健全な交友関係…etc

世の中にはしなければいけない(と思われる)ことが多すぎる気がします。

こんなことがしたいのならば、どこかの旅行代理店が行うような『人生代理店』が設計した『人生パッケージツアー』みたいなものに申し込めばいいのではないか?と本気で思ってしまいます。本当に皆さん上記のようなことがしたいのでしょうか?

いや、そう言ったってみんなしてるし。
親を安心させたいし。
周りの友達はみんな結婚して子供も何人目だし…

スタバでナチュラルに流れてくるヒーリング音楽のようにこんな意見が聞こえてきそうです。

まぁ、それもまたその人たちの人生なのでしょう。

正月というのがあまり好きではありませんでした。なんだかぼーっとしてしまって今までのペースが崩されるようで、感覚を戻すまでの時間的ロスが何より嫌でした。それがだんだん歳を重ねるごとに「それもいいかも」みたいな気持ちになってきました。お雑煮に浸かったお餅のようになんだか気持ちが緩やかになっていくのを感じます。諦観ていうのでしょうか。

実家でお正月に食べたお雑煮

学生時代、就職しようかアルバイトをしながら絵を描こうか、かなり迷った挙句、就職は今しかできないので一度就職活動みたいなものをやってみたことがありました。就職するなら広告業界がいいなと思っていて、元々好きだったというのもありそこそこ活動はうまくいっていたのですが、最終的には広告業界に身を置きながら絵を描くのはあまりに大変そうなので絵を描く方に専念する道を選びました。

今思うとそんな業界に行ったらこんなに呑気な生活を送れるはずもなく、いつか倒れているか病気になっていた気がします。ただ今でも広告関係の本や資料は好きなのでずっと読み続けています。 

『広告とはつまるところ好きな人にラブレターを書くようなものだ』

とある会社説明会の際に役員の人が言っていた言葉です。私は昔から手紙を書くのが好きで、年賀状も挿絵がつけられるのが楽しくて今でも手書きで作ったりしています。

年末に珍しく友人を家に招いて家をきれいにして、お寿司を買ったりご飯を作ったり、こういったホスピタリティが自分は案外好きなのだと思いました。
誰かのためだから頑張れる、漫画の主人公みたいな発想ですが、自分にはそういうところがあるらしい。そしてそれは不特定多数ではなくて極力少ない人数だと特に力が大きく発揮される気がします。

多分その最小公約数は1人=自分、に対するホスピタリティが一番なのだと思います。1人でいても基本退屈せず、外食も旅行もディズニーランドでさえも最後は1人で行ったりしていた時期がありました。ただ、たまに誰かと旅行に行ったりすると1人ではわからない良さもあるのだということが少しわかってきました。

学園祭のノリは嫌いだけれど、そこを抜け出して(同じように感じている)友達と一緒にコンビニの駐車場で盛り上がっている時は異常に楽しい。閉じられた空間で2人だけが共有できる秘密のようなものを持つと、人との仲はグッと深まる気がします。

自分のアトリエもそんなノリで運営できる形態を目指して作りました。自分が管理不能な大箱にする気はさらさらなく、どんなに多くてもせいぜい抱える人数は30~40人程度を限度にしたいです。感覚的には、みんながピザを食べている中に自分が入って行ったら急にみんなが立ち上がって挨拶なんかするような感じではなくて、どちらかというと『あ~、遅いよ先生、冷めちゃうから早く食いなよぉー』みたいなノリで迎えてくれる感じがいいと思います。

なんでみんながピザを食べているのかは置いといて。

ある人がコンサルティングと広告代理店の違いについてこんなことを言っていました。

クライアントが「山に登りたい」と言った時に、コンサルは地図を作ってくる。地図を一緒に見つめていると、クライアントが「このルートがやっぱり合理的だよね」と言って、登るクライアントに手を振って送り出す。たまに一緒に登るタイプの人もいる。
代理店は地図というより登山プランを持ってくる。他にどんな道があったかはともかく、楽しげで良さげな登山プランを説明する。「これがあれば十分でしょ?」と、頂上から見た景色の写真を持ってくるタイプの人もいて、「まさに!」クライアントが感動することもある。

コンサル的な話は安全で無難かもしれないけれど何処かトキメキに欠ける。

一方広告代理店はちょっとチャラいがなんか一緒に行ったら楽しそう。

この実際はどうかわからないけど『一緒に行ったら楽しそう』という『楽しそう』の部分が大事なんだと思う。

人生設計的には浮気もギャンブルも一切しない安心安全な人の方がいいと思うけれど、実際はちょっとチャラくて色気がある人の方が人間的には魅力的だったりする。家族の長として魅力的かは別なのかもしれないけれど。

味は全く美味しくないけれど健康的なものを100年食べ続けて長生きする人生と、すごく美味しいものを50年食べ続けて生きる人生だったら、後者の方がきっと豊かで楽しい人生を送れる気がするのと似たような感覚なのかもしれません。

別の仕事のお客様に教えてもらった銀座の料亭のランチ。破格の値段と美味しさでした。体に良くて美味しいものを100年食べる人生が理想です。

今年も始まって早くも7日が過ぎました。神様は7日で世界を作ったと言いますが、私が7日間で作ったものはこのブログ一本と何枚かの年賀状を書いたのとお昼に毎日ペペロンチーノを作ったくらいです。

それでいいと思います。別に私は神様ではないので。

毎年年賀状は2パターン作ることにしています。1パターンは親しい友人用、もう一パターンは一般の方向けです。

きっとこれからも大変なことはいっぱいあるでしょう。楽しいことももちろんたくさんあるでしょう。人生いいこともあれば悪い時もある、前途洋洋ではないけれど、未来があるというのはくじ引きを引くみたいに何が出るかわからないワクワク感があって楽しみです。

いよいよ明日からアトリエの仕事が再開します。新年最初の大事な1日ですが、多分普段と全く変わらず仰々しい挨拶もなく淡々と年始のレッスンは始まると思います。昔からそうでしたが基本的にテンション変動率が私はそんなに高くありません。

そして私事ですがあと三ヶ月で年齢が一つ上がり、あと三年で齢が40歳になるようです。

嬉しくもないけれど、特に嫌でもありません。

どこまで行けるかを知る方法はたった一つ。出発して、歩き始めることだ。

哲学者 アンリ・ベルクソン

そんな思いを込めて今年の年賀状を作成しました。
最後に作成した年賀状を掲載して年始最初のブログを終えたいと思います。

新たな1日と、これからの未来に小さな期待を込めて。

大晦日深夜未明、2023年度年賀状デザイン原画完成。

今年も人前に立つ仕事を続ける以上、皆さまにとって、自分が楽しくて魅力的な人間でありたいと強く願います。

2023年度年賀状 親しい友人向けバージョン
こちらは通常版。

本年もよろしくお願い致します。



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