2022年の年末を迎えて『自分の座標軸を見失わないために』
学校にも行かず、就職もせず、職業訓練も受けない若者=ニート=『社会悪』のような風潮がありますが、これは学校に行き、就職して、職業訓練を受けることが価値ある人生で、それに該当しない人の人生は価値がないと言われているようで疑問に感じます。というかその3つにしか人生の価値を見出せない(と思われる)人たちが定義した言葉なので、どちらかというとそういう人たちの人生に疑問があります。
それで、結局あなた方のその人生は楽しいのですか?
少し前に大学の同級生が展覧会を行なっていて、神奈川の相模原という駅のギャラリーで作品を展示していたので見に行ってきました。相模原はかつて自分が通っていた大学があった場所の隣駅で半田舎的な名残を残しながらそこに商業施設を乱立させ急速に土地開発を進めた結果からか街並みが町田や本厚木のような駅と似ています。道路ではやたら目線を送ってくる水商売系のお店の人なのか、完全に個人で商売している人なのかわからない妖艶な女の人が立っていたり、半グレ的な人たちがちょこちょこイカツイ車で乗り付けてきたりしていてなんとも言えない危険な雰囲気の漂う駅です。
友達の展覧会を見た後に展示していた友達と食事をとり、午後9時くらいに電車に乗ろうと駅のホームで電車を待っていると、対岸のホームにいわゆる『オールドタイプ』の女ヤンキーが佇んでいました。
オールドタイプとはどういうことか?
外見は金髪極細眉毛、上半身はねぶた祭りに出てきそうなキャラクターが刺繍された黒のジャンパーを着用し、携帯電話には戦利品の如く大量のストラップをぶら下げた女の人、といえばイメージしやすいでしょうか?そんな女性です。
こんな感じのキャラクターが刺繍されていました。
個人的にこういうタイプの女性が好みのタイプの女性というわけでは全くないのですが、隣にいた友人に『表参道とかにいる女子アナみたいな人たちよりはああいう人の方が好感が持てるよね』と言ったら、
と言われました。
自分の座標軸、その不意に発せられた彼の言葉を聞いたときにはっとさせられました。果たしてどれだけの人が今自分の座標軸を見失わずに生きているのか…。
周りの顔色を伺い、自分の意思よりも空気を重んじる国民性の日本人の中で彼女は全くもって(土地柄もあって)自分を貫き通している感じがひしひしと伝わりました。
面白い逸話があります。
ある船が沈没しそうになった時、船長は乗客を船から海に飛び込ませないとならない状況になると各国の人にはそれぞれ異なるアナウンスで避難を促すそうです。
ドイツ人に対しては、
→『船の規則で飛び込まなければならないことになっています!』
と言い、
アメリカ人に対しては、
→『今飛び込んだらヒーローになれますよ!』
と言い、
フランス人に対しては、
→『決して飛び込んではいけません!』
と言い、
日本人に対しては、
→『皆飛び込んでいますよ!』
と言ったら、
それぞれの人が海に飛び込むと言われています。
みんながしているなら自分もそうしよう、みんながそうなら安心だ、そんな心理が根底に働いているような気がします。
とりあえずこの年齢になったら結婚するもの、とりあえず大学を出たら就職するもの、大手企業に入れば安泰だ…。全ての日本人がそうだとは言いませんが他国の基準と比較するとそういった傾向があるように見えるということです。
外資系企業が他国に出店するとき、よく『フォーカス』という言葉を使ってターゲット層をかなり厳密に設定して戦略を立てます。対して日本の企業はおしなべてこのフォーカスという作業が苦手です。なぜ外資系企業がそうなのかというと、多人種多国籍の人々を相手に市場を開拓するので、一つのこれをやっておけば大丈夫でしょう、みんなわかってくれるでしょうがいかに通用しないかが私生活から常々痛感しているからだと思います。
だからターゲット層以外は全く顧客として考えてないし、みんなにきっちりわかってもらおうとも思ってもいません。日本の説明書を見るとこんなことまで説明するのかということが書いてあったり、電車のアナウンスも恐ろしく丁寧です。誰に対してもきちんとわかってクレームが来ないような仕組みを非常に丁寧に考えています。海外で電車が遅れても何の放送もないのは、遅れている=なんかあったと考えろ!以上!みたいなものが根底にあるのでしょう。
つまるところ人生を強く生きるには、自分のコンパスで道を切り開かなければいけない、自分自身の羅針盤の精度を上げていくしかないということのように感じます。
年末の街は相変わらずどこも人で溢れ、彼らの顔は一様に幸せそうでした。「でもその影に全く幸せを感じられない数多もの人がきっといるんだよね」と友人に言ったら、そういう人はわざわざ悲壮感を醸し出しに街には出ないだろと言われました。
確かに。
街をぶらぶらして、中国茶を飲んで、またいつものように中華圏の方々の中華料理とマッサージの勧誘を振り切って海を眺めにいきます。
いつからかクリスマスも大晦日も自分は楽しむ側ではなくて楽しませる側(お金を稼ぐ側)になっていることに気がつきました。
年末やクリスマスの過ごし方として人並みに友達と過ごしたり、恋人と過ごしたり、家族と過ごしたり、一人で過ごしたりと色々な過ごし方をしてきましたが多分一生なさそうなのは自分が親となって自分の子供と過ごすクリスマスだと思います。どう考えても自分が父親になるイメージが湧かず、当時の(今の自分と同い年の頃の)父母と比べても明らかに精神年齢が30歳くらい低いと思われる自分のことを思うとなんだか彼らがすごく立派な人に思えてきました。
だんだん人生の主体が自分ではなく他人になっていく、それは自分の身近な人であったり、両親であったり、祖父母であったり、ペットであったり(ペット飼ってないですけど)少なくとも自分以外のものに対する意識が年々強くなっているのを感じます。こういったアトリエを経営していると自分が関わっている人たちはお客様というよりはある種の家族に近いような感情が湧いてきます。
一夜では確実に飲みきれない量のワインを買い込み、なんとなしに部屋を綺麗にし、体に良いものだけで作る料理を揃え、新しい一年に向けて自分なりの小さな助走のようなものをつけていきます。
来年から一時停止していた新規入会者の募集を再開します。
今年の年末で一度アトリエを退会する生徒様がいらっしゃいました。その方は高校生の男の子だったのですが進学を見据え進学塾に通うためアトリエに通うのが難しくなったとのことでした。
おしなべて学生を相手にする場合進学や他の理由によって習い事の継続が困難になることがよくあります。これは初めから承知の上で引き受けるのですが、やはりいざいなくなると寂しさを感じます。
退会前に最後に親御様から連絡があり、退会の意向と感謝の言葉が伝えられました。
進学塾に入るとその塾では担当の講師をつけることになりその際に講師を決めるための面談を行うようですが、希望する担当講師の性格などについて聞かれた際その彼が答えたのは、
だったそうです。
今年、最も嬉しかった瞬間でした。
30歳をすぎたくらいからアトリエを始めてずいぶん自分が変わったと思います。昔は年に2、3回ほどしか人にも会わず、人付き合いもおそろしく悪かったのですが今はいろんな生徒様とお話しする機会が増え、随分人付き合いも良くなりました。
展覧会に来ていただいたり、一緒に食事を取ったり、食事に連れて行ってもらったり、昔では考えられないくらい人に対しての距離感は縮まったと思います。
人間は欲深いもので今ある幸せを噛み締めてもさらに上を欲してしまう。これは本能的なものなのでしょう。もっと上があるのではないか?よく言えばハングリー精神、作用する場所が悪ければ浮気や不倫。
あるブログでグルメサイトを自分は使いたくないという記述がありました。選ぶお店が多すぎて決められないと言うことと、選んだ後からもっといいお店があったのではないかという後悔が生まれると嫌だからとのことです。
恋愛も一緒な気がします。
その時は良くても生きていれば次々新しい人が出てきます。そして自分もパートナーもどんどん歳をとっていきます。そりゃ誰だって相手は若い方がいいでしょう。
『いいわけねーだろ!!』
2023年度 国連安保理事会議題
何かで魅力的な人とは『最高かつ最低』であると聞いたことがあります。引力のようにそれら二つが作用すると大きな力が生み出されるらしい。
失敗してもいいから全力でいけ、嫌われるリスクがあってもいいから吹っ切れたことを言え、お笑いだって振り子の原理のように感情を揺さぶることで笑いが起こる。
凡庸な人間でありたくないと思う。たとえ大きなリスクを負っても大きなリターンが得られるようなことにベットする人生を歩みたいと強く思います。
『you bet!!』
全てを賭けろ、という意味です。
『お前はベッド!!』
ではありません 。
間違えやすいので女性には言わないように気をつけましょう。
最後に、アトリエの皆様、本年は大変お世話になりました。 ブレにブレまくる主催者の話が続いていますが、これからも皆様に楽しんでいただけるよう出し惜しみせず力の限りをつくしたいと思います。来て下さる方々がいるから今日まで続けて来られました。皆様の座標軸の中に、私の存在があるようであれば何よりも光栄です。
一年を通してアトリエに通われている生徒の皆様、親御様にはたくさんの素敵な景色を見させてもらいました。今度は私がそういったものを皆様に見せられるように頑張りたいと思います。
なんか日本代表の監督コメントみたいになっていますが(笑)
来年もどうぞよろしくお願い致します。
ありがとうございました。
ATELIER HAYATO NAKAZAWA
代表講師 中澤隼人
来年はこういう立派な大人になりたいです(笑)
1月1日、追記
あとで知ったのですが『ニーバーの祈り』のテキストはよくアルコール依存症患者の治療施設で使われるようですが、別に私はアルコール依存症ではございません!!一応!!
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