カラスのジュ-ル (上)#創作大賞2022
その少年は鳥が好きだった。
フランス、自然豊かなノルマンディー地方で育った彼は、暇さえあれば鳥と過ごす。いつも空を飛んでいる鳥を眺め、なんの鳥がどんな巣を作るのか、どんな色の卵を産むのか、そんなことも自然と知っていた。
そんな彼がある日 巣から落ちたヒナを見つける。
それは、フランス語で、シュカ(choucas)と呼ばれる二シコクマルガラスのヒナだった。普通のカラスより小柄で鳴き声に特徴のあるカラス。
マルゴーと名付け、大事に育てた。
マルゴ-は、日中は庭で自由に過ごし、夜は納屋で眠るようになった。
そして、毎朝決まって少年に飛んでついて来た。
家から1,5キロ離れた学校まで、まるで少年を伴走するように。
少年はマルゴーと心を通わせ、毎日が楽しかった。
ずっと、マルゴーと友達でいられると、信じて疑わなかった。
けれど、そんな日に突然終わりがやってくる。
いつものように学校から帰ってきた彼が見たものは、
庭で傷つき、動かくなっていたマルゴ-。
*
そして、少年は大人になる。
今でも鳥が好き。
そんな彼がある日、庭でみつけたもの。
それは、あの時と同じカラスのヒナ。
でも、一度は素通りしてしまう。
そして日が暮れた頃に家族を呼んで、アイビーがびっしりと茂っている所に光をあてた。
すると、赤い何かが見えた。
それはヒナのくちばしの中の赤い色だった。
必死に生きようと、くちばしを大きく開けたカラスのヒナ。
それがジュ-ルだった。
ジュ-ルはこうして、私達のもとにやってきたのだ。
あの頃、少年だった彼は、もういない。
大人になったんだ。
時間がない。
昔のように付きっきりでヒナを育てることなんてできない。
彼は、ヒナを私に委ねる。
そう、私がジュ-ルのお母さんになったのだ。
「がぁ-」と少し濁った声で鳴く、カラスのおがぁさんに。
鳥好きの少年だった主人、地面に落ちている鳥の羽根を見ただけでも怖がる鳥が苦手な娘、そしておがぁさんこと私。
こんな家族に仲間入りしたジュ-ル。
15メ-トルもある巣から落ちて奇跡的に助かったこの小さな命をいつか自然に帰したい。そんな想いから始まった私達とジュ-ルの物語がここから始まった。
【4月23日。ジュ-ルを保護した日】
初めましてなのに
人間を怖がらなかったね、ジュ-ル
私がきみの横を通るたび、これでもかっ!って
くちばしを開くきみ
いっぱいご飯をたべてくれたね
ミルクに浸した全粒粉パンがきみの大好物
朝から晩まで一時間おきに、ご飯の時間
ごはんを食べない時はウトウトしてる
人間の赤ちゃんみたい
家の中、木箱の中にいたきみは
ある日、この木箱からひょっこり出たね
【よちよち歩き、探検時期から
自由に飛べるようになる日まで】
歩いて移動ができるようになったジュ-ル。低めの木の枝にとまらせてやる。まだまだひよっ子だからおがぁさんはずっとジュ-ルのそばにいるよ
探検するジュ-ル
だんだん飛べるようになる。毎日が練習だ
【手乗りするジュ-ル】
家の階段を上がる私の後について来て
ぴょこぴょこ上がるジュ-ル
おがぁさんの腕に
とまるのが好きなジュ-ル
私が外にいると飛んで来て
腕にとまるようになってくれた
どこにいても腕にとまりたがるジュ-ルを見て、うらやましそうにしていた主人。マルゴ-は一度も手乗りをすることがなかったそうだ
つぶらなブルーの瞳のジュ-ル
愛らしいジュ-ル
ずっと、きみといっしょに暮らしたいと思う。
低めの木にとまれるようになり
世界を見渡すジュ-ル
本能からなのか、餌らしきものを探す
土の中にいるミミズをただ突っつくだけで食べようとはしない
でも蝶や蚊、ハエは飛んで来ると追いかけて食べるようになる
まだ赤ちゃんだもの
こんな風に餌をあげたりする
自分で十分に餌を探すことがまだ無理なジュ-ルは、やはりパンが好きなのか、よく食べる。でも、このまま餌を与え続けることに葛藤する。自然の中で生きるには自分で餌を見つけだしていかなければならないんだよ、ジュ-ル。私になにができるのか、教えて欲しいんだ、ジュ-ル。
外の世界をまだよく知らないジュ-ル。庭で作業をする私の持ち物に驚いてどこか遠くへ飛んでいってしまったことがあった。
そのひとつが
『ジョウロ』
もしかしたら、ジョウロの先が鉄砲にでも見えたのかもしれない。鳥は本能的にそれを凶器と知っているのか、ジュ-ルはいつもより高い所へ飛んで行き、2時間以上、私の元へは降りてこなかった。
ふたつ目が
『デッキチェア』
折りたたんで持ってきたこの『デッキチェア』をまたもや凶器だと思ったのか、庭中を探してもジュ-ルはどこにもいなかった。
どこか私達の知らない遠くへ行ってしまった。
もうここへは戻ってこないのだろうか。
突然の出来事に頭が混乱した。
いつの日かジュ-ルを無事に野生に帰してやることが願いだったはずの私。
でもこの喪失感はなんだろう。
準備ができていなかった。心の準備が。
絶望的になっている私に主人は
「もう飛べるようになったんだ。きっと仲間を見つけていっしよに暮らすさ」と。
そうかもしれない、そうであってほしい、いやそうであってほしくない。
だって、ジュ-ルはまだ自分で十分な餌を見つけることができないんだよ、きっと食べ物がなくて死んでしまう…。
数時間が経ち、主人が私を呼ぶ。
ジュ-ルはいつもは行かない庭の高い高いもみの木にとまっているらしい。
大きな声で呼んでみる。
「ジゅう-ぅぅぅ-ル」
「がぁぁ-っ、がぁぁ-っ、がぁぁ-っ」
鳴いた。
そして飛んできた。
私の胸に向かって。
上手に私の腕にとまったジュ-ル。
ちゃんと帰って来てくれたんだね。もうどこへも行かないで。
おがぁさんといっしょにいようね、ジュ-ル、ジュ-ル。
自分の抑えていた気持ちが一気に溢れだした瞬間であった。
そう、私はジュ-ルと暮らしたいんだ。
『おがぁさんといつも一緒にいたいジュ-ル』
1日の大半をキッチンに面したテラスで過ごすジュ-ル。私が庭仕事をするとついて来て肩にとまる。
外敵から守るため、日が暮れる前にはカ-ブに連れて行き、夜はそこで眠りにつく。
ここがキッチンに面したテラス
テラスのドアが開いていると
キッチンに入ってくることもあった
「ねぇねぇ、おがぁさん。何してるの?
ぼく、入っちゃうよ」
「入っちゃた」
「おうちの中はダメだよ、ジュ-ル」優しく話しかけながら
腕にのせて、そっと外に出してやる。
それでもジュ-ルはテラスの窓からキッチンの私を見つめている。
「ねぇ、おがぁさんてば!」
私がキッチンから2階へあがると、ジュ-ルも
2階の窓まで飛んで来て
ずっと私を呼んで鳴きまくる
そして、家の中の私の姿が見えなくなると
玄関のドアの前で
ずっと 待ってる
そして
ドアを開けると
「おがぁぁぁぁぁぁさ-ん」
狂ったように喜ぶジュ-ル
隙があれば、いつでも肩の上に
頭の上にも
この頃から、また私の葛藤が始まる。
外の世界は広いのに、ジュ-ルの世界は私だけ。
いつも私について来る。
ジュ-ルは庭で暮らしているけど、本当に暮らしていると言えるのか、と。
本当の意味で野生に帰すことができるのかと。
『2度目の災難』
6月下旬のある日、事件がおこる。
ジュ-ルが庭の貯水池に転落事故。
私が2時間外出している間に落ちてしまった。発見した時はずぶ濡れで震えがすごかった。ショック状態であったが、なんとか一命をとりとめる。私の体温で羽を乾かしてやる。胸の中で震えの度合いが徐々に弱まり元気を取り戻すジュ-ルであった。
鳥にも感情があると、ジュ-ルを胸に抱きながら思った。ジュ-ルにとって頼るものは、この私以外にいないのだと。
この事件後、ジュ-ルは以前にも増して、私にいつもぴったりと寄り添ってくるようになる。
まだこの子は小さいんだ。守ってやらなければならない、と思っていたのもつかの間、この1週間後に悪夢のようなことが起こるとは誰も知る由がなかった…。
『3度目の災難』
7月2日。
今でもあの日のことが忘れられないでいる。
ジュ-ルが3度目の災難にあったのだ。
あの異常な鳥たちの鳴き声が、今も耳から離れることがない。
階下に降りて、テラスに出て見たもの。
それは、傷ついて動かなくなったジュ-ルの姿。
空を見上げると、一羽の猛禽類が旋回するように飛んでいた。
そして、そのまわりを逃げ惑うように鳴きながら飛びかう数羽の鳥たち。
ジュ-ルは猛禽類の一撃を受けてしまったのだ。
虫の息のジュ-ルであった。
このシ-ンを見た主人は、あの時の、そう、あの傷ついて動かなくなったマルゴーと少年だった自分の姿を私の姿と重ねて見てしまったのではないかと、のちに思う。
【事件後 DAY 1】
ジュ-ルの傷は、酷く、猛禽類のするどい爪痕が一目でわかるものだった。
ぐっさりと爪でえぐられた深い傷は、ジュ-ルの右側の頭、顔、首にかけて数ヵ所。傷口が血のりで固まり、毛がべったりとしていて、もう以前のような、ふわふわで、つるりとした美しい毛並みを失ってしまった。右目は涙目で、半分だけ開いていて、左目は瞼を閉じたまま。でもその下の眼球は、絶えず動き、まだ機能しているように見えた。
傷を消毒して、化膿させないことが命を救う道。
そう信じて、めん棒を使ってアルコール消毒を繰り返す。
くちばしをそっと開き、口からふいている泡を拭いてやる。それからスプーンを使って水を与える。脱水状態にならないように。
ぐったりとしていたジュ-ルの体に少しずつ力が戻り始め、夜にはようやく自分の足で立ち、うなだれていた首も普通の位置に戻り、自分の力で支えられるようになった。
でも、痛みのせいなのか、ショックからなのか、ジュ-ルの声を聴くことはなかった。
【事件後 DAY 2】
翌朝、心配でたまらないはずなのに、怖くて、すぐにジュ-ルの様子を見に行くことができなかった。
昨日の状態から、家族の誰もが、ジュ-ルが命の灯を消すことなく夜を越すことができないと思っていたから。
でも、ジュ-ルは生きていた。
必死に戦っていた。
ジュ-ルが、まだヒナだった時に入っていた野菜箱の中で、必死に生きようと、傷ついた足を少し動かしていた。
足の指を2本ほど痛めてしまったらしく、バランスを崩しながら、それでも自分の力で動いていた。
すぐに私は、ジュ-ルを自分の胸に抱き寄せ、声をかける。
昨日から、ずっと、腿の上にジュ-ルをのせて、話しかけ続けていた。
「ジュ-ル、ジュ-ル、おがぁさんだよ。おがぁさんはここにいるよ。痛いけど、治るから、だいじょうぶ、えらいね、ジュ-ル、大好きだよ」と。
力のないジュ-ルは、私に答えることはなかった。
そんな私とジュ-ルの姿を見て、娘がスケッチをしてくれた。
動物好きで虫も大好き。どんな虫でも手に乗せて「可愛いね」と言う娘はどういう訳か鳥が苦手。よちよち歩きをするようになった時から庭に落ちている鳥の羽根を異常に怖がっていた。空を飛んでいる鳥を見るのは普通にできてもなぜか近くによることができない娘。そんな子がジュ-ルがうちに来てから少しづづ変わってきた。ジュ-ルを愛するようになっていたのだ。
【事件後 DAY 3】
この日、ジュ-ルの目が、まったく見えていなかったことがわかる。
なぜなら、それは、私の呼びかけに反応するように、首を動かし始めたジュ-ルの動きが、目の前にいる私を見ずに、首を右後ろに動かして私を探そうとする動き、それがすべてを物語った。
かわいそうなジュ-ル。
目も見えず、片足が不自由。
もう飛ぶこともできなくなるかもしれない。
これからどうやって生きていくのか。
ジュ-ルが不憫で、悲しくて、罪悪感に苛まれて、私は泣き崩れた。
泣いて、泣いて、泣いた。
でも、夜になり、奇跡がおきた。
右目はつぶれてしまっていても、左目の瞼をジュ-ルは開いてくれた。
そして、私のことが見えた瞬間、羽をバサバサッと広げ、バランスを崩しながらも、必死で私に近寄ってきて、それは
まるで
「おがぁさんが、ぼくのおがぁさんが、いる!」と
わかってくれたようだった。
そっと、ジュ-ルを胸に引き寄せると、不自由な足で、必死に私の肩に登ろうとする。
そう、ジュ-ルは、私の肩の上にとまるのが大好き。安心するらしい。
肩にとまったジュ-ル。
そっと羽を包むようにしてやり、また、話しかける。
「ジュ-ル、がんばったね、もう大丈夫だよ、おがぁさんはずっと、ずっとジュ-ルといっしょだよ」と。
ジュ-ルに起きた3つの奇跡。
最初は、15メ-トルもある木の巣から落ちても生きていたこと。
2度目は、貯水池に落ちても助かったこと。
そして、3度目の奇跡は
こうして、生きようとして、生きていること。
ありがとう、ジュ-ル。
いつまでも いっしょだよ。
きみは、もう、家族の一員なのだから。
つづく