カラスのジュ-ル (下)#創作大賞2022
行水を終え、毛繕いをした後、リラックスするジュ-ル。
時々、テラスの椅子に座る私の横で、安心してお昼寝をする。
【人懐っこいジュ-ル】
私の手にとまり、なでなでされるジュ-ル
とても甘えん坊さん
話しかけると、鳴いて答えてくれる。
「がぁ-」という鳴き声の時もあるし、喉の奥から一生懸命に何か、
言葉らしきものを「ぐるぅっ、ぐるぅっ」と言う時もある。
お腹を撫でたり
喉のところもなでなで
【ある日のジュ-ル】
洗濯物を干す私を見つめるジュ-ル
さぁ-っと飛んで行ったかと思うと
お手伝いなのか、いたずらなのか
洗濯物をグイグイとくちばしで引っ張って取ろうとする
別の日、靴下をくわえてキッチンのテラスまで持って行ってしまった。
きっと、おがぁさんと同じようなことをしたいのですね。
【主人とジュ-ル】
少し前の話になりますが、『デッキチェア』事件の教訓から、ジュ-ルがいつ巣立っても遠くから認識できるようにと、主人がジュ-ルに足輪をつけようとしたことがあった。それは5月下旬のこと。
足輪はスパ-クリングウォーターの赤いペットボトルの飲み口部分を切って作ったもので、輪っかのサイズがジュ-ルの足首にぴったりだった。
主人は嫌がるジュ-ルを片手でぐっとつかみ、足首に足輪をつけようとした瞬間、ジュ-ルがするどいくちばしで主人のお腹を一突き。それは相当な痛さだったらしい。カラスは本気を出すと、肉を引きちぎるくらいの力を持っているから、主人のお腹の肉が少しなくなってもおかしくなかったのだ。
問題の足輪はというと、なんとか装着できたものの、頭の良いジュ-ルは夜の間にカ-ヴの中で見事に自力で取り除くことに成功。
翌朝、誇らしげな顔をしているように見えた。
それ以来、ジュ-ルは主人のことを敵とみなしたのか、主人が近づくと「ぐぅぅ」という威嚇の声を出し、あまり主人に近づかなり、距離を置くようになった。
それが時間が経つにつれ、関係が修復していったのだ。ジュ-ルは私達家族の関係性を観察していたに違いなく、私達の親密さを見抜いたのだと思う。
そして、8月のある朝、ついにジュ-ルは主人の腕に舞い降りた。
一瞬の出来事、でもそれは確かなことであった。
毎朝のル-ティ-ンで、主人は玄関ポ-チで靴磨きをするが、それを近くで見つめるようになったジュ-ル。
時間をかけて、この人は敵ではなく味方であると判断したのか、急に主人の腕に向かって飛んで行った。
いきなり腕にとまられた主人はびっくり!
なんだか迷惑そうにジュ-ルを振り払っていたと、その時近くにいた娘が、のちに話してくれた。
でも、私は思う。
彼は驚いたけれど、とても嬉しかったに違いないと。
なぜなら、マルゴーは彼に手乗りすることは一度もなかったけど、ジュ-ルはそれをしてくれたのだから。
【娘とジュ-ル】
幼いころから鳥が苦手な娘。
庭に落ちている鳥の羽根にブルっと震えていたのを思い出す。
怖いという気持ちはまだあるものの、ジュ-ルに少しづつ近づけるようになっていった。これまで色々なジュ-ルの危機を目のあたりにして、揺れ動く私の気持ちを汲み取ってくれるようになり、成長していった娘。
かけがえのない家族としていっしょに過ごしてくれた。
ジュ-ルは動物の勘で、自分のことを苦手だと感じていた娘とは距離をおいていたが、娘の気持ちが寄り添っていくと、ジュ-ルも寄り添っていった。
夏休みになると、ジュ-ルは、この木によくとまり、娘の部屋の窓辺へ飛んで行くようになった。
「ねぇ、ぼくだよ、ジュ-ルだよ」
朝10時くらいになると、決まって娘の部屋の窓に来て
「ねぇ、窓を開けてよ-」
と言わんばかりに窓のサンをコンコンコ-ンと突っつく。窓枠の木がはがされちゃうんだよね…仕方ないなぁ、今おがぁさんが窓を開けるよ。
「がぁ-、開いた、開いた!」
「ねぇねぇ、何してるの-」
「入っちゃおうかなぁ」
「ん-、やっぱり、入れな-い。」
「ここでいいよ。ぼく。」
きっと、娘と仲良くしたいジュ-ル。
でも部屋には入らない。
それはまるで、自分の入っていい場所ではないと、わかっているかのようだった。
それを見ていると、とても切なかった。
庭で暮らしているジュ-ルだけれど、家の中に人がいるのがわかると
窓から窓へと移動して、中にいる私達を見つめていた。そして、
「おがぁさんは、どうして、ぼくといっしょに外で過ごして、飛んでくれないの?」
と聞いているよう。
そんな、ジュ-ルを見ると、私も少し悲しくなる。
【ジュ-ルが私にくれたもの】
カラスのくちばしの中の色は、成長によって変化する。
ひな、幼鳥の時は、赤い。
ふたつきもすると、ピンク色に。
衰弱したり、瀕死の危機の時は、白っぽくなり、
成鳥になると、喉の奥が黒くなる。
そう、ジュ-ルは、もうすでに、大人になっていたんだ。
私が気がつかなかっただけなんだね。
* * * * *
そう、ジュ-ルは、旅立った。野生に帰った。
なんの前ぶれもなく 突然に。
それは、9月のある土曜の午後。
出かけていた私と娘が家に戻ると、ジュ-ルの姿が見えなかった。
いつもジュ-ルがいるキッチンのテラスにでて、大きな声で呼んでみる。
すると、遠くの木から バサバサッと飛んできた。
テラスに舞い降りて、私の手にとまり、肩にちょこんと乗って、そして頭にもとまってくれた。
それから、ジュ-ルは、テラスに降りると、私のスカ-トの裾をグイグイとくちばしで引っ張り、まるでそれは、
「おがぁさん、どこへ行っていたんだよぅ」と
言われているみたいだった。
日が暮れる頃には、ジュ-ルは、また何処かへ飛んで行ってしまった。
でも これはいつものこと。
夜は何処で何をしているのか私にはわからない。
翌朝になってもジュ-ルは姿を見せることはなかった。
それまで時々していたプチ家出。冒険の家出。
またか、と家族の誰もが思っていた。
日曜日の夜は、娘が中学校の寮へ戻る日。
日が暮れる前にジュ-ルが顔を見せてくれるといいねと言っていた。
そして、そのみんなの気持ちが通じたかのように、夕食時にテラスに戻ってきたジュ-ル。
ありがとう、ジュ-ル。今週も娘に
「寮にいってらっしゃい」と
言いに来てくれたんだね。
テラスにでて、ジュ-ルに近づく。
あれっ、くちばしに何かをくわえてる。
それは
どんぐり
夕食後、娘を車で寮まで送り届け、家に戻る。
どんぐりを持ってきてくれたあの日が、ジュ-ルとの最後の日になるなんて。
いつものプチ家出とは、なにか違うと感じていた私。
その予感のとおり、もう、ジュ-ルが戻ってくることは、なかった。
ジュ-ルが野生に帰ること、それは、私がいちばん望んでいたこと。
巣から落ちたジュ-ルを保護し育て始めた時から、いっしょにいられる時間は限られているとわかっていた。
でも
こんなに寂しくて、悲しくて、涙がでるなんて。
あの日から、もう3週間。
今でも、つい、窓を見てしまう。
娘の部屋の窓から、彼女を見ていたジュ-ル。
毎朝、玄関先で靴磨きをする主人のところへ飛んで来て、磨いていない方の靴紐を引っ張って遊んでいたジュ-ル。
洗面所の窓から、歯磨きをしている主人を見ていたジュ-ル。
お皿洗いをしている私を窓越しに見ていたジュ-ル。
部屋から部屋へ移動する私に合わせて窓から窓へ移っては、私を見ていたジュ-ル。
未だにジュ-ルの姿を探してしまう自分がいる。
でも、もう、ジュ-ルは、いないんだ。
ジュ-ルが私にくれたもの
それは、一粒のどんぐり。
そのどんぐりには、きっといろいろな意味があると、私は思っている。
ジュ-ルといっしょに過ごした、この141日間という時間。
この時間を一瞬たりとも無駄にすごしたことは、ない。
いつかは、なくなってしまう目の前にあるこの時間を精一杯、私は生きた。
それは、今までの人生で、感じたことのなかった時間を大切に想う心。
ジュ-ルは、それを私に教えに来てくれたんだと、そう思う。
生活の中でつい忘れがちな、当たり前にあるものの尊さ、なんとなく流されて1日を終えてしまうことの愚かさを。
そう、当たり前にあるものなんて、ない。
時間って限られている。だから、この瞬間が大切なんだ。
いつの間にか家族の一員だったジュ-ルと娘を重ねていた。
この子が独り立ちする日は、そう遠くない。
彼女といっしょに居られる時間は、限られているんだ。
ジュ-ルは、それを教えに私の所へ舞い降りて来た。そう思う。
10月のある日、主人が学校の校庭にいる一羽のカラスを見た。
そのカラスは動きを止めて、主人のことをじっと見ていたという。
野生の鳥が、人を長い間、見つめることはあまりない。
きっと、あれは、ジュ-ルだったのだと、主人は言う。
カラスは集団で暮らす鳥。
あの日、独りで校庭にいたジュ-ル。
きっと、パ-トナ-を見つけて、集団の中で暮らしていくのだろう。
そして、もしかしたら、来春、家族を連れて、また、ここに来てくれるかもしれない。
ヒナが巣から落ちても、
「ここにはね、おがぁさんがいるんだよ」と
ジュ-ルは、そう思ってくれるかもしれない。
カラスは、いや、ジュ-ルは賢い鳥だから。
おわり
【あとがき】
この物語は、カラスのヒナを保護した日から巣立ちの日までの記録を【かぁ(火)曜日はカラスのジュ-ル】というタイトルで連載し、【カラスのジュ-ル】マガジンに収めた作品をもとに加筆修正した作品です。
現在でも、私の中でジュ-ルの存在は大きく、喪失感から日々の暮らしの中で過去の思い出に引っ張られ、悲しみの中に沈んでしまう自分がいました。
人は過去の中に生きられないと理屈ではわかっていても何かのきっかけですぐに涙してしまう自分。心の安定を保てずにいました。
ジュ-ルが私の手や腕、肩にとまった時の体温や足指の感覚がフラッシュバックのように突然よみがえる。楽しかったこと、笑ったこと、困ったこと、葛藤したこと、悲しかったこと、泣いたこと…辛いからもうそのことは思い出してはいけないと自分に禁止していました。
そうすることが自分で自分を辛い状況に追い込んでいるとは気がつきませんでした。
でも、ある日、ある言葉に心が動き、自分の気持ちは自分で受けとめてあげることで癒すことができると気がつきました。
「悲しかった気持ち」をただ「悲しい」と思うのではなく、「悲しかったんだね」と受けとめる。認めてあげる。寄り添ってあげる。
そうやって突然襲ってくる気持ちの波にのみこまれずに思い出に向き合うことで心の平和を取り戻すことができました。
今回、このような形で作品として表現できたことにとても満たされた気持ちでいます。
最後までお話を読んでくださった方々に感謝の気持ちを申し上げます。
ありがとうございました。
2022年2月吉日 フランス片田舎にて
あとりえ・あっしゅ