いい夫婦の日、に寄せて。
※画像は当時の心境のような北陸の「曇天」
2009年11月22日、
わたしは人生2度目の姓変更をした。
少し目立ち始めたお腹を抱えながら
一人、役所に紙を持っていった。
記憶が確かならば、その日は日曜日であった。
役所の時間外受付には
幸せそうな夫婦、になるであろう
人々がまぶしく佇んでいた。
完全に場違いな雰囲気のわたしは、
存在感を隠しながら順番を待った。
その後のジェットコースターのような生活が
想像つかなかったわけではない。
わたしの中の「わたし」のうち、
一人はこう言った。
「絶対、この結婚は失敗する」
一方で、もう一人の「わたし」はこう言う。
「失敗するかもしれない状態で、
上手くいったら面白いやん」
わたし、面白い、というワードに弱い。
もう生家の苗字に戻りたくない、という
気持ちは強かったので
きっとこの苗字とは長い付き合いになる。
少ない画数で書きやすく、
どこにでもある、ありきたりな苗字。
そんな苗字も気に入っていた。
「あんた、◯◯さんちの◯◯でしょ」
あまり聞かない苗字で生きた期間は、
たいしたコミュニティじゃなくても、
出処が知られているのが嫌だった。
それから数年が経過し、
2度の離婚を経験した。
1度目の離婚の際は、
「バツイチ」なんて言葉もとうに市民権を得て
「バツイチ」はモテる、とか
1度結婚できているんだから、と
比較的明るい反応を得ることが多かったが
(とはいえ、バツイチ独身期間は
正味半年程度だったのだが)
バツ2、ともなると
それはあなたにも問題があるんでしょう、
ということで
やや社会不適合者扱い感が上昇するのを
肌身で感じる。
いや、世間のバツ2は全員が全員、
そうではないと思うが、
わたしは社不を自認する。
11月22日にわたしの
2人目の配偶者になった男も
当初はバツイチ、とわたしに伝えていたが
新築の注文住宅を建て
産まれたての長男をみながら
書類を片付けている時に、
とある書類を見つけてしまい
実はバツ2であるということを知った。
当時は私自身21歳ではあったが、
その配偶者、元々遊び人気質が残存した
雰囲気のある男故に
むしろわたしは〝2号さん〟
____そんな表現もやや昭和だが____
ポジションではないかと
思っていたくらいなので、
怒ることもなく、やや呆れながら
「なんでバツイチって言ったん」と
長男を抱えながらテレビに視線を移し、
ソファに落ち着くその男につぶやいたのを
覚えている。
こう、文章に綴ると
悲壮感しかない結婚生活だったように
映るかもしれないが
声高に言いたい、結婚してよかったと。
「2番目さん」との生活は、
わたしに本当の自立を教えてくれた。
ドM、と言われてもいい。
「2番目さん」でなければ、その後
転職したり、
水商売で貯金したり
面白い人達と出会ったり、
看護学校に通おう、と決意したり
ありとあらゆる、「今のわたし」は
存在しなかったと感じる。
ただ、息子たちに対しては
申し訳なく、思う。
とうに別れた後ではあったものの
さすがに家やクルマを奪われて、
多少人前で「2番目さん」のことを
悪く言うこともあるが、
正直家やクルマを奪われたって
今更、どうでもいい。
資産はなくなっても、
ゼロになったわけではない。
健康な身体がある限り、また働けばいい。
2009年11月22日の「わたし」へ。
あんたの不安は見事的中するけれど、
思ったより悪くない人生、送ってるよ。
2024年11月22日の「わたし」より。