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哀しみのR33
※画像はR32です
幼い頃、諸般の事情があって
祖父母宅に預けられることが多かった。
諸般の事情はいつか
後述することになるかもしれないし、
しないかもしれない。
一旦、大人の事情として、
汲み取って戴きたい。
当時、祖父母宅には祖父母の長男と
そのお嫁さんが住んでいた。
自分にとっては伯父と、伯母になる。
祖父及び、伯父はクルマが大好きだった。
平成2桁以降生まれには
馴染みはないだろうが、
「ビデオ」と呼ばれるVHS全盛期であり、
自動車ディーラーには
いくつも販売チャンネルがあり、
販促品のひとつに自動車紹介のVHSがあった。現代の音楽PVの自動車版、
といったところであろうか。
もちろん、自動車雑誌の金字塔である
ベストモータリングのVHSもいくつもあった。そんな環境で育ったわたしが
クルマに興味を持てないわけがなかった。
話は逸れるが、わたしが
クルマ好きであるという旨の話をすると
「(今までに付き合った)男の影響だろ?」
と大抵言われてきたが、
「三つ子の魂百まで」の
典型的な症例としてみてほしい。
祖父母宅で過ごしていた頃、
時々、伯父や伯母に
ドライブに誘ってもらっていた。
クルマは自動車好きなら誰もが知っている
R33スカイライン。
2人と一緒のこともあれば、
個別に誘われることもあった。
免許もなければ、道も分からない
幼いわたしは、促されるまま
シートに身を委ね、
オーバーサイズのシートベルトをはめる。
今ではその年齢は確実に
チャイルドシート着用義務となるが、
助手席に乗った時の「ちょっと大人になった」
ような高揚感は忘れられない。
今でも覚えているある日、
伯母にドライブの誘いを受けた。
行く道は少し山の中のワインディングロード。木陰がフロントウィンドウを透過し、
わたしの膝元に投影されていた。
その日の伯母は口数が少なかった。
さすがにカセットテープか、CDか、
その辺の記憶は虚ろだが、
車内はずっと同じ音楽がかかっていた。
KANの「愛は勝つ」。
しーんぱーいないからねー。
わたしが口ずさむと
伯母は微笑みながらわたしの方を見た。
その微笑みは優しかった。
けれども、何故か寂しそうだった。
それからしばらくして、
伯父と伯母が離婚したと聞いた。
わたしは大好きな伯母と二度と
ドライブに行けなくなることが
とても悲しかった。それから、
最後にドライブに行った記憶が何度も蘇った。あの時、伯母は何を思って
ステアリングを握っていたんだろう。
「愛は勝つ」ことはなかったのだろうか。
今のわたしはその時の
伯母の年齢を追い越して、
「愛は勝つ」ことの厳しさを何度も
経験してきたような気もするが、
あの想いだけは
何度ステアリングを握っても、
何度「愛は勝つ」を聞こうと、
当人ではないと分からないのだろう。
ただ、ワインディングロードを
走ることだけはCarry onしている。