島日和 <ひょうたん島後記>

           6-2022  池田良

美しい雨が静かに降り続いている。
もう何日も何日も。
時折雨空が明るくなって、なつかしい青空がほんの少しきらりと現れてみたりもするけれど、雨はまた降り続いて、やむことを知らない。

島中の草は暖かい雨をごくごくと飲み込んでジャングルのように生い茂り、島民の小さな家々はすっかり草の中に埋没して、夜になってかすかに明かりが見えても、どこがどこだか、誰が誰だか。もうお互いの家を訪ねるのも至難の業。

こんなに雨が降り続くと、僕も少し不安になってくる。
もしかしたら、この状況は、僕の一生が終わるときまでこれからずっと続いていくことになるのではないかしら。

そんな日が、何日も何日も続いて、ある日、僕は思い切って、もう何年も会うことのなかった友達に電話をした。
そして昔と変わらない長電話な彼と30分以上も話し込んで、腕がしびれた挙句に、お互いにずっと迷っていた被災地観光へと、出かけて行くことになった。

その日も雨。
晴雨兼用の傘をさして、行動食のチョコレートと高カロリービスケットを持って、水筒の中は麦茶のジンジャエール割り、そしていざという時のための目覚まし時計。

友達と待ち合わせた駅は、三宮?二宮?一宮?西宮? 降りしきる雨の中で、靄にかすんでよく見えない。
それでも僕たちは、大 きな駅の真ん中で、久しぶりに再会して嬉しい息を弾ませる。
それから二人は、微かに振動する罪悪感を体の底に押しつぶして、気後れ気味の千鳥足で、傘をさして街をさまよう。ケイタイをかざしながら、何気ない素振りで、苦いはずの何かを探して。
潰れたアパートメント、倒れた高架道路、枠だけになったビル、ちぎれた夢の大橋。そして、残ったはずの、線路下の狭いアーケードの古い商店街と、その奥の秘密の仕立て屋や、理髪店や、軍服や徽章を売る古道具屋や、その店の奥からぴかりと覗く店主たちの、時が止まった様な眼差しや。
でも、そんなものは、とうに取り壊されキラキラに立て替えられ、もう何の匂いさえも気配さえも残さないように払拭された、新しい街に変わっていた。悪夢の後。

やがて、ふらふらと行きついた突き当りは、きちんと並んだ箱庭のような仮設住宅の脇に巨大な観覧車。
人けのない住宅群の上に、人けのない巨大観覧車がゆっくりと回っている。現実離れした現実の光景。
「あれに乗ってみましょうか」
あれは、僕たちでも乗れるのだろうか。この街の住人でもなくても。

その、真下から見上げた観覧車は、思っていたよりもはるかに大きく、威圧的な雰囲気さえ漂わせている。まるでこちら側にゆっくりと、倒れ掛かってくるような。
入り口には、〔今現在の地球を生中継〕と書かれたプレートが立っている。
チケットを売っているのは、ウサギ耳の帽子に天使の羽根を背負って、まるで本当のウサギのように手足が小さい人。
「あの、僕たちも、これに乗れるでしょうか」
僕が小さな声でそうたずねると、その人は体の奥をがさがさ探るようにして、金ぴかの懐中時計を取り出し、ちらっと見ると、
「はい。今は大丈夫ですよ。どなたでも」
そう言って、観覧車のドアを開けた。

「あの、以前お会いしたことがありますよね」
乗り込みながら僕がそうたずねると、その人はわざとのように目をそらし、何も言わずにドアをぴしゃりと閉めた。
観覧車はゆっくりと回りだす。
やがて、窓の外の街の風景に、流れる雲や海、そして外国の街並みのような映像が重なって見えてきて、拡張現実のようなものに変わっていった。
この街の何気ない風景に重なり、段々くっきりと見えてくるのは、この星に点在する、人類の夢の跡?
崩れ落ちた遺跡、キチガイじみた無数の銃痕が残る廃墟、破壊された大神殿、高くそびえる壁に押し込められたアラブの街、ニガヨモギ発電所、
まるで地球をなめまわすように、様々な光景を映しだして、ゆっくり観覧車は回っていく。難民キャンプ、食料配布所、
これは本当に、今現在の世界?それとも未来の風景?

やがて地殻の底から響いてくるような、重く奇妙な音が聞こえてくると、観覧車は反対まわりになり、徐々にスピードを上げ始めた。
そして突然、無数の八咫烏が空間にわき上がり、美しい曲線を描いて縦横無尽に飛び回り始める。
その疾走する圧倒的な飛翔の軌跡は音楽のように壮大に輝き、僕たちの体を突き抜け、僕たちを連れて、無限に広がっていく。

そこはもう広い広い、漆黒が眩しいほどに光り輝く世界だ。
その明るい闇の真ん中に、僕たちはポツンと宙づりになっている。

やがて音楽のような轟音が静かに消えていくと、僕たちの周りには何もなくなった。
何も聞こえない、何もない世界は、おだやかで生暖かく、海水のような気配がプカリプカリと揺れている。 

その中でうっとりと意識を溶かされながら、目だけはきつく凝らして無限をじっと見つめていると、夢のように美しく輝く、青くやさしい星が、ふらりふらりとこちらに近づいてくる。

僕たちを乗せるための、美しくやさしい星が。
ゆっくりと、楽し気に回りながら。