島日和<ひょうたん島後記>

          5-2023   池田良


地面の下の世界は、どろどろと揺れながら移動している流動体なのだろうか。
たくさんの球根たちが、庭の土の中をその年の気分で、あちらに行ったりこちらに行ったり。去年とは違う場所で、爆発するように咲き誇ってみたり、知らんぷりで葉も出さなかったり。

僕の庭は今年、フリージアの花の群生で、むせかえるような色と香り。
こんなにたくさんの球根がどこから移動してきたのだろう。それとも今まで、何年も何十年もぐっすりと眠り続けていたのだろうか。

庭中に咲き広がる花々は、一本の川のようになって外へと咲き続いている。
この花の道の下に何が起こっているのかしらと、おそるおそるそっと指を当てると、くすぐったくなるような細かい振動と、ブーンと重い音が微かに聞こえてくる。

その音は、今この場所の静かさを際立たせる音。
風もなく、草も木の葉もぴくりとも揺れない。
誰もいない。何の気配もしない。
瞑想時のようなこの瞬間、僕はこの世界できっと、本当に一人だ。
この世界には僕以外何もいない。

しかしそう気づいてしまった時、そんな世界にいることが恐ろしくなって、僕は次元を開くように、あわてて空間を蹴散らして走り回る。

花の川の向こうに誰かがいて、花の中に長い棒を立て、こちらをじっと見ている。

僕がちょっと戸惑いながら近づくと、その人は、とても人懐こい笑顔でにっこり笑った。
「すみません。ちょっとこの棒を持っていてくれます?」
そして僕に、その棒を渡すと、向こうの花の中に立ててあった三脚に走って行って、その上に乗った小さな器機を覗き込んで何かをしている。
「あの、もうちょっと左へその棒を移動させてください」
僕が一歩左へ棒を移動させると、もうちょっと左、もうちょっと左と、器機を覗きながら手をひらひらと動かしている。
「はい。そこでいいでしょう」
そしてそう言ってその人は、なんだか嬉しそうにぴょんぴょんと戻ってきた。それから僕が支えていた棒を取って、少し地面に突き刺し、そこをつま先でとんとんとタップすると、噴水のように、細く高く水が吹き上がった。
それは先が見えないほどに高く上がった、糸のように細い水だ。
僕がびっくりして息をのんで見つめていると、その人は少し得意そうに、小さな名刺を僕に渡した。そこには、長い棒を持ってにっこり笑っているその人の写真まであって、<アリアドネ株式会社・分水士・糸>と書いてある。
「糸、さんですか?ブンスイシ?」
「はい。地球の中の水の流れを調べる仕事です。音を聞いたり、振動を探ったりしてね。それで地球の本当の状態が分かるのです。医者の触診のようなものです。この棒が聴診器ですよ」
そう言ってアリアドネの糸さんは、長い棒をちょっと傾けて耳に当てた。
「ほら、ちょっと聞いてごらんなさい」
それを耳に当てると、ゴウという、遥か地下深くでなにか激流が渦巻いているような音が小さく聞こえる。そして耳を澄ませていると、その音の中に、誰かが何か言っているような声がかすかに聞こえる気がした。
「誰かの、声がします」
「えっ! そんなはずはないです。おかしいなあ。そんなことはないですよ」
糸さんは、なぜだかちょっと焦ったようなふうで、僕の手から棒をひったくるように取り返し、顔の汗を拭いたりしている。
「・・・あのう、何のために、地球の中の水の流れを調べるのでしょうか」
僕は、ちょっと悪いかなあと思いながら、おそるおそる聞いてみた。
「それは、線を引くためですよ。白墨でね。地球の上にたくさん線を引いていくのです」
「白墨で?でも、そんなことしても、草が生えれば分からなくなってしまうし、雨が降れば消えてしまう」
「そんなことは知ったこっちゃありません。皆、線を引くのがだいすきなのですから、たくさん依頼があります。線を引けば安心できるでしょう?あとは、線が引かれていることを信じるだけです」
糸さんは高揚して、生き生きと話す。昔の映像で見た政治家のようだ。
「確かにこんな白墨の線は、地球の水脈やら地殻やらとは本当は何の関係もない。でも、そんなことは誰も気にしませんよ。皆、ただ線を引くのが大好きなのですから」

花の匂いに満ちた風が、つむじ風のように渦巻いている。
地球に当てた聴診器から聞こえてきた声は、何を言っていたのだろう。・・・

でも僕は知っている。
僕たちが何をしたって、地球はいつだって、健康で、気儘で、冷淡なのだ。
そして、天の川銀河にゆったり浮かんで、自傷行為を繰り返す人類をうっすら横眼で眺めながら、幸せな旅を続けていく。
これからも、ずっと。