島日和<ひょうたん島後記>

       1-2023   池田良

冬の幸せは暖かいものに包まれる幸せ。
陽だまり、熱いオフロ、スープ、ストーブ、ふわふわ毛布。暖かい毛布は、敷き毛布にも掛け毛布にもして、その間に挟まって僕は冬眠をする。何だかミノ虫みたいと、ちょっとひとり笑いして。

この暖かさがあれば、分厚い雲が心に重くのしかかる、雪が降り止まない日々でも、嵐のような北風が嬌声を上げて庭を走り回る日々でも、ぬくぬくと幸せに包まれて高みの見物をしていられる。
勝手にやってくれ。吹雪でも破壊でも争いでも。僕はここで見ているから。じっと見ているから。決して目をそらさずに。
世の中には、高みの見物じゃないと見えないものがある。
それはたぶん、月のあたりから地球を見物するくらいの距離を置くとくっきりと見えてくるはずのもの。

僕の家は壁や屋根の一部もガラスでできていて、世界の隅々まで見渡せるのだ。・・・もちろん、見えない世界も多々あるけれど。それはたぶん、僕が見たくないだけのことなのかもしれない。

ガラス窓ばかりの家は、温室のようで、外気温がいくら低くてもとても暖かい。
特に冬は日差しが家の奥深くまで入り込むので、室温はすぐに30度くらいになる。その代り夜は、急激に冷え込むので、分厚いカーテンと薪ストーブが欠かせないのだけれど。
冬のあいだ、僕はおとぎ話のように冬眠する。
それはただ、暖かな夢をむさぼるためで、体温が異常に下がって動けないとか、食料が手に入りにくいとかのためではない。
だからいつも、部屋の中には色々な食べ物が用意してあって、僕は家のなかでうろうろと歩き回ったり、好きな絵本を何冊も並べて眺めたりしている。
そして、あまりに光がまぶしいきらきらと晴れ上がった日には、海を見に出かけて行くし、凍るように寒い夜でも、月が冴え冴えと美しい時には、雪の庭に出てみたりもする。

昼間ずっと降り続いた雪がやんで、明るい満月が、白銀の庭を浮かび上がらせる夜。
風もなくしんと静まった空気が、ひと粒ひと粒細かいクリスタルの粒子になって、月光を反射して七色の光を放ちながらキラキラ輝いている。
こんなに美しい夜に、島中の皆は寝てしまっているのだろうか。
ふと耳を澄ますと、誰かが咳をする小さな音が聞こえる。コンコン、コンコンと。キツネの子供かしら。
白い雪原の上をぐるっと見回すと、遠くの電柱の下に小さなウサギがいて、僕に気が付くと、嬉しそうに雪の中をぴょんぴょん飛び跳ねて近づいてくる。
「やあお久しぶり。お元気そうで何よりです」

この人は、ウサギなのか、人間なのか、と僕は思った。
頭の上の長い耳が、ウサギ耳なのか帽子なのかよく分からない。顔にはウサギのお面をつけている。でもその下から覗いている顔の輪郭は明らかにウサギだ。目だって左右の色が違うし、違う方向を見ているようにも見える。
そして真っ白な可愛らしいブーツをはいて、大きく「月」と刺繍された上着を着ている。
「お会いしたのはずいぶん昔でしょうね。どちらででしたっけ」
僕がそんなあいまいな返事をすると、ウサギはちょっと困った様子で、
「なあに、そんなこと、あんまり気にする必要はありませんよ。まあ、何かの必然で昔出会って、何かの偶然で離ればなれになっただけのことですから」
そう言って、フフフッと意味ありげに笑った。
すると、月もちょっと笑ったような感じがした。
何だか今夜は月がとてもまぶしい。
僕は昔、確かにこのウサギに出会ったことがある。でもそれがいつのことなのか、どこでなのか思い出せない。まるで夢の中での出来事のように、思い出せない。
「今日は素晴らしい雪月夜ですねえ。こんなにキラキラした夜はひさしぶりだなあ」
ウサギはそう言いながら深呼吸して、クリスタルの空気を吸い込んだ。
「ああ、おいしい空気だ。ツブツブして、本当においしい」

月がますます明るさを増している。
「ずいぶん久しぶりに来たけれど、この島は変わりませんねえ。地球はどんどん変わっているのに。ここだけ取り残されてる感じ?ふふふ」
そう言ってウサギは、僕にぴったりくっついて囁いた。
「良かったですね。取り残されちゃって」
月は冴え冴えと美しく輝いている。
そして僕は気が付いたんだ。この明るさはもしかして、月の表面に影のように広がっていた、あのウサギ模様が消えているせい?
するとウサギがやにわに、大きなハサミを取り出して、空の月をジョキジョキと切り抜き始めた。
「はい。あなたお月様を欲しがっていたでしょ。これをお部屋の天井に吊り下げたらとても素敵ですよ」
そしてウサギはなんだか大忙しの様子で、雪原の向こうにぴょんぴょんと跳んで行ってしまった。

渡された月には細いひもが付いていて、紙をくちゃくちゃと丸めたような感じだけれど、水風船のような重さがあった。
そして、見つめていられないほどにまぶしく、キラキラと輝いていた。

こうして、僕の一年はまた、ゆったりと過ぎていく。
あなたなんかいなくたって。
どこかで誰かが殺されたって。
ホッキョクグマの子が餓死したって。