なぜ仕事ごときの為に死にたくなるのか雑記
過労死について、というよりなぜ「たかが」仕事で絶望し人は死を選んでしまうのか?取り留めなく考えを書いてみたいと思います。
今年就職して仕事に絶望してる人にも読んでほしいです。
近年の代表的なケースは上記ウィキペディア先生のページにも乗っております電通の「高橋まつり」さん過労死事件ではないでしょうか。
この事件は「見た目麗しい」若年女性が自殺したことで特に社会的な関心(同情)を呼びご記憶にある方も多いと思います。おっさんだったら誰も見向きもしなかったでしょう・・・
よくある誤った意見
高橋さんの事件について印象に残っている私の経験として・・・
以前ある某地方の某地場有力企業に営業を掛けていた際、そこの社長と商談中にこんな会話をしたことを思い出しました
社長「あの、電通の事件見たかい?」
私「ええ、見ました。可哀相でしたね・・・」
社長「かわいそうだけど、死ぬぐらいなら辞めればいいだけなのに。意味が分からんよな最近の若いやつは」
私「ええ、全くですね。ニコリ」
もちろん営業マンである私はにこやかにその場では同意しました(笑)
この手の「そんなに嫌なら辞めればいいのにマン」という無神経というか想像力のない御仁というのは絶対に出てきます。
もちろん死を考えるほど嫌な仕事があるならそんな仕事辞めてしまえというのは合理的で正しそうな意見ですが、これは少なくとも私の経験上間違っていると断言できます。
なぜ退職せず死を選んでしまうのか?
これはいじめ自殺などでもよく言われます「自殺する勇気があれば相手をぼこぼこにすればいいのに」論と同じです
ほんとに想像力のない(ry
私の経験を語ることをお許しください
私は新卒入社時「リーマンショック世代」です。
私の前年に就職活動していた人たちは10社内定もらった~と先輩が呑気に話をしていましたが
私の就活年度は一転リーマンショックの影響で就職市場は一気に悪化し
十数社うけてやっと1社内定を貰える有様でした。私も希望していた企業ではなく福利厚生も良くない、地方にある小規模企業にやむを得ず入社をしました。
仕事は希望していた職種でもなく私に向いていなかったこともあり、入社1ヶ月で早々に辞めることを真剣に考えていました。しかし踏み切れませんでした・・・
そして入社から8ヶ月ほどたったころ「仕事も慣れてきただろう」ということで・・・
ある案件を先輩の監修のもとで私が実質ある程度任されることになり残業が増加、また先輩からつきっきりで指導を受けることになり大きなストレスになりました。
1,先輩(上司)からの厳しい指導により自分は仕事ができないと感じ自信を喪失する。
2,そのことを周囲に知らされプライドも傷つく(ときには嘲笑の対象になる)
⇛この段階でまず精神的には大きくダメージを負っています。周囲の人は発奮や努力を促すつもりで私を厳しく指導してくれたみたいですが、やはりプライドや自信を喪失したことで精神的にはショックでした。
さらに忙しさから睡眠時間が減り仕事中の集中力も低下しミスを起こすという悪循環に入りました。
今冷静に考えれば給与面の待遇も悪く、現職と比較して仕事も自分にあっていなかったので文字通り「さっさと辞めればいいじゃん」状態でしたが、
「とてもじゃないけどやめられない」という思考回路でした。なぜか??
なぜ辞められなかったのか(周囲からの誤ったアドバイス)
まず、自分の周囲にいる先輩社会人(親戚縁者)の声はこんなものでした
○3年頑張れ論
「3年は頑張れ」これが一番多かったです、根拠はよくわかりませんし転職市場で大事な若さを失うのに向いてない仕事に3年もかじりつく意味なんてホントありません。と今なら思いますが3年経過せずに辞めるとまともな転職もできないと叔父などにも教えられそれを信じていました。個人的経験が根拠になりますがその業界で食っていくつもりでもなければ3年論は嘘です
○不景気による転職不安視
当時民主党政権といううんこ政権(※自民もうんこだけど)のおかげで
まともな求人もなく当時住んでいた地方都市のハローワークの駐車場が大渋滞、入り口につながる道路がまじで渋滞してました。人手不足が叫ばれる昨今(コロナ前)では考えられない状況ですが。そして「正社員で働けてるだけありがたいんだから辞めるな」と周囲からは言われました。一面当時の景況感を考慮すれば仕方ない部分もありますが、まだ若かった自分の年齢も考慮するとさっさと辞めるべきでした。
○後戻りできないという考え
当時実家から離れていた職場に就職する費用を私は銀行からカードローンで借り入れをしていました。学生時代アルバイトで貯めていたお金だけでは引越し費用を賄い切れなかったからです。また実家も貧乏だったので誰もお金を都合などしてくれる人は1人も、ほんとに1人もいませんでした。親の金で大学生してる友人が羨ましくて仕方なかったのを覚えています。
借金までしてはじめた仕事、まだ借金は返せていませんでした、それを辞めるなんてとんでもないと考えていました。
○自分の無能さへの自信喪失
職場で厳しい先輩、上司に叱責を繰り返しされることで自分への自信を失い思考も自責的になっていきます。そうするとものすごい絶望感にさいなまれるのです
「今、自分の無能さで苦労してるなら・・・仮に転職してもまた同じように叱責され、無能と嘲笑される・・・逃げ場がない・・・」
実はこの「逃げられないんだ」思考に陥っていた時期が個人的には一番きつかったです。社会経験もなく自分のいる会社を相対的に比較することも難しく、また業界内では比較的にはマシな方の会社だった為、ここでやっていけないと、転職しても同じ苦労するんだ。という思い込みがあり死を意識するようになりました。
○思考力低下
そして自信の喪失、睡眠不足による思考力低下は思いの外人の思考を偏ったものにしてしまいます。これはほんとに経験しないとわからないんですが家⇛寝る⇛会社⇛家(ループ)は人の精神を摩耗させ正常な思考能力を奪い去ります。他の選択肢、逃げ場、職業があることを忘れさせるのです。私がいた会社はそこまでブラック企業ではありませんでしたが業界が私の肌にあってなかったことで、転職するという決断力を奪ってしまうのです。
また「辞めたい」と伝えることも大きなストレスです。退職の決意後にいる数週間ないしは数ヶ月については針の筵と表現する他ないですし私は数ヶ月の期間主体的に対応する案件を任されていたので、辞めたいと伝えるストレスは非常に大きかったことも辞めづらさにつながっていました。
○働くか死か
死ねば楽になるのに、と当時はいつも考えていました。死ねば先輩にも怒られないし工期の遅れてる仕事の責任も取らなくていい。この先40年もこんな地獄を味わい続けるなら死にたい。と毎日のように考えていました。帰宅中対向車が自分に突っ込んでこないかなとおもっていました。その時期に同郷の友人が交通事故で死亡し休みをもらい葬式に参列した際、事故であっという間に死んでしまった友人を羨ましく思い、私だけ参列していても
「泣いていなかったと」後に別の友人から伝えられ驚いたことを記憶してます。
なぜ辞めることができたのか
では、このように企業に釘付けにされるタイプの思考に陥っていた私が仕事を辞めることができたのでしょうか。
きっかけは簡単で母から久しぶりに電話がかかってきた際に母が私の以上に気付いたからです。
母は叔父の影響があり「3年は頑張れ」論者で、それまでは辞めるなと私に言っていましたがある日別件で電話した際に私が
「なんでこんな無能で馬鹿な頭に生んだんだ」
と母に激昂したことで私が精神的に疲弊したことに気づき後日父から
「そんな仕事やめて、帰ってこい。仕事は他にも沢山ある!お前に合った仕事も見つかる!」
という電話がかかってきたことで
「あ、出身の学科と全く関係ない他の業界も選択肢としてあるんだ」
ということに気付くことができたのです。退職を伝えることは大きな勇気が必要でしたが、直属の上司を飛び越えて別件でお会いすることのあった社長に退職を直談判するという常識のない振る舞いのおかげで無事(?)3週間で足早に退職をすることができました。
結果的にその後4回ほど仕事を変え現在当時よりも大幅に多い年収をもらうことができ、家庭も持つことが出来ました。
もちろん運が良かっただけですが、自分に合わない会社、仕事にかじりついても先は見えています。色んな事情はありますが自分に合わない仕事だと思えば職業選択の自由を謳歌することは必要なことです。
根性論で得られるのはストレスだけです。どうしてもその会社業界で生きたいという信念があれば別ですが、若さがあるのなら全く関係ない業界で生まれ変わることは出来ます。
転職市場は参入してみると思ったより沢山の選択肢があることを教えてくれます。
今いる会社で疲弊してる方、消耗してる人、なんの責任も持てませんが苦しい中で光が見えずに働き続けるなら転職を考えてもいいと思います。
これ以上言うと転職業界の回し者っぽさがすごいのでこのへんでやめますが・・・
人生はいろんな楽しみがあるはずです。仕事以外にもいろんな時間があります。仕事の絶望感で死を選ぶなんて本当にもったいないことです。いろんなリスクはありますが多くの選択肢があることだけは覚えておいてください。
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