気がついたらバスの運転士になっていた

そういえば小学生の卒業文集で将来の夢に「電車の運転士さんになる」って書いた気がする。(鉄道マンだった父の影響)
中学生の頃、叔父の部屋にあったモーターファン、ホットバージョンを見てクルマに俄然興味を抱き、工業高校の機械科に進学。
卒業課題研究で自動車整備を学び、担当の先生の熱心なご指導のおかげで高校生ものづくりコンテストなる大会の全国大会に出場。
専門学校では小さなクルマをゼロからつくる学生フォーミュラ活動に打ち込み、電車好きの少年の姿はどこへやら、クルマ・バイク一色の青春を過ごす。

そのままエンジン、トランスミッションケースなどの試作品、レース用部品の加工を取り扱う機械加工屋に就職、図面と睨めっこを続けるうち、やっぱり図面を引きたい、設計がしたいと思い立ち転職。某自動車メーカーで内装部品の設計に携わる。

と、ここまでは絵に描いたように、流れるように歩んできたのだが、ここで壁が立ち塞がるのが人生。
過度な価格競争とその副作用としての超短期開発、(配属先が海外プロジェクトだった所が大きいが)度重なる前例のないトラブル、そしてコロナ禍初期のリモート化、システム電子化の弊害としての対人コミュニケーション機会の減少。超特急で走り続ける仕事の流れについて行けず私の心が音をあげた。
適応障害と診断され休職療養をすることに。

休職期間中、ふと快晴の空を見て「うっかりすると1日太陽を見ない日って結構あったかもな」と気付き、日中に日光を浴びるような全くの異業種への転職を決意。
たまたま自宅近くにあったバス会社の営業所に掛かっていた「正社員運転士募集」の横断幕が気になり調べてみると、勤務地、見込年収など不都合なさそうだったので勢い余って採用試験に応募する。(我ながら行動力バグかつ怖いもの知らず過ぎる)
そこからあれよあれよと1次試験、2次試験を経て内々定を頂戴し、路線バスの運転に必要な大型二種免許を取りに免許合宿へ。

そんなこんなで今日も街のあちこちお客様の色んな思いをのせてでっかいクルマで走り回る。
気がついたらバスの運転士になっていた。

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