絶対に飛沫を飛ばさないアーティストのライブに行った(2020年のおわりに寄せて)
絶対に飛沫を飛ばさないアーティスト
11月と12月にそれぞれ行われた初音ミクのライブ、マジカルミライ2020へ行ってきた。
何事もゼロリスクというのはありえないし、絶対、というものもない。が、この世の中において"絶対"に飛沫を飛ばさないアーティストというものが日本には存在している。他ならぬミクさんだ。
年を取らないとか、音程が完璧だとか、ダンスを間違えないとか、色々と(表層的なものとして)言われていたミクさんのメリットに、誕生から十数年たった今、新たにそんなものが加わるとは思っていなかった。
声に出さずとも届くコール
元々、マジカルミライというものへのモチベーションは実はそれほど高くはない。ぶっちゃけて言えばMIKUEXPOの方が前々からの期待感は大きかったりする。なんだかんだ毎年欠かさず足を運んではいるけれど、時期的にアニサマとも被ったりするので、その合間を縫ってなんてこともあった。
なので、昨今のあれこれの状況のなかで行くかどうかは正直迷った。だけど、今年は、迷った分だけ心の底からああ行ってよかったなぁと思った。ライブそのものの楽しさはもちろんだけど、今年はそれ以外の部分も大きかった。
昨今のあれこれにより、ライブ・コンサートは大きく制約されている。席数半分みたいなのは、まぁ主催者側には申し訳無いけれど、キャパの問題を考えなければ、快適な部分はなくもない。そもそもマジミラにおいては、あの例年のパイプ椅子への詰め込みの方が正直どうにかならんのかと毎年思ってはいる。
だけど、声出し禁止はやはり正直つらい部分はある。生でライブをするうえの醍醐味の一つだし、見る側としてもコールの声にのせて、直接演者さんに想いを届けられないのはもどかしい。もちろん、拍手でも全くそれが届かないとは思わないけれど。
ただ、単に目立ちたいだけ、みたいなものを別にすれば、コールや呼びかけは、演者さんに想いを伝えるためのもの――だとすれば、ミクさんには、声に出さずとも、心で思えばそれはきっと必ず伝わるんだよな、と、あの日改めて気がついた。
そして、以前のnoteにも書いたけど、「あり得ない可能性の象徴」としてのミクさん、可能性の象徴であり、希望の象徴として捉えている身としては、やはり今年こそ、こうやって足を運ぶべきだったのだな、と。
あと、あの横のモニタのARは最高だった。ああいう、実在感を高める演出はこれからも進化していってほしいし、すごくワクワクする。
来年のマジカルミライも、無事に開催されますように…。
自粛とは、その人に生活を根こそぎ捨てさせることだ。簡単に言わないでほしいなぁ。
ここから先は余談。
先述したとおり、昨今のあれこれで迷っており、特に直前期にだいぶ状況も変化したこともあり、いっそ中止でも仕方ないのでは…くらいに思っていた。
だけど、11月のマジカルミライの前日に行われた初音ミクのオーケストラコンサート、初音ミクシンフォニーの、素晴らしい演奏を見ていたら、そんな軽々しいものではないのだな…と今更ながら気づかされた。補償どうこうだけではなく、この目の前にいる数十人の演奏家たちは、どのような思いでリハやゲネをし、そしてこの1年近く、どのような思いで過ごしてきたのだろうと考えた時に、映画「シン・ゴジラ」の一節、
避難とは、住民に生活を根こそぎ捨てさせることだ。簡単に言わないで欲しいなあ。
が、頭に浮かんだ。これはきっと、今の自粛云々の話にもきっと当てはまるのだろう。
来年になっても、ただちに昨今のあれこれが収まるようには見えない。ただ、「簡単に言わない」ことを心がけていきたい――と思う。
そんなこんなで、来年もミクさんのご加護があるように祈りつつ。良いお年をお迎えください。
あなたがたの上にミクさんがおはしますように。