民度が問われる? ~不満を言うだけではなく、行動を~
こんにちは! あたたけ です。
本日、2021年10月31日は第49回衆議院議員総選挙です。
皆さま、投票は行きました?(この場がタイムリーな話題提供に適しているかは何とも言えませんが。。。。)
さて、今回の総選挙ですが、『コロナ禍での政府への不満』がどのようにあらわれるのか、とても興味があります。他人事とは言えませんが、けっこう、客観的に見てみたいなという関心があります。
当選?勝敗?は、まぁ、なるようにしかならないでしょうし、劇的に世の中が変わるというわけでもないと思います。
『変化のきっかけ』にはなるかもしれませんが、『変化が正しいかの評価』や『変化の方向修正』はこの先も機会があるはずですので。
なんていうんでしょうか、民主政治での変化って、急激ではなく徐々にしか起こらない気がします。急激に変わったと感じるのは、少しづつの変化に気づかないのが原因なのかなと(変化を受け取る側に興味がないのか、変化を起こす側が隠しているのか、その辺りは様々でしょうけど)。
この辺りのことは、あたたけがエラソーに述べるでもなく、世間一般でも何かしら感じているはずです。
その結果が、『投票なんて行っても行かなくても同じ!結果がどうでも大して変わらない!』という認識(※明確に認識しているかは別として)からの、低い投票率になっていると思いますので。
(まぁ、あたたけも忙しいという言い訳で、投票をサボっていたことも多いですが)
が、『1回の選挙』では大きな変化はなくても、『何回もの選挙』の結果として大きな変化に繋げることはできるんだろうなぁと、今さらながらに思います。より良い方向への変化を続けるには、自分が変化を起こさないのであれば、投票という形で『意思を表明し続けること』が全てなんですから。
で、最初に話が戻りますが、『コロナ禍での政府への不満』があれだけ報道される中、今回の総選挙で『投票率』がどれくらい上がるのかな?というのがとても興味深いです。
『投票に行かない≒自分の意思を示さない≒現状維持でもOK≒現状に別に不満はない(満足はしていなくとも)』という見方もできますからね。
新型コロナを病因物質としてどう捉えるかは人それぞれですが、社会に(とゆーか生活に)大きな混乱を与えたのは誰も否定できないはずです。
このような状況で『投票に行かない≒今後も他人任せでOK』というのは、どうなのかなぁと思います。
無知なのか、無関心なのか、無責任なのか、、、、、、
『権利を権利と思っていない』とまで思うのは、銀英伝の影響でしょうか?
街の清潔さなどから『日本人は民度が高い』みたいな話もありますが、実は『周りの目ばかり気にする、自分の意思がない奴隷的な気マジメさ&従順さ』があるだけ、とは思いたくないですが、さてどうなることやら。。。。
人の持つ可能性を信じたい!ですよね!
ではではこの辺りで。