このエッセイは広汎性発達障がいをもつ私の経験談を綴ったものです。 胸の内。辛かったこともいっぱいあったけれど、約19年間生きてきて、今私自身とどう向き合っていこうとしているのかなどを書きました。 少しでも私の言葉が勇気に繋がりますように。 私は発達障がいを持つ人や御家族の味方です。 ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ 『個性』ってなんだろう? 発達障がいを持って生まれた私は 『それが貴方の個性だよ』と言われることが多くて辛かったんだ。 みんながあたたかい眼差
11月26日。 兄が生まれた日。 そして、兄が生きられなかった日。 母の腕の中で、産声を奏でることなく、息を引き取り、ひどく落ち込んだ両親の元に 私の生命が宿ったんだって。 私も、健康に生まれてくることは叶わなかったのだけどね。 早期出産だったからか、真っ青な顔色で生まれ、緊急病院送りになってしまったらしい。 生まれて間もなく カプセルの中に入れられて治療をした影響か 他の子供よりも知能が低く、 3歳の頃にASDと診断された。 その頃くらいから度々兄の話を聞く機会
雪降るまちの山彦の音 なんて悲しいしあわせの色 瞳に刺され、 薄ら笑いが真っ黒に染まる あの魔法を照明に馳せても 所詮、ただのおとぎ話よ それでもあの子は変わらない。 鉄壁の…。仮面の裏で 一体なにを思おうと? あー ほんと、おもしろい子ね。 蕩ける温度に差し込む光の 熱さなんていらないわ。 透明な世界に染まれたのなら もう何も望まない。 その感触が だれかの瞳に痺れるまで… ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 中学生の頃、 半不登校生活をおくっていた私は毎日のように文字
前置き 幼い頃、はじめてしゃぼん玉を飛ばしたときの衝撃が忘れられない。 まだ小さな力で吹き矢に向かって 力いっぱい息を吐いた。 私が作ったしゃぼんの欠片は あの青に向かって、堂々と飛んでいる。 透明を覗いて見えた虹色がきれいで、夢中になった。 どこに向かうのか興味を凝らして、 しゃぼん玉から決して目を離さずに1点集中。 瞬きをするのも忘れていた。 そのなのに、1分もたたずにプツリと消えた。 一生懸命つくった欠片だったのに。 知らず知らずの内に吹き矢にあたってしま
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ※ 痛く重い表現が含まれているので苦手な方はページバッグを推奨します。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 20歳になってから1年が経過した。 この1年はずっと年齢が「大人」を主張してくる恐ろしさと「ハタチ」という初々しさに縋っていたような気がする。 21歳になり、ソワソワしている。 大人の大先輩に言うと怒られてしまいそうだが、この年齢の響きをきくとなんだか「遂に大人の階段を登ってしまった…」という気持ちになる。 実
ホワイトボードにらくがきをする。 足せば足すほどどんどん染まっていくのに、簡単に色は消えて真っ白に戻ってしまう。 誰かに描かれてはじめて知った景色 どんなに筆圧が強くても抗うことなく、 ただそこにいるしか方法は無いんでしょ なんだか私に似てるなと思ってしまった。 私はどこにいるのだろうか。 限りあるマーカーの色しか知らない。 それなのにすぐに揺らいでしまう。 もっといろんな世界を見て自分の「色」が見つかれば私はずっと私でいられるのだろうか。 長女な私 自分のやりた
運命ってものすごく残酷だと思う 自分がどんな境遇に生まれるのか選べないんだから。 私は今きっと幸せ。 「苦痛」を理解できているから。 周りに寄り添ってくれる人がたくさんいるから。 だけどもしも地獄の中で生き続けなきゃいけない人がいたとしたら 私は新しい道を提示したいと思ったけど、 当事者にとってそれは「強制」でしかないのだろう。 「もしも」の話のはずなのに 痛くてたまらなかった。 生命って雪みたいなものなのかな。 そこに宿ったら嬉しくて堪らないのに 儚くて脆い。 生
夢中になれる「好き」がある。 その「好き」を夢にしたくて藻掻く。 想いに負けないように 私は学ぶ。 こういう日は苦しくて、充実してる。 何もない日は不安で、とても焦る。 そして藻掻く。 当てもない未来を考えて ふとベッドに転がった。 お母さんの声がした。 今日のおやつはショートケーキだって。 いちごの王様が少し微笑む。 へんてこだと思った。 なにもない日にショートケーキなんて。 だけどちょっぴり心が和らいだ。 私たちはどこか「特別」を探しているのかもしれない。 そし
家族でまるくなって話した。 ある男の子のことを。 その子の存在はいつも私たちを狂わせる。 11月27日 今日はその子のお誕生日。 私の2つ下のまるで双子のような 弟の。 この日が近づくにつれて 家族はどこか表情が曇っていくようで。 ひっそりと私は弟を恨んだ。 そんなおはなし。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 物心ついた頃には弟がいた。 いつも私にひっついてまわって 私の好きなことを一緒になって楽しんでくれるような子だから 嬉しくなった私は弟の布教botと化した。
はじめに 〇〇ごっこ 〜ごっこ。 幼い頃、みんな1度は経験があるのではないだろうか。 例えば誰かと家族になったり スーパーヒーローになったり 大好きなキャラクターになったり 何かに「なる」ことで 新しい自分になること。 あるいは自分とは全く異なるものになること。 それを楽しんでいたのではないかと思う。 夢の無い言い方をする。 何れにしろそれは「うそ」にすぎないのだ。 ごっこあそびは「なりきり」で 「ほんもの」の自分では決してないからだ。 そしてそれは私の人生
国民的キャラクター「ドラえもん」を知っているだろうか。 彼は猫型ロボットだが、ねずみが嫌いである。 ねずみと言えば一般的には可愛がられることが多いだろうし、怖がる理由が分からないなんて言う人もいるだろう。 私がそう思うのは過去に 「え、なんでねずみが怖いの〜かわいいのに〜」って言っている子どもに遭遇したことがあったから。 何より彼は「猫型」だ。 その事実に首を傾げてしまう人が一定数いる思う。 ドラえもんにはねずみがこわい理由が明確にあるのだが、 理由がなくともなんとな
私の嫌いな食べ物は玉ねぎです🧅🧅 これ読みはじめた人の中には ん?急に食べ物のはなし? 需要なくない?? 急に自己紹介はじまって草~ って思ったひとが多いと思う。 でもどうでもよくないんだ。 これはこう見えて人間関係のおはなしです。 これを読んでる人にも嫌いな食べ物1個くらいはあるんじゃないかな?? もちろん「ない!」って言う人もいるだろうけど、それはほんとうに素晴らしいことだよ! だけど大半が「ある!」って答えると思う。 私は幼い頃から玉ねぎが嫌いで 母がど
『知る』ってどういうことだろう? わくわくすること 知らなかった世界を知ることができるから 悲しいこと まだ知りたくなかったことを知ってしまうから。 よくよく考えるととっても難しいことだけど 私は『知る=大人になる』 ってことなのかなと思う。 夜になるとふと考えてしまう。 『生きる』ことについて。 最近知ったおもしろいこと。 それはリスは鳥の言葉がわかるということ。 鳥が『鷹がきたぞ〜』 と言うとリスも逃げるっておはなし。 全然知らないおはなしだったから 知る
これを読んでくれている人には自分にとっての『ヒーロー』はいるのかな? もちろん家族や友達って答える人もいると思う。 私も今となってはとても感謝しているし、支えられている大好きな存在だ。 でもほんの3年前までは誰のことも信じられなかった。 そもそも『現実』ってものから目を背けていたから何も感じなかったんだと思う。 いつも私の相談相手は架空の人物だった。 『架空』って存在しないじゃない? そうは思いたくないけれど実際そう。 でもあの頃の私にとっては『だからこそ』 って