THE IDOLM@STER SHINY COLORS COVER SONG COLLECTION VOL.1
2020年 11月8日発売予定!
そんなものはない。
あまりにも悲しい事実だけど、カバーアルバムが発売されるなんてアナウンスは一切存在しないし、恐らく企画が立ち上がってすらいないと思う。無情な世の中だ。眩暈してきた…
おかしくない?
本当にないの?なんで?過去のアイマスコンテンツではカバー曲からアイマス始めました、とかカバーからアイマス知りましたって声が結構あったって聞いたことあるんだけど。(後記:これ、コロムビアとランティスというレーベルの違いが根本にある可能性が高いらしいです)
それが本当なら、カバー企画ってちゃんとコンテンツへの導線として機能するってことじゃないですか。元々のプレイヤーにとっても、既存の名曲をアイドルの半持ち歌にできるんだから悪いことなんて何もない。ブチ上がり間違いなし。日本各地でCDを複数買いするオタクが大発生する様は目に見えている。
どう考えても積極的にやっていくべき企画だと思うんだけど、シャニ以外のアイマスコンテンツは今も続けているのかな?
で、検索してみると765は大分と期間が空いたようだけど、ついこの間「THE IDOLM@STER MASTER ARTIST」シリーズ(カバー曲とオリジナル曲とリミックストラックから成る企画アルバム)の新作発売が決定し、カバー曲の投票を受け付けていた。
https://idolmaster.jp/blog/?p=75937
モバの方ではデレステ内においてカバー曲が断続的に追加されている。
これは知ってた(正直もうちょっと他になんか曲あっただろと思った記憶がある)。
まあとにかく、765もモバもカバー曲自体の流れは止まっていない。シャニマスも負けてられなくないですか?2周年の勢いでアクティブ数も新規も大量に増えたはず。プロデューサーさん攻め時ですよ攻め時!高山P見てるか!?カバー曲の予定が無いなら俺のこの、この記事をフックアップしてくれ!見てここ!ここ見て!
で主旨何?
先述の通り、今のところシャニマスにカバー曲をどうこうする予定はない。
というわけでどこにも無いものは仕方がない、本記事の主旨はこの存在しないカバー企画を勝手に考えようというものだ。何の意味がと思われるやもしれませんが、けれどこれは、オタクという人種に定められた代償行為の一種なのです。オタクは時に内なる衝動に頭を任せ、存在しないアニメのオープニング映像を勝手に脳内妄想し、好みのアーティストの楽曲を好き勝手にスポッティングするような生きものなのです……でも、流石にこんな中学生が拙い言葉でネットのどこかに放逐した挙句やらかしそうな妄想を…いいのか……?…本当に……
いいんです
以下に書き散らす文章は完全な個人の妄想であり、アイドルマスターシャイニーカラーズ自体と実際的な関係は何もない。
とはいえ、やっぱり多少のレギュレーション意識というか、線引きは必要だと思う。選曲に際しての基準というか。
過去のアイドルマスターシリーズでアイドル達がカバーした楽曲は、アニメの主題歌やタイアップソング、それと多くの人が知っているような過去の名曲やCMソングの類が多くの割合を占めている。
そしてこれらの楽曲はユーザ投票により決められたものであり、もし仮にシャニマスでもカバーを収録するアルバムの制作が決定した場合、カバー曲は同じくユーザ投票により決定されるものと思われる(ここまで書いて思い至ったんだけど、そもそもシャニマスはデビ太郎の歌以外にソロ楽曲が存在しないので、カバーの前にソロ楽曲の制作を希望すべきなのかもしれない)。
そうなると、本気で自分の投票曲をアイドルに歌わせたいならば、ある程度投票するユーザの層に合わせた曲を選んだ方が採用される確実性が高まるものと思われる。しかし、あまり気を遣い過ぎた結果元来の自分の趣味からかけ離れた楽曲を選んでしまっては元も子もない。擦り合わせが難しく、中々悩ましいところ。
ここで、少々急になるけれど、にじさんじ所属Vtuber月ノ美兎の先日のツイート、「iPhoneのメモ帳漁ってたら、いつかに765のアイマスカバーで応募した曲の一覧が出てきた…ひぇ…」というキャプションに付属していた画像を見てもらいたい。
なんか絶妙じゃないですか?
このね、いけそうなところで堅めつつ自分の趣味を忘れない感じね。さりげない如才のなさ。新居昭乃が好きなアニメオタクは信頼できる。わたしの青い空とか、loveずっきゅんとか、現実的に考えると選ばれる可能性は中々薄いんだけど、やっぱり自意識が選ばずにはおれんのよな。わかるぜ。
あとこれ
このようにオタクは脳内妄想である程度満足感を満たせるのです。すごいでしょ。
本記事で283プロのアイドル達が歌う曲を選ぶにあたってはこの月ノ美兎メソッド(自分の趣味を軸に置きつつ、なんとなく絶妙な感じのフィーリングをねらっていくシンキング)を採用した。果穂に人間椅子の曲を歌わせてくださいなんて言ってみたところで、流石にそれはいくら妄想といえど生産性が無さすぎる。
でも正直ちょっと見たいかも…
アイドルマスターシャイニーカラーズが攻めの姿勢を忘れないイケイケなゲームであることはこちらも重々承知している。それを踏まえて、「シャニマスなら全然こういうカバー曲もありそうだな」という感じのメジャー感で構成してみた。将来、この妄想が現実と近いものであるのか、実際とはかけ離れた滑稽なものとなるのか、そのどちらかが判明することを願っている。
(尚、全員分の選曲は力及ばず達成できませんでした)
八宮めぐる 「光あれ」作詞:坂本真綾、作曲・編曲:菅野よう子
アニメオタクには今更説明不要の坂本真綾による楽曲。4thアルバム「少年アリス」から。正直マメシバの方がめぐるのパーソナルな面にはマッチしているんだけど、めぐるのカードタイトル【ああひかりよ】【アイの誓い】と語呂合わせの都合が良かったのでこちらを。
勝手な偏見だけど、シャニマスのシナリオライター、特にめぐる担当の人とか坂本真綾めちゃくちゃ好きそうな気がするんだよな…。
00年代初頭のポップスという第一印象に反して、意外にもワイドレンジ志向のミックスに仕上がっている。広がった高域にそのままコンプレッションをかけたっぽい残念さはあるけど、聴き込んでも全体の印象はそう悪くない。マスタリングの技術は時代性も絡むのでしょうがないところもあるか。
菅野よう子ってたしか詩人の銀色夏生のファンで、本人の作詞活動を見ると確かに影響受けてんのかなーと感じるところが結構ある。
同じく坂本真綾のディスコグラフィー常連である作詞家の岩里祐穂も近い位置にいると思っていて、何が言いたいかと言うと、坂本真綾はキャリア初期から二人の影響をずっと受け続けているわけで、やっぱりこの人も作詞のニュアンスは似たものになっているように思えるのだ。
で、八宮めぐるはわりと詩的な感性を持っている人で、たまにそれを言葉にする描写があるんだけど、そういう時は霧子ほどふわふわとした言葉遣いでもなく、凛世ほど暗喩的でもなくて、平易っていう言葉が一番妥当に当てはまる感じの言葉が出てくる。そんなめぐるの感性が、丁度坂本真綾の詩のニュアンスにマッチしているような気がした。
もしもまだこの声が誰かに届いてるなら
その人に誓いたい 僕は愛を忘れないと
いつかまたぬくもりを抱いて歩いてみせる
その力信じたい 生まれ変わる勇気はもう 僕の中に
チエルアルコで少しだけ仄めかされていたけど、めぐるが「大人しくて、人とどう話せばいいのかわからない、いつも空ばかり仰ぎ見ていた女の子」から今の性格に変貌した契機ってなんなんだろう。
「star`n dew by me」5話の副題、「invent laughter」がそのままニーチェの「Perhaps I know best why it is man alone who laughs; he alone suffers so deeply that he had to ”invent laughter”.(孤独な人間がよく笑う理由を、たぶん私はもっともよく知っている。孤独な人はあまりに深く苦しんだために笑いを発明しなくてはならなかったのだ)」
という言葉の引用だ、という話が本当だったとして、字義通りに受け取るとめぐるは処世術として笑顔を身に着けたことになるけど、だとすると今のめぐるのアガペーっぷりとはちょっと結びつかない。もしかするとジョルノ・ジョバーナのような出会いがあったのかもしれないけれど、そこまで描写するのはやっぱり無粋か。
三峰結華 「PINK」作詞:土岐麻子/作曲:トオミヨウ
youtubeには雀の涙程度の試聴動画かtofubeatsのリミックスverしかなかった…。(00:16~00:24)
彼女は19歳 ほんとうは一切
傷付きたくないからで
誰を愛したって 終わるでしょ、なんて
本気で言うの
シナリオライターPINK聴いて三峰のキャラ作った?
ひたすら19歳の少女の内面に滑り込んでいくような歌詞の内容が三峰に刺さる。俺にも刺さる。
これ歌う時の三峰、多分内心少しザワついてるんだろうな。曲の雰囲気も普段の三峰からすると多少アダルティーな匂いが強いかもしれないけれど、NOT≠EQUALの三峰を思い出すとこの曲のような一面が彼女の内に存在すると考えるのもおもしろい。
正直言うと三峰の声で土岐麻子の曲をやれるかどうか微妙なとこあるよね。でも、まあ本家と違うところもカバーの醍醐味か。
あと三峰が土岐麻子の曲聴いてるか否かが大分解釈分かれるところだな、とも思う。
この曲ミックスがかなり現代的で、一聴して真っ先に際立つものがそのサウンドの周波数レンジの広さ。特にボーカルの帯域が広くて、こういう音を聴くと、やっぱりアレンジとミックスの不可分な関係性を感じさせられる。キックを電子音にするとアコースティックのドラムより音の重心下げられるから声の帯域広く確保しやすいんですよね。まあ、でもシャニマスでカバーするとどうせアニソンナイズされてレンジめちゃくちゃ削られるだろうから関係無いけど。
幽谷霧子 「パンと蜜をめしあがれ」作詞:原田郁子 作曲:ミト
シャニマスは文学作品や哲学思想からの引用や暗喩が数多く見受けられる。その中でも度々モチーフを引用される作家が宮沢賢治。シャニマスで宮沢賢治成分が強いアイドルと言えば…霧子。
そして宮沢賢治の著作に登場した「クラムボン」という名前をそのまま自分たちの名前に使っているバンドが存在する。これほどピッタリな組み合わせもない。という流れ。
クラムボンの詩とか春と修羅ってそのうちホントに引用されそうだよね。
すれ違う人や
道に咲く踏まれそうな花びらも
あぁ すてきにみえる
誰かにまた会いたくなる
霧子は対象に対話の意義を見出せば赤子であろうと無機物であろうとさん付けで話しかけるような凄い子なので、路傍の石ころに美を見出すくらい造作もなさそう。多分この歌詞のように普通の人が気づけないような「素敵」をたくさん見つけてるんだと思う。
さてこの「パンと蜜をめしあがれ」、1stアルバム収録とあって純粋なジャズポップの色が強い。ミックスのレベルも高く、現代でも成立するレベルでまとめられている。最近の流行と異なる点は、楽器の荒々しさを前面に押し出しているところか。
低音に注目すると、バスドラは周波数的には低めの位置に重心があり、アタックもおそらく1k辺りと低め。ミュートは強めに効いており、硬さ重視のチューニング。オーバードライブのかかったベースは超低域をバスドラに渡して量感を担当しており、棲み分けがしっかりめに区切られている印象。
と、このように凝っているのでカバーをレコーディングする際にはミト本人を呼んだ方がいい。多分快諾すると思う。
小宮果穂 「親知らず」 作詞:高橋久美子 作曲:橋本絵莉子
果穂の声と橋本絵莉子の声ってめちゃくちゃ相性良くないですか?
この二人の連関を閃いたとき自分のこと天才かと思っちゃった。
歌詞は要約すると、「親知らずが生えてきた人間が、一人暮らしの日々の中で、親と過ごした日々を回想し、自分の将来を思案する」という内容。
単純に考えると果穂にとってはまだ先の話なんだけど、それで終わると果穂がチャッチモンチーをカバーする理由が橋本絵莉子と声似てるからで終わってしまうので、ちょっとそこに果穂がこの曲を歌う意義を見出してみた(こじつけてみた)。
とにもかくにも妄想だ。
もし仮に、果穂が「親知らず」のカバーを歌う仕事を受けたとして、当然果穂はまず原曲を聴いて、歌詞を読み込むものだろうと思われる。
でも歌詞の内容は彼女がまだ体験したことのないものばかり。
大きく口を開いて
仕上げのブラシを
膝枕に頭乗せて
見上げるのが好きだった
小学六年生の果穂はこのフレーズに唯一大人よりも強く共感を覚えるかもしれない。そして、ここから懐かしむ気持ちを感じ取った果穂は多分、詩のシチュエーション一つ一つに「こういう時がもし実際に訪れたとして、どういう気持ちになるんだろう」って思うはずなんですよね。
で、プロデューサーや放クラの面子(意外と一人暮らしが多い。夏葉なんて丁度、親知らずを抜くべきか抜かざるべきかってタイミングなのでは)に「みなさんはお母さんとお父さんとおわかれする時ってどんな気持ちになりましたか…?」とか聞くんすよ。それでまあ、あれこれ聞いて、わからないなりに咀嚼して、「いつか大きくなって、もしかしたら親と離れて一人暮らしをしているかもしれない自分」に想いを馳せるわけだ。
その未来の自分が、昔を懐かしむ瞬間がいつか訪れる、そういうことを考えてレコーディングブースに立つ果穂(SONYヘッドホン900ST装備)。
私もいつかこんなふうに
人を愛せるだろうか
幸せの意味を誰かと
わかりあえるだろうか
そして、この詩のように思いを馳せる未来の自分を今の果穂が歌いながら想う二重構造なんですよ。めちゃくちゃ良くないですか?絶対泣ける。ここまで考えたら流石に果穂はチャットモンチーと決めてもいいだろ……
園田智代子 「POP VIRUS」作詞・作曲:星野源
「みんな特別、みんな普通の女の子」を標榜するシャニマスにおいても智代子は一番普通で卑近な女の子。没個性に悩むこともあるし、目下の悩みは己の体重だ。チョコアイドルを自称し、「甘くて幸せな時間と、笑顔を!みんなに届けられるように!」と言い切って憚らない。そんな智代子に相応しいアーティスト、やはりそれは、あらゆる時代を横断し、多様な音楽ジャンルを隣人レベルの親しみやすさに纏め上げる星野源を差し置いて他にはいないだろう。チョコのような甘いお菓子は、いつだって人々の日常に寄り添うようなちょっとした華を添え、音楽におけるポップスもまた同じく。
普通で卑近(本人は少なからずそう思っているようだが、ルックス的な意味ではとてもそうとは見えない)だからといって、智代子は日々のレッスンに手を抜くわけではない。
同様に「POP VIRUS」というアルバムも多様な音楽性を一つに纏め上げるため、楽曲の技巧的な工夫と共に、ミキシングにおいても一切の妥協を感じられない作りになっており、その出来はJPOPの最高峰に位置していると言っても過言ではない。音圧は適量を稼ぎ、レンジは広く、アタックは刺さることがなく、されど音色のディテールは非常に見えやすい。安っぽい言い方になるが日本にあってはほぼチート級のレベルだ。仮に音源を個人のAirpodsから流しても、またライブ会場のラインアレイで聴いたとしても全くの過不足なく対応できるだろう。
本当は歌詞的にも絶対「恋」の方が合ってるんだろうけど、個人的な趣味により「POP VIRUS」を選んだ。あと星野源はノリノリでアイマスのキャラと恋ダンス踊りそうだからダメ。マジでやりそう。
口から音が出る病気
心臓から花が咲くように
魔法はいつでも
歌う波に乗っていた
この曲を智代子が歌うことで生じる「そ、園田……!」経済効果は凄まじく、園田と同じ高校に通うことを夢見る全国の男子高校生はおしなべてカラオケに突撃。園田のクラスメイト達はジャッカルよりも凶暴な追い詰められたキツネと化し、園田とのPOP VIRUSデュエットを虎視眈々と狙い続けるようになるだろう。
杜野凛世 「あじさい」作詞・作曲 : 曽我部恵一
「凛世なら『恋は水色』でいいだろ」と思われるかもしれない。いや、ホントその通りなのでちょっと勘弁して見逃していただきたい。せっかくなら一から自分で選んでみたかったんです。しかし「恋は水色」を選ばないにせよ、凛世の(純)「和洋折衷ノスタルジック」という元々のコンセプトは引き継ぎたくて。そうなってくると、やはり昭和アイドル歌謡か、さらに時代を少し遡りフォークソングの類か、と思案して少し選曲が難航した。
一時は、アイドル歌謡をアイマスというコンテンツに合わせてアニソンに適用させる、という方向で飯島真理の「天使の絵の具」にしようか、とか個人的な趣味を全開にして金延幸子の「青い魚」にしようか、とか色々当てはめてみたんだけれど、どうも歌詞や曲の雰囲気が凛世にそぐわないように感じて決定打とはならなかった。
というわけでもう少し時代を新しくして、サニーデイサービス。これなら様々な音楽的要素の中の一つとして、確かにフォークの要素が入っているし、何より、「あじさい」の歌詞が、もう凛世が歌っているとしか思えないほどにクリティカル。
あじさいの花がひとつ咲いていました
小雨まじりの梅雨の宵
鉄道線路行ったり来たり
可愛いひとがひとりきり立っていました
いたずらそうなくちもとが
春の風を強請るんです
さいだぁのストロオに細い指をからませて
遥か遠い蜃気楼で袖を引かれました
まるで少女漫画のヒロインに自分を重ねた凛世が考えてみた詩のようだと思った。情感豊かな風景描写が女性と男性の逢瀬に終始するというのもなんとも凛世らしさがある。
あと、サチュレーションのかかった凛世の歌声聴いてみたいよね。
桑山千雪 「RELISH」作詞:岩里祐穂/作曲:connie
(00:26~)
千雪さんは、「お姉さんキャラ」「年長者ポジション」という記号からの逸脱がよく描かれる人なんだけれど、現実の日本には、折角素晴らしい楽曲を制作し続ける三人組の、しかも15年以上も活動を続けているアイドルグループが存在するのだから、「お姉さんとしての入り口に立つ人であり、アイドル」として是非Negiccoの曲を歌ってほしかった。
こんな世界が君を待ってたなんて
素敵だと思わない?
そんなこととか あんなことだって 全部
味わいつくすのよ Girls
千雪さんが歌うならやはりこの曲だろう。そんなこととか、あんなことの中には薄桃色にこんがらがるような事態も含まれているかもしれないけれど、千雪さんは「全部味わいつくすのよ」と言ってしまえる人のはずだ。プリンちょろまかすし。
アイドルのセオリーに縛られず、年齢を重ねる毎に魅力が増していくNegiccoのようなアイドル、ゆくゆくは千雪さんにもそうなっていってほしい。
大崎甘奈 「恋をしたのは」作詞・作曲 aiko
今降るこの雨 遠くは晴れている
だからすぐに逢えるね
やはり一曲くらいはストレートなラブソングの枠が欲しくて、じゃあそれをを歌う様が一番しっくりくるアイドルは誰かと考えると、千雪さんか甘奈の二択だった。千雪さんにはどうしてもNegiccoをカバーしてほしい。じゃあ甘奈。
aikoを選んだ理由は個人的な趣味という以外にない…というかaiko以外に候補が思いつかなかった…西野カナとか浜崎あゆみとか絶対死んでも嫌だし…
一応、アニメの主題歌として「恋をしたのは」を選択。甘奈はシャニマスアイドルの御多分に漏れず感受性が強い人なので、「聲の形」観たら号泣してそう。というか序盤でめちゃくちゃ心痛めてそう。いじめなんて看過できるタイプじゃない。
あと、(持ってないんですけど)【ないしょのスイーツ】と【お散歩サンライト】が、なんかカップル限定メニューとか看病がどうとかそういう卑しか系のアレらしいんで、やっぱaikoは甘奈がピッタリだな!これ書き終わったら復刻せんかな。
aikoの音楽性は既に散々ぱら評価されているけれど、気にせずに良いなと思うところをいくつか挙げてみる。楽器構成的にはバンド+鍵盤+ブラスっていうJPOPの王道形式で、そこに工夫の余地なんて無い。んだけども「一つの楽器が目立つときは他の楽器が一歩引く」みたいなバンド全体の完成度が著しく高い。だからJPOPの典型的なミックスにも拘わらずそれぞれの楽器がしっかりと聴こえてくるところが良いんすよね。
ただ、aikoのミックスの完成度はアルバム毎にムラッ気があって、「恋をしたのは」が収録されている「湿った夏の始まり」というアルバムはガンギマリにかかりまくったコンプレッサーに更にリミッター的な歪みが足されてるような無理やり感があって正直そんなに良くないです…
芹沢あさひ 「Suger!!」作詞・作曲・編曲: 志村正彦
歌詞のイメージにあさひの人間性との一致を見たのはもちろんそう。あと、ストレイライトってわりとコテコテのカッコをつける系のアニソンやってるんだけど、あさひは個人のイメージがわりとエキセントリックなところあるから、こういう系統の曲も合うんじゃないかと思った。
いつだって こんがらがってる
今だって こんがらがってる
僕の頭の中
全力で走れ 全力で走れ
36度5分の体温
上空で光る 上空で光る
星めがけ
あさひがフジファブリックの曲をカバーすることになった時、志村正彦のことをどう思うのかがとても気になる。やっぱり一番頭の中にあったイメージはあさひと志村が並んで立っているところで、あさひってなんか、不意にいなくなっちゃいそうな感じがあるよねっていう。
黛冬優子 「勘冴えて悔しいわ」作詞:ACAね 作曲:ACAね・ラムシーニ
冬優子は「俺、ツインテールになります。」みたいなちょっと?ハズしを入れた作品が好きなタイプのアニメオタクだと思っている。しかし、ここまで並べて来たラインナップに内田真礼の「ギミー!レボリューション」をぶち込むのは少し憚られた。じゃあ冬優子が他に聴いてそうな音楽って何だと考えて、出てきたバンドが「ずっと真夜中でいいのに。」とヨルシカ。端的に言ってしまうとイマドキのオタクが好きそうなバンド。後者が個人的にあまり好きではないのでもう一方を選択。
着いた 吐いた ツイッター呟く 7個めの方で
ATP上手に受け渡す日々だけ
もう 感が冴えて悔しいわ
無意識に運べたら楽だろうな
淡々と笑えないわ 取り繕ってしまうわ
冬優子は絶対ツイ垢複数持ってる。持ってないはずがない。この曲、特に最後の部分とか、歌詞が良い感じに冬優子に乗っかってると思ってるんだけど、それって普段冬優子が見せたがらない方の部分なので、これを歌ってと頼んだらわりかし嫌そうな、というか普通に「嫌」って言われそうな気がする。
サウンドの話なんですけど、このバンド、もうちょっと音作りをなんとかしてほしい。イメージ的には乱暴な言い方をすると「劣化ゲス極」という感じ。
最近の流行の一つである、音色が多く、フレーズが難解な曲構成の楽曲をミックスする際に、大まかに二通りの方針が考えられるんだけど、ゲス極がやっているのは「それぞれのプレイを強調させつつ、ポップスとしてボーカルを第一に据えるために、過剰なほどスッキリとさせたイコライジングで音像をまとめる」というもの。これにより、「難解な曲構成のためにボーカルを沈める」という従来のミックスにおけるポップスの矛盾を回避しているのだけど、「ずっと真夜中でいいのに。」はこれがあんまり上手くいってないんですよね。
中途半端なせいでペタついた音像に仕上がっていて、聴き心地の悪さが目立つようになってしまっている。
でも曲はわりと好き。リズム隊かっこよ~。
浅倉透 「Girl meets NUMBER GIRL」 作詞・作曲:佐藤千亜妃
これはもう浅倉透に佐藤千亜妃をやってほしかっただけです。それだけ。
走れ 突っ切って 脳ハウれ 青の音と
透、脳ハウれって言い回し好きそうだよね。あとなんかライブ会場でおもしろがってわざとハウらせた挙句注意されてそう。
変わってゆく景色の中
早く Take me away Take me away
早く 早く 早く連れ去って
あの日の自分は未だここに居るよ
だから Take me away Take me away
遠く 遠く 遠く どこまでも
浅倉透の歌として考えても違和感は無いと思う。バスというモチーフも共通している。ちょっと解説したいけど以前に頭おかしくなるほど浅倉透のことだけ考えて二万字くらいnoteに書いたせいで、同じことを繰り返すようで微妙にダルいのでやめる…。
どうでもいいけどGirl meets NUMBER GIRLを選ぶことで、「透明だった少女たち」というナンバーガールへの伏線も回収できる……!
したところで特に意味は無いんだけど。
閉ざす窓を開けてバスを揺らすよ
耳を通って脳に青が刺さる
ノクチルのキャッチコピー、「さよなら、透明だったぼくたち」という言葉を字義通り受け取るならば、これからノクチルの彼女たちは透明なまま(元の関係のまま)ではいられなくなってくることが予想される。透き通るような淡い青がイメージカラーのノクチル。その中核であり、一際透明感が強かった透もまた、アイドルへの道に足を踏み入れることで自分に色が刺してゆく。
樋口円香 「Cakes」作詞:Yuki Fukutomi 作曲:Ayaka Tatamino
今のところノクチルに用意された唯一の楽曲である「いつだって僕らは」を聴いた限りでは、円香の声は意外と優しげな印象。
円香自身にピッタリな曲を考えるにあたって、やはり音色のゴチャゴチャした曲はあまり好まないのではないかと思いその辺を除外、声を考慮に入れた上でHomecomingsを選んだ。
「Cakes」は角田光代原作・今泉力也監督の映画「愛がなんだ」の主題歌。
恋愛映画でありつつ、その皮を被った「生活」の映画でもあります。小道具の使い方と美術がとても良い映画。
円香はこの映画に出てくる人達のことも、それに寄り添うこの曲の詩も、おそらく理解できないだろうし、何なら理解したくもないと不機嫌になるかもしれないな。でもこの映画に出てくるめちゃくちゃ不器用で、矛盾ばっかりの人間たちが口にするペラッペラの言葉と、絞ったようにたまに出てくる、ほんの少しだけの不格好なホントの言葉っていうバランスを円香がどう感じるんだろうっていうのが気になるというか。
樋口円香という人間も同じく、ある意味不器用で、そもそも言葉を信用していない人間だから、何かしら思うところが出てくるんじゃないかなーと予想しているんだけど、どうか。
夜のふたり 朝のにおい
ぼやけた視力で 探りあっている
届きそうになるのは 息を止めてしまうから
夜明けのドアを叩いて こうならないように歩いてきたのだ
何より、息を止めた瞬間、届きそうになってしまう危うさは円香にとっても他人事ではないだろうし。この映画を観た上での円香のCakesって絶対エモみたいなものが生まれるはずなので、それを聴いてみたい。
おわり
クソ疲れたが???
たかが妄想に一体何時間費やしたんだ…シャニマスは本編の描写が丁寧だから、こういう妄想をする時にリアリティラインの高さが良い感じに実在のアーティストやらに紐づくんだよなあ……
もうこんな解釈違いでボコボコにされそうなこと絶対一生やらん……
樹里の趣味欄に書いてある、半ば死に設定と化している「洋楽」って項目を弄り倒して「Meshuggahは世界最高バンドとか言い出す樹里」、「American footballの新譜に興奮する樹里」「苺ましまろから洋楽を知ったことを言い出せない樹里」みたいなネタをやろうと思ったけどむりだった……
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