【悲劇】事故で失ったのは歯だけじゃなかった
”A problem is a chance for you to do your best.”
初めまして。みなさんは、友情の断捨離を経験した事がありますか?
私が事故をきっかけに友人を断捨離し、新しい自分に出会ったお話をしたいと思います。
1.プーケットでの大事故
大学の年末休みに、大学の仲良いいグループ男女四人でプーケットに旅行に行った時の話です。
プーケットは山道が多い上繁華街から海までの距離もかなりあり、観光地の為にタクシーは東京並みに高いので、みんなで2台のバイクを借りて移動していました。
事故が起こったのはニューイヤーカウントダウンの4時間前。その日プーケットは小雨が続いていて、道路はツルツルでした。その時私は後ろに乗っていたのですが、気をつけながら運転してくれていてけれど、右折しようとしたところで転倒スリップ。多分私、2mは飛びました。
意識が飛んでしまいよく覚えていないのですが、起きた時には崖がら半分手が出ていて、全身血だらけ。歯も折れてめちゃくちゃ間抜け。もうすでに始まっている筋肉痛をひしひしと感じ、多分折れているであろう足を動かし、運転してくれていた友達の方までいきました。
診断結果、四肢擦り傷、足の指骨折、だけ。後は前歯が欠けてしまったことくらいで、派手な転び方から考えるとかなりの軽傷。
長年の少林寺とダンスで培った身体能力に感謝した瞬間です。
運転していた彼(以下、運転手くん)も、幸運にも左足擦り傷の軽傷でした。
2.文化の違い?人間性の違い?
マレーシアに留学して1年。それまでの人生がかなりグローバルに彩られていたので、留学生活中に文化の違いで苦労したことは一度としてなかったと言っても過言ではありませんでしたが、今回の事故ではかなり違和感に直面することになります。
私が主に気になった点は以下。
・運転手くんから、事故を起こしてしまって申し訳ないという謝罪が一言もなかった。
・事故が起きた日のカウントダウンパーティにも、みんな普通に出席した。
・運転手くんが実は運転免許を持っていなかったのを黙っていて、救急車を呼んでくれなかった。
・事故にあって不安なので、もう帰りたいと言ったら『今日チケットを買うと直前で高いので嫌だ』と断られた。
他の二人も、どちらかと言えば私にも心配はしてくれましたが運転手くんにもっと心配するような対応。
私が大怪我を負った対応への心配より、これからバイク会社に払わなければいけない金額の事、母親に怒られる心配をしていました。
正直私が今まで生きて来た中では到底理解できません。まず、運転する側は責任を負う覚悟で運転する任務を果たしてるのでは?というかまず免許持ってないから救急車を呼びたくないって、色々とアウトなのでは?
旅行中は我慢したものの、帰国後に我慢の限界に到達し、一人で3人に向かってブチギレました。さらに運転手側には運転手の過失(免許を持っていなかった事で保険が使えなかった)為に3万円に膨れ上がってしまった治療費を10%負担してほしいと要求。(入院費用は私が全額負担するので)
帰って来た返答は『お前が乗ることに同意したんだから、こちらからは一銭も出さない。金銭を要求してくるなんて友達じゃない。被害者ぶるな。』
そこからマレーシア生活で一番仲の良かった四人とは関わることは一切ありませんでした。
一人の女の子はインスタグラマーだったのですが、彼女からインスタもブロックされた上に、影響力が強い彼女の周りの友達からもハブられました。さよならパーティやら、誕生日パーティーやら、一切呼ばれずに毎日ネットフリックを見て過していました。
自動的に友人を断捨離した瞬間でした。
3.彼らの行動を冷静に分析してみた
当時彼らがあのような行動をした要因を分析してみました。
・文化的背景から根本的に考え方が違う。
日本は世界のどこをみても一番と言っていいほど責任追求社会です。いかなる場面でも最後まで『誰がどうしてこのような行動を起こしたか』まで責任を取らされ、間違いを犯した人間は徹底的に責任を取らされる傾向にあると思います。(例:森●学園職員自殺)
今回の私の事故に関しても、私の頭の中は『私の歯をなくしやがって!!責任とれ!!』で頭いっぱいでした。お金が欲しかった訳でもなく、私は責任を目でみれる形にして欲しかったんです。花束を持って、誠意を込めた謝罪をしてくれれば正直十分でした。(今だから言えるのかも?笑)
一方、マレーシアとその周辺地域は、イスラム教の信念のもと国全体が『間違いを犯してしまった者を受け入れよう。受け入れられない人も罪』という傾向にあります。
今回の事故に適応すると、私が取った行動は『罪を犯した運転手を受け入れられない罪深き人間』に当てはまっているのだと思います。
・同族的意識で運転手くん守った。
人は気づかないうちに、”Similar to me effect(同族擁護)"を行なっている傾向があります。自分と同じカテゴリーやセグメント(宗教、人種、出身地、出身校)に入る人間を、そうでない人と比べ好む傾向の事です。
私以外、出身国は違えど、みんな中華系でした。何かしら私に聞いて欲しくない議論をしている時に、ちょくちょく中国語で話していた場面がありました。
もしかすると『正直モラル的に運転手くんが間違っているのは分かっている。けれど彼の方が共通点があるし、守ってあげたい』と無意識的に考えてしまっていたのかもしれません。
・単純にもともと私のことがあまり好きではなかった。
これは、、考えたくないのでノーコメントで。
これが原因だったら悲しいけれど、ありえない事ではありません。笑
4.事故に起きた変化
友人に見捨てられた後は、自然に他の人と関わって行くことになります。
新しい人に出会ったり、今まで少ししか仲良くしてこなかった友達と絡んでみる事で、自分の世界はかなり広がりました。(日本人学生会に入ったのも実は事故がきっかけです)
事故以降、積極的に学生会活動に参加したり、留学生をサポートする団体に入ったり、今まであまり頑張ってこなかったコミュニティを広げる活動にも参加しました。
後は、自分の予想を上回る強さに気づけた事。
それでは、こちらのギャラリーをご覧ください。笑
事故にあっても痛くても入院を1日で終わらせて全力でプーケットを楽しむ根性が自分にはありました。笑プーケットという土地柄もあり、何度かプロレス選手かと思われ、欧米の方から写真をお願いされましたが、快く引き受けたのもいい思い出です。
普通だったら事故の次の日に日本に帰って、1セメスターをお休みしていたと思うし、過保護の母に言ったら間違いなく強制帰国なので誰にも言わず、この一週間後、体も心も傷だらけのまま授業に出席しました。
まとめ
当時頑張れた事や自分の根性に自信を持つことができた経験は今の私の財産であり、これからの財産でもあります。絶対に就職の面接でも『印象に残ったエピソードはあります』という質問を投げられたらこのストーリーを間違いなく話します。
人生には、何度かリセットポイントがあると思いますが、この事故は間違いなく自分の大きなリセットポイントです。
確実に今後の糧になったと思います。失ったものは当時の私には大きかったけれど、今の私からはいい意味で、大きな代償だったと心から思えました。
以上、たまには失ってみるのも悪くないという私からのシェアでした。