計画された偶発性理論とバイロンケイティワーク
最初にこの理論「計画された偶発性理論」を学んだのは、キャリアカウンセラー資格取得のための講義で。確かに、私の人生の転機の全ては偶然の出来事でつくられているなぁと実感しました。
それ以来、起きた出来事をどう捉えるのか?そこから何を学ぶのか?を常に問うようにしています。それが明るいできごとであっても、自分にとって苦しいできごとであっても。
バイロンケイティワークも現実を見つめる力を養うのに必要な理論。上記の「起きた出来事をどう捉えるのか?」にもつながるのですが、不幸なストーリーをつけて、自ら自分を苦しめてしまうのも、捉え方なのだと学びました。
ただあるがままの事実、現実を見つめる。
最初は難しいなぁと感じましたが、ケイティワークを実践するにつれ、何が事実で、何が自分がつけたストーリーなのかが切り分けられるようになる。
なので、必要以上に悩まなくなったし、自分に起きた他者から見ると苦しいことも、ただ起きたことに向き合えるようになり、軽やかに受け止められるようになっている。
離婚したときもそう。
自分が「がん」になったときもそう。
子宮をとって子供が産めなくなったときもそう。
家族が被災したときもそう。
大切な人を亡くしたときもそう。
その出来事を不幸と捉えるのか。
なぜ起きたのかはわからないし、誰のせいでもないときもある。
誰かのせいにするのも自由だが、誰かのせいにして救われたことが少ない。
でも何かのせいにしないといられない。
静かにケイティワークをしてみると、自分の中の真実に出会えることもある。
無理に意味付けすることでもないし、楽観的に前向きに捉えることでもない。ただ今、目の前にあることを見る。受け止める。
「今、ここに生きている。」
ただそれだけに集中し、自分が心から信じたことやりたいことに向き合うのみ。
いつまで生きられるかなんて誰にもわからない。
でもどんな死に方をしても、死んだ時に「あーこの世界を生ききったなー」と思って死にたいので、今日も、Happyにpresenceを大事に生きようとそれだけ思って生きる。